
天照大御神の五世の孫、
神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)、
後に日本の初代天皇になる神武天皇は、
高千穂宮(現在の宮崎県)で
兄の五瀬命(いつせのみこと)ら兄弟と話し合い、
天下を平定するために東征へと出掛けました。
数々の大きな戦いを経て大和を平定し、
畝傍山の麓に橿原宮で即位し、
日本を建国しました。
高天原(たかあまのはら)を治める
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である
神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこのみこと)、
後の神武天皇 (じんむてんのう) は、
日向(ひむか)の高千穂宮(たかちほのみや)で、
世の中を上手く治めるために東へ行こうと思い、
豊国(大分) → 筑紫(福岡) → 阿岐国(広島) →
吉備(岡山)を経て、
海路で浪速(大阪)に上陸しました。
しかし、ここで彼らを待ち受けていた
最大の敵・長髄彦 (ながすねひこ) の軍と
孔舎衛(くさえ)坂で戦って、敗北。
その際、兄の五瀬命 (いつせのみこと) は
矢を肘に受けて重傷を負ってしまいます。
五瀬命は
「我々は太陽の女神の子孫である。
その我々が日に向かって矢を射かけて
進軍したのが間違いだった。
これからは遠回りしてでも、
日を背に受けて戦おう」
とおっしゃっていましたが、
その後、和歌山の竈山 (かまやま) で、
この矢傷が元で亡くなってしまいました。
今度は南へ迂回して
紀国(和歌山)の熊野に再度上陸しますが、
そこに現れた大熊の毒気に当てられ、
一行はバタバタと倒れてしまいました。
するとそこに、高倉下 (たかくらじ) が現れ、
天照大神から夢のお告げにより授けられた
剣の「布都御魂」(ふつのみたま) を献上されます。
するとこの「布都御魂」の持つ
起死回生の力によって一行は蘇りました。
そして道案内の八咫烏(やたがらす)に導かれて
吉野に入り、現地の反対勢力を倒して、
倭の畝火(うねび)の白檮原宮(かしはらのみや)で
初代の神武天皇として即位しました。
皇子原神社[おうじばるじんじゃ]
(宮崎県・高原町)
神倭伊波礼毘古命が生まれた地と
言われる。
狭野神社[さのじんじゃ]
(宮崎県・高原町)
神倭伊波礼毘古命が生まれた地と
言われる。
立磐神社 [たていわじんじゃ]
(宮崎県・日向市 )
境内には神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が
腰掛けたと言われる「お腰掛け岩」
がある。
駒宮神社[こまみやじんじゃ]
(宮崎県・日南市 )
神倭伊波礼毘古命が
阿比良比売[あひらひめ]を妻に迎えた
宮の跡と伝わる。
美々津[みみつ] (宮崎県・日向市 )
神倭伊波礼毘古命の東征の出発地と
言われている。
岡田宮 (福岡県・北九州市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、
一年滞在したと言われる。
多家神社[たけ] (広島県・府中町 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、
七年滞在したと言われる。
高島宮 (岡山県・岡山市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、
八年滞在したと言われる。
速吸門[はやすいのと] (兵庫県)
神倭伊波礼毘古命が
槁根津日子[さおねつひこ]と出会ったと
される。
浪速[なみはや]の渡 (大阪県・大阪市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、
この地を通過したとされる。
青雲[あおくも]の白肩津[しらかたのつ]
(大阪県・東大阪市 )
神倭伊波礼毘古命が東征の際、
この地に停泊したとされる。
竈山神社 [かまやまじんじゃ]
(和歌山県・和歌山市 )
神倭伊波礼毘古命の兄である
五瀬命を祀る。
熊野の村 (和歌山県・新宮市 )
神倭伊波礼毘古命が紀伊半島を
南へ迂回して着いた地とされる。
八咫烏神社[やたがらすじんじゃ]
(奈良県・宇陀市 )
八咫烏の化身と言われる
建角身命[たけつぬみのみこと]を
祭神としている。
橿原神宮 (奈良県・橿原市 )
神武天皇が即位された橿原宮の聖蹟に
明治二十三年に創建された。
神武天皇陵(畝傍[うねび]山東北陵)
(奈良県・橿原市 )
畝傍山東北の地に比定されている
神武天皇の陵墓。
石上神宮 [いそのかみ]
(奈良県・天理市 )
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)を
熊野の村の大熊から救った霊剣が
納められた社。
熊野三山 (和歌山県・田辺市ほか )
熊野本宮大社、熊野速玉[はやたま]大社、
熊野那智大社の総称。
八咫烏は三山の神の使いとされる。
宮崎神宮 皇宮屋[こぐや]
(皇宮[こぐや]神社) (宮崎県・宮崎市 )
神倭伊波礼毘古命を主祭神として祀る。
率川神社 (奈良県・奈良市 )
皇后・伊須気余理比売[いすけよりひめ]を
祀る。