介護や医療といった対人支援の現場では、長年の「経験」や「勘」が、重宝される傾向があります。もちろん、熟練スタッフの職人的な感覚が、患者や利用者の危機を救う場面はたくさんあると考えます。しかし、属人的な感覚に頼りすぎる運用は、現場のスタッフを不必要に疲弊させ、本質的な問題解決を遠ざけてしまう原因にもなります。
相関関係と因果関係はどうちがうか?
データから、問題点の本質を分析する思考法を提示した書籍『原因と結果の経済学』を拝読すると、現場で語られる「経験則」の多くが、実は「因果関係(原因と結果の関係)」と「相関関係(単に同時に起きているだけの関係)」を混同している可能性があることに気付かされます。
たとえば、介護現場で日常的に直面する「転倒」という事故があります。経験上、筋力や全身持久力が低下している利用者は、転倒リスクが高くなることが分かっています。そのため、「筋力が低下したから転倒した」と単純に結論づけられがちです。
しかし、これは単なる相関関係に過ぎないケースが少なくありません。実際には、筋力低下という要素に加えて、認知機能の低下、高次脳機能障害、さらには「つまづきやすい環境」や「歩行補助具の不適合」といった複数の環境要因が複雑に絡み合って、初めて転倒という結果が引き起こされます。経験則だけで片付けず、これらを緻密に分析して初めて、真の因果関係が見えてきます。
どうやって因果関係を分析するか?
因果関係を正しくみる際に、最大の障壁となるのが「第3の変数(交絡因子)」の存在です。これは、見かけ上の原因と結果の両方に影響を与えている隠れた要因のことです。
転倒事故のケースにおいて、現場の観察から認識できてくる強力な第3の変数は「不穏状態」です。利用者がイライラしている、不安を抱えている、徘徊や暴言がみられるといった精神的・心理的な不穏が生じたとき、目に見えて転倒リスクはおおきくなってしまいます。
ここでの課題は、こうした抽象的な状態をいかに客観的なデータとして扱うかという点です。個人の経験や勘だけで「あの人は今日不穏だったから転倒した」と済ませてしまうと、組織的な予防策にはつながりません。日々の記録業務の中で、どのようなキーワード(いらいら、不安など)が記述されているかを抽出し、不穏状態をデータとして可視化するアプローチが求められます。
しかし、現場の記録からデータを取り出す際にも、注意する必要のある項目があります。「データの偏り(バイアス)」と「逆の因果関係」です。
介護現場の記録は、何事もなければ簡素になり、事故やヒヤリハットが起きた時に限って詳細に書かれる傾向があります。つまり、転倒という重大な結果が起きた「後」だからこそ、スタッフが事後的に「そういえば今日は少し不穏な様子だった」と思い出し、記録に書き残しやすくなるという無意識のバイアスが生じます。
また、転倒して痛い思いをしたり、驚いたりしたこと自体が原因となって、その後に不穏状態が発生するという「逆の因果関係」も十分にあります。不穏が転倒を招いたのか、転倒が不穏を招いたのか。時系列が曖昧な事後記録のデータだけでは、この証明はとても困難となります。
これを防ぐためには、「何時何分にどのような様子であったか」を全利用者にわたって詳細に記録し続ける必要がありますが、ただでさえ多忙な現場スタッフにそれ以上の記録業務を強いるのは現実的ではありません。記録の負担が限界を超えれば、本来のケア業務そのものが破綻してしまいます。

経験や直感だけでなく、データに基づく論理的なアプローチが必要だと分かっていても、完璧なデータを集めようとすると現場が回らなくなる。このジレンマをどう乗り越えればよいのでしょうか?
平常運転内で、どうやってデータ分析をするか?
現場をデータで管理し、論理的に運用するためには、実務に負担がかかる無理なデータ収集を強いる以外の方法を見つける必要があります。
無理なデータ収集を強いることなく、因果関係を客観的に証明するにはどうすればよいのでしょうか?
