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「春分の日」「秋分の日」が祝日になった理由

春分の日」「秋分の日」は、
日本では、「お彼岸」であって
御先祖をお祭りする日です。
 

 
 
実は「春分の日」は、
歴代天皇の追悼儀式「春季皇霊祭」が
由来となっています。
 
明治時代に入るまでは「春季皇霊祭」はなく、
歴代天皇それぞれの命日に
「正辰祭」(せいしんさい) という追悼儀式が
行われていました。
 
ですが、明治時代の時点で
歴代天皇は120名以上存在し、
更に皇后皇妃とか皇親といった
主たる皇族の忌日も含めて
全て追悼していたのですから、
大変な労力が掛かっていました。
 
そこで明治に入ると、
春と秋にまとめて
奉祀することとなりました。
 
明治11(1878)年6月5日、太政官達23号が出され、神武天皇と前天皇(孝明天皇)を個別にして、
他の歴代の皇霊の祭りを
仏教の彼岸に当たる
「春分日」には「春季皇霊祭」に、
「秋分日」には「秋季皇霊祭」に統合して、
天皇が親祭することになりました。
翌明治12(1879)年に太政官布告が改正され、
「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」は祝日として
制定されます。
更に明治41(1908)年9月19日制定の
「皇室祭祀令」で
「春季皇霊祭」・「秋季皇霊祭」ともに
大祭に指定されました。
 
「春季皇霊祭」が祝日となったことから、
一般庶民もこの時期に御先祖様をお祀りする
習慣が広まったとされています。

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ところで「春分の日」を含むお彼岸の期間に、
祖先を供養する風習は
平安時代から続いていました。
お彼岸に祖先供養をする発端となったのは、
早良親王 (さわらしんのう) が深く関係しています。
早良親王は第49代光仁天皇の皇子で、
同母兄の第50代桓武天皇の時に
皇太子に立てられました。
 
ですがその桓武天皇により
暗殺を企てた疑惑をかけられて流刑となり、
失意のうちに死去しました。
早良親王の死後、桓武天皇の身辺の人々が
次々と死去。
怨霊となった早良親王の祟りであると考え、
それを鎮めるために、桓武天皇は春と秋に7日間
絶えず読経をし続ける儀式を行わせました。
この追悼儀式が元となり、「春季皇霊祭」が
春分の日」に行われるようになったのです。

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「春季皇霊祭」は
戦後まで祝日として続きますが、
昭和23(1948)年に「祝日法」によって
名称が「春分の日」に変更されました。
 
というのは、第二次世界大戦後、
日本を占領していた
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、
天皇を崇める行事は、
再び天皇を中心とする国家体制に
繋がりかねないとして危険視し、
天皇や皇室をまつり上げる風習を
弱めようとしたためです。
 
そのため二つの祝日は残りましたが、
国としては、
天皇の御霊のお祀りをする日ではなく、
春分の日」は
「自然をたたえ生物をいつくしむ」日に、
秋分の日」は
「祖先をうやまい亡くなった人をしのぶ」日と
法律で変更しました。
 
「皇室祭祀令」は、昭和22(1947)年5月2日に
廃止されましたが、宮中では従来通りの
「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」が現在も
行われています。
 
 
 
柳田國男(民俗学者)
日本人の死後の観念、即ち霊は
永久にこの国土のうちに留まって、
そう遠方へは行ってしまわないという
信仰が、おそらくは世の始めから、
少なくとも今日まで、
かなり根強くまだ持ち続けられている。
これが何れの外来宗教の教理とも、
明白に食い違う点であると思う。
 
江藤淳(評論家)
生者だけが物理的に風景を認識するのではない。
その風景も同時に死者が見ている、
そういう死者の魂と生者の魂との
行き交いがあって、
初めてこの日本という国土、文化、伝統が
成立している
 

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