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「阿蘇の台地」と「くじゅうの蓋」が生んだ黒川の「隙間」 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺

熊本県阿蘇郡南小国町満願寺に黒川温泉があります。黒川温泉は筑後川の源流、田の原川が削り出した深い谷底に位置しています。平地が極端に少なく、川のせせらぎと急峻な斜面に挟まれたわずかな空間に、黒塗りの木造建築が密集しています。坂道や階段が迷路のように入り組み、建物の屋根越しに別の宿が見えるといった…独特の景観をつくりだしています。このような景観は、どのようなことが要因でつくりだされているのでしょうか?

地質図naviを、黒川温泉がある地域を確認してみます。

この地域には、3つの地層や構造が重なり合っています。

 

1.古い火山岩類が基盤

黒川温泉街域の最も深い部分には、阿蘇山が誕生するよりもさらに古い時代(数百万年前)の火山岩(安山岩など)が東西方向に分布しています。これらは非常に硬く、温泉街の谷を形作る強固な骨組みとなっています。

 

2.阿蘇火砕流堆積物が重なる

その上に、阿蘇の大噴火によって噴出した「阿蘇火砕流(Aso-1〜4)」が厚く堆積しています。特に、約9万年前の巨大噴火による「Aso-4」は広範囲を覆っており、これらが水平に積み重なった地層の「断面」が、黒川温泉の渓谷の壁面で見ることができます。

 

3.東西方向の断層群

九州地方の中部には、「別府-島原地溝帯」と呼ばれる大規模な地溝帯(構造線)が東西方向に広がっています*1。「別府-島原地溝帯」の地域は、フィリピン海プレートの沈み込みに伴う地殻変動と火山活動がとても活発であり、この東西に伸びる巨大な地溝帯に沿って、日本有数の温泉密集地帯が形成されています。黒川温泉も、阿蘇カルデラの火山活動とこの周辺の断層系の影響をダイレクトに受けて湧出している温泉の一つです。

 

東西にのびる局所的な地質バンド

黒川温泉の谷を形成している地質そのものも東西方向に広がっています。

阿蘇火山の巨大噴火によってもたらされた火砕流堆積物の層は、このエリアにおいて「東西方向の地質バンド」として帯状に連なっています。

 

不思議なのは、黒川温泉の南側に阿蘇山は位置しています。阿蘇からながれてきた溶岩がこの地域をかたちづくったのであれば、南北方向に地質図は線上にひろがるようにおもえます。しかし実際には東西方向です。

 

この疑問を解明する手がかりが、国土地理院地図の色別標高図を使用することでみえてきます。

 

この東西方向の地質バンドを、引いて俯瞰してながめてみます。国土地理院地図の色別標高図を使用してみます。

さらに引いて俯瞰してみます。中央部の赤丸の箇所が黒川温泉です▼

これをみると、くじゅう連山のふもと域に黒川温泉が位置していることが判明します。ということは、阿蘇の噴火ののちに、くじゅう連山からの噴火の影響をうけて、東西方向の地質がかたちづくられたのではないかと想像されます。

 

黒川温泉周辺の地層を垂直に切ってみると、以下のような「積み上げ」の歴史が見えてきます。

 

基盤(Aso-4火砕流)

約9万年前、阿蘇の巨大噴火がこの一帯を数百メートルの厚さで埋め尽くし、広大な台地(火砕流台地)を作りました*2

 

上部(くじゅう火山群の溶岩)

その後、くじゅう連山の西側にある湧蓋山(わいたさん)や一目山(ひとつめやま)などの火山活動が活発化しました。そこから流れ出した粘性の高い安山岩質の溶岩が、阿蘇が作った平坦な台地の上に指を広げるように流れ込みました。

 

くじゅう連山は北東側に位置し、阿蘇は南側に位置します。黒川温泉付近は、この両者の勢力がぶつかる「谷状の低地」になっていました。溶岩は低い方へと流れるため、東西に伸びる谷筋に沿って溶岩が充填された結果、地図上では東西に伸びる帯状の地質として現れます。

くじゅう連山から流れてきた溶岩は、阿蘇の火砕流よりもさらに硬い「安山岩」であることが多いです。この硬い溶岩が「キャップロック(蓋岩)」の役割を果たし、川による浸食を食い止めている場所に、黒川温泉名物の「滝」や「切り立った崖」が形成されています。

↑座標値:33.078092,131.140568

 

上の写真は、想像するに、下の柔らかい層が水流によって先にえぐり取られることで、上部の硬い層が庇(ひさし)のように突き出し、そこに段差が生じた…ものなのではないかと考えました。

 

黒川温泉から、北西に約16kmいった地点にある「鍋ヶ滝」。この滝は、裏側に回れる(裏見の滝)のは、このキャップロック構造によって、下の柔らかい層だけが深くえぐり取られて空洞になった結果だと予想されます。

 

黒川温泉街のなかを流れる「田の原川」

▼断面図を確認してみます。

「田の原川」を最低標高(約700m)として、最高地点とは、50mほどの落差があります。

 

▼別地点の断面図もみてみます。

こちらでは最低標高(田の原川の川底:676m)から最高地点(749m)までの標高差が、73mほどあります。この標高差の場所に、温泉街がつくられているために、狭い道路・狭い土地に建物がひしめきあっているという「結果」ができたのでしょう。

黒川温泉の景観は、火山の「積層」と河川の「浸食」という、数万年規模の物理プロセスの均衡点に成立しています。阿蘇が築いた広大な火砕流台地に対し、後発のくじゅう連山が硬い溶岩で「蓋」をしたことで、強固な二層構造が完成しました。ここを田の原川が垂直に刻んだ結果、通常では居住に適さない「極めて狭小で垂直な隙間」がつくりだされたのだと考えることができます。

 

この地形的制約が、黒川特有の高密度な建築群と、奥行きや深みのある構成を作りだ出しました。

 

 




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