書籍『AI時代に生きる数学力の鍛え方』芳沢 光雄 著の読書録です。
計算の自動化と人間が担うべき解釈の領域
AIが急速に発展している環境下において、あえて人間の「数学力」や「統計学」の知識を鍛え直すことに、合理性はあるのでしょうか?
AIは強力な計算機であり、人間には処理しきれない規模のデータを瞬時に計算することが可能で、相関関係を見つけ出す作業には優れていますが、因果関係の有無を自律的に判断することは困難ではあります。
そのため、計算処理そのものは機械が代替できても、出力された結果の背後にある法則を見つけ出し、客観的な意思決定を下す役割は、引き続き人間に委ねられていると考えられます。
数字を扱うための基礎的な知識を持っていなければ、AIという高度な道具を適切に制御し、実生活やビジネスに役立てることは難しいとおもわれます。人間がAIの得意分野と不得意分野を正しく把握し、システムの裏側でどのような論理が働いているかを理解しておく必要は、今後も必要になってくる考え方であると思います。
統計的視点の欠如がもたらす判断の誤り
数字を読み解く基礎力のなかでも、とくに重要となるのが統計学の視点であると想像されます。AIが導き出す結果を、ただ盲目的に受け入れるのではなく、その前提を冷静に評価する力が必要です。
統計的リテラシーが不足している場合、【交番が多い地域ほど犯罪が多い】というデータから、「交番が原因で犯罪が起きている」と相関と因果を混同してしまう危険性があること、入力する学習データに偏り(バイアス)や、外れ値が含まれていると、予測モデルが歪み、誤った未来を出力してしまうこと…などがおきてしまいます。
AIが導き出した予測値に対して、それがどの程度の確率で起こり得るのか、すなわち有意差があるのかどうかを評価できなければ、リスクを伴う経営判断や日常の選択をおこなうことはできないと考えられます。
これらの誤りを未然に防ぎ、データが示す「たまたま」と「信頼に値するもの」の境界線を正しく見極めるために、データの分布を読み解く視点が求められます。
プロセスを追体験する適度な非効率の価値
優れたアルゴリズムがすでに各種ツールに組み込まれ、そのアルゴリズムの利用者は計算の過程を意識することなく結果を得ることができますが、ブラックボックス化された完成品だけを与えられることは、人間の応用力を奪うリスクがあると考えます。
トヨタ自動織機(とよたじどうしょっき)の新入社員教育では、昔の機械を手で動かして試行錯誤する学びをあえて長期間経験させている事例が存在すること。(参照 書籍『AI時代に生きる数学力の鍛え方』)愛知県名古屋市にあるトヨタ産業技術記念館(座標値 35.182571,136.875989)などでは、こうした初期の機械の構造や技術の変遷を実際に確認できること。
これらのことから、効率化された最新ツールどいきなり導入するのではなく、あえて非効率な手作業やプロセスの試行錯誤を経験させることで、現在のシステムがいかに合理的に構築されているかを肌で理解し、応用力を育むことができるという推測ができます。
結果だけを暗記して済ませるのではなく、その背後にある構造の工夫を深く理解することが、力技ではない合理的な解決策を模索する戦略的思考へと繋がってゆくのだとおもいます。
思考を深めるための余白と三慧(さんえ)の段階
効率化が求められる現代において、あえてすぐに答えを出さず、問題を寝かせる「温め」の時間が、根本的な問題解決力を養ううえで重要であると考えます。
考え尽くしても答えが出ないときに、問題から離れて頭を休める時間を作ると、無意識の領域で情報が結びつき、後になってひらめくことがあります。仏教には物事を深く理解するためのプロセスとして、三慧(さんえ)と呼ばれる三つの段階(聞慧(もんえ)、思慧(しえ)、修慧(しゅえ))があります。京都府にある建仁寺などの禅寺において培われてきたような、自分自身の内面と向き合い、教えを自分の言葉へと昇華させてゆく。
AI(人工知能)が瞬時に答えを出す時代だからこそ、人間はあえて考え続ける時間や、結果を他者に説明してみる修慧(しゅえ)の習慣を持つことで、機械には代替できない応用力を飛躍的に高めることができるのではないか。
言葉の定義の統一と組織の共通言語
個人の思考力を高めるだけでなく、他者との協働においても、論理的なプロセスを共有することは極めて重要であると想像されます。その出発点となるのが、言葉の定義を合わせることであると考えます。
用語の定義や意味を曖昧(あいまい)にしたまま議論を進めると、互いの解釈にズレが生じ、建設的な対話が成立しなくなること。紙ベース等で明文化されたマニュアルを作成し、プロセスを共有することが、組織内の目線や前提知識を揃える基盤となること。
単に手順を暗記させるのではなく、過去の失敗事例や、ルールがなかった時代の非効率な状態を共有することで、メンバーは手順の背後にある必然性を深く理解できること。(参照 書籍『AI時代に生きる数学力の鍛え方』)
言葉の定義を統一し、マニュアルという共有基盤が合流することで、属人的な解釈のノイズが排除され、組織全体が一つの最適化されたアルゴリズムとして機能するようになるのではないか。
「どうして?」を歓迎する風土と対等な関係性
完成されたマニュアルやシステムを与えるだけでは、人は思考を停止し、仏教でいう最初の段階である聞慧(もんえ)にとどまってしまうリスクがあります。それを防ぐためには、組織内のコミュニケーションのあり方をとらえなおす必要になります。
教える側が上から目線で接するのではなく、対等な関係性を築くことで、学ぶ側は「わからない」あるいは「どうして」という疑問を素直に口に出せるようになること。(参照 書籍『AI時代に生きる数学力の鍛え方』)新メンバーに、マニュアルの手順がなぜそのようになっているのかを、自らの言葉で先輩に説明させる機会(修慧(しゅえ)の機会)を設けることが、論理の定着に有効であること。
疑問を封殺するのではなく、プロセスの透明化と教え合いの風土を醸成することによって、摩擦の少ない円滑な人間関係と組織の一体感が生まれのではないかと考えます。
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数学的・論理的な思考は、単なる計算能力にとどまらず、他者とわかり合い、共に前進してゆくための強力な共通言語となるのではないかと考えます。
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ここからの文章では、「システム全体を俯瞰する力」を、実生活に直結する「米の価格高騰」という具体例に当てはめて考えてみます。強固なシステムの裏側を知り、既存のルールのなかで疲弊せずに「別の最適解」をみつけるための実践的なヒントを共有したいとおもいます。