
2月23日は「天皇誕生日」です。
天皇陛下は2月23日、
65歳のお誕生日をお迎えになります。
「天皇誕生日」
「天皇誕生日」(てんのうたんじょうび)は、
今上天皇の誕生日(2月23日)を祝う
「国民の祝日」です。
天皇陛下が代替わりされる度に変更され、
昭和天皇の御代では4月29日、
上皇陛下が天皇であった平成時代は12月23日、
今上天皇の令和となってからは2月23日が
「天皇誕生日」となっています。
なお昭和23(1948)年までは、
「天長節」(てんちょうせつ)と呼ばれていました。
「天皇誕生日」に行われる
祝賀行事
この日、皇居では祝賀の行事が行われます。
祝賀の儀(非公開)
天皇陛下が、皇嗣殿下始めとした皇族方、
内閣総理大臣、衆・参両院の議長、最高裁長官
から祝賀をお受けになる儀式です。
宴会の儀(非公開)
天皇・皇后陛下が、
衆・参両院の議長・副議長・議員、
内閣総理大臣・国務大臣、最高裁長官・判事など
立法・行政・司法各機関の要人、
都道府県知事、各界代表者等を招いて催される
宴会で祝賀をお受けになる行事です。
皇族方も列席されます。
なお「宴会の儀」は、
コロナ禍以降行われていませんでしたが、
今年、令和7(2025)年は5年振りに行われることに
なりました。
ただ感染対策のため、
以前よりも人数を大幅に減らして開催すると
いうことです。
茶会の儀(非公開)
天皇・皇后両陛下が
各国の外交使節団の長とその配偶者を招いて
茶会を催され、祝賀をお受けになる行事で、
皇族方も列席されます。
一般参賀
天皇、皇后、皇族の方々が、
午前は随時、皇居・長和殿(ちょうわでん)の
ベランダにお出ましになられて、
45000坪余りの広さがある
東庭(とうてい)に集まった
一般国民からの祝賀を直接受けられます。
参入門は、「皇居正門(二重橋)」で、
午前9:30から午前11:20です。
(手荷物検査受付時刻は午前11:10頃まで)
前日(2/22)の夕方及び当日(2/23)の未明
から、皇居外苑付近に整列することは、
御遠慮下さい。
令和8年2月23日の一般参賀は、
天皇皇后両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下、
愛子内親王殿下、佳子内親王殿下及び
悠仁親王殿下が、
3回、長和殿ベランダにお出ましになる
御予定です。
・第1回 午前10時20分頃
・第2回 午前11時頃
・第3回 午前11時40分頃
午後は宮内庁庁舎前で記帳を受付ます。
記帳は、記帳所に備え付けてある筆記用具で
都道府県名と氏名を記入することになります
参賀者は、午後0時30分から同3時30分までに、坂下門から参入し、
宮内庁庁舎前の特設記帳所を経て、
桔梗門、大手門、平川門又は北桔橋門から
退出することとなります。
一般参賀は、昭和23(1948)年から始まった、
天皇が国民から祝賀を受けられる行事です。
1月1、2日に、皇居・二重橋を開放して
一般参賀(当時は「国民参賀」と呼んだ)を
許可しました。
当時は、記帳所が設けられているだけで、
お出ましはありませんでしたが、
どれほどの人々が来ているのか気になった
昭和天皇と次いで香淳皇后がお忍びで
宮内府 (当時) の庁舎屋上に上がられました。
これを見つけた参賀に訪れていた国民が
万歳三唱を唱え、それに対し両陛下は
お手振りでお応えになったそうです。
これがお出ましの最初でした。
昭和25(1950)年からは、正式に、
天皇・皇后両陛下が参賀者の前にお出ましに
なるようになりました。
更に、当時皇太子だった上皇、上皇后両陛下の
御成婚から間もない頃に行なわれた
昭和34(1959)年4月29日の
「天皇誕生日」の一般参賀からは、
天皇ご一家がお揃いでお出ましになりました。
全国の神社
全国の神社でも、陛下の長寿と
皇室の弥栄、国民の安寧が祈られています。
天皇誕生日祝賀レセプション
2月17日、外務省飯倉公館において、
岩屋毅外務大臣夫妻主催による
「天皇誕生日祝賀レセプション」が開催され、
各国の駐日大使夫妻、政界関係者、
在日外国経済文化団体、主要経済団体等
約230人が出席しました。
「天皇誕生日」の変遷
「天皇陛下」の誕生日が「祝日」になったのは
明治以降のことです。
当時は「天長節」(てんちょうせつ)と呼ばれました。
(因みに皇后の誕生日は「地久節」。)
「天長節」の起源は、唐代の748年に遡り、
玄宗皇帝が老子の「天地長久」
〈天は長く地は久し〉に由来し、
その語に基づいて創始したと言われています。
「天地長久」(てんちょうちきゅう)とは、
天地の存在は永遠であること。
天地が永久であるように、
物事がいつまでも続くことのたとえ。
775年(宝亀6)光仁天皇が詔して、
日本では、奈良時代、宝亀6(775)年9月に
光仁天皇が自らの誕生日を天長節と称し、
祝したという記録があります。
その4年後にも天長節を祝ったという記事が
正史にありますが、以後長く廃れていましたが、
明治元(1868)年に再興されました。
第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)に、
「国民の祝日に関する法律」が制定されると、
国民と天皇陛下の距離を縮めるための日として、
「天長節」より親しみを感じさせる
「天皇誕生日」と変更されたのです。
昭和の時代は4月29日、平成の時代は12月23日、
そして今上天皇の令和となってからは
2月23日が「天皇誕生日」となったのでした。
「天皇誕生日」がない年や
1年に2度祝う年があった!?
「天皇誕生日」は、
皇位継承によって日が変わる祝日ですが、
日を変えるためには、
「祝日法」などの法改正と施行が必要です。
そのため
「皇位が継承された日」
「法律が施行される日」
「新しい天皇の誕生日」の日程によっては、
天皇誕生日がない年が出来てしまいます。
最近では、
現在の上皇陛下(12月23日が御誕生日)が
平成31(2019)年4月30日に御退位し、
今上天皇陛下(2月23日が御誕生日)が
令和元(2019)年5月1日に御即位されたため、
令和元(2019)年は昭和23(1948)年に
祝日法が施行されて以来初めての
「天皇誕生日」がない年となりました。
また大正時代は、大正天皇の御誕生日が
8月31日であったことから
8月31日が「天長節」でしたが、
盛夏で祝賀式典などを行うのに適さないため、
2カ月遅れの10月31日を「天長節祝日」とし、
式典などはこの日に行われました。
つまり、大正時代には1年に
「天長節」と「天長節祝日」という
2つの「天皇誕生日」の祝日があったのです。