因果推論の最も確実な方法は、対象者をランダムに2つのグループに分け、一方にだけ特定の働きかけを行い、もう一方には何もしないという「ランダム化比較試験」です。しかし、医療や介護の現場でこれを実施するのは極めて困難です。理由は、「転倒リスクを下げるための手厚いケアを、あえて半数の利用者には行わない」というアプローチは、明らかな不利益を、いっぽうのグループの利用者に強いることになってしまい、倫理的に許されないと考えるためです。
そこで有効になるのが、人為的な実験ではなく、日常業務の中で自然に発生している「たまたま条件が異なっている状況」を利用する「自然実験」や「疑似実験」という考え方です。

現場の記録をよく観察すると、意図してケアを変えなくても、日々の中で状況にはばらつきがあります。例えば、「スタッフの配置人数が手薄になってしまう曜日」や、「全体を見渡して的確に指示を出せる特定のキーパーソン」がシフトに入っていない日などです。こうした「自然に発生した条件の違い」を利用し、その日の転倒件数や不穏発生率にどのような差が出ているかを比較する。これならば、現場に新たな記録業務を増やすことも、倫理的な問題が生じることもないと考えます。
第三の要因を考慮する
ただし、ここで注意しなければならない点があります。ただ単純に「スタッフが少ない日」と「転倒件数」を比較するだけでは、真の因果関係は見えてきません。なぜなら、そこには結果を歪める別の要因が潜んでいるからです。
例えば、スタッフが少ない日が決まって日曜日だとします。日曜日は家族の面会が多く、利用者の生活リズムが普段と異なるため、それが原因で不穏になり転倒が増えているのかもしれません。この場合、転倒の原因は「スタッフの少なさ」ではなく「日曜日特有の環境」ということになります。
正しい比較を行うためには、こうした「転倒リスクに影響を与えそうな別の要因」=【第三の要因】の影響を取り除き、純粋にスタッフの配置状況による違いだけを抽出する工夫が必要です。
具体的にはその日の利用者数だけでなく…
・前頭葉機能低下により要求が多くなる利用者の数
・重度の認知症を呈している利用者の数
・入浴や特浴の予定人数
…など、現場の忙しさやリスクに直結する要素を洗い出します。
そして、これらを個別の事象として扱うのではなく、ひとつの客観的な指標に落とし込むというアプローチが非常に効果的だと考えます。
例えば、以下のような数式を作ってみます。
(手のかからない利用者数 + 手のかかる利用者数 × 2)÷ホールに常駐する職員数
この式を用いれば、単なる利用者数ではなく、手のかかり具合で重み付けをした「職員一人あたりの実質的な負荷指数」を算出できます。この指数という変数が、理論上の安全基準を上回ったとき、記録上のヒヤリハットを示すキーワードや実際の転倒件数がどう変化するかを分析できる「道具」となります。
「勘」を数値に置き換える
この作業の最大の意義は、熟練スタッフの頭の中にしかなかった「今日はなんだかバタバタしていて危ないな」という職人的な感覚を、誰が見ても明らかな数値データに変換できる点にあります。
「今日は手のかかる利用者が多いから気をつけて」という曖昧な言葉での引き継ぎと、「現在のフロアの負荷指数は基準値を超えているから、転倒リスクが極めて高い状態です」というデータに基づく警告では、明確な数値による指示ができるという大きな差が生まれます。
感覚をロジックに置き換え、統計や計算式を用いて現場を運用する。対人援助という人間相手の職場だからこそ、こうした論理的な管理が不可欠だと考えます。
どうやって分析結果を日々の業務に活かすか?
このようにしてデータ分析を進め、「職員の負荷指数が一定値を超えると転倒が増加する」という因果関係が証明できたとします。次に取り組むべきは、この分析結果を実際の現場の運用にどう落とし込み、課題を解決していく必要があるでしょうか?
しかし、ここで現実的な壁にぶつかります。「転倒リスクが高いから、すぐに新しいスタッフを雇って配置を増やそう」という解決策は、人件費の予算や慢性的な人材不足が常態化している現場では、ほぼ実行不可能です。リソースの総量を増やすアプローチは、経営的な視点から見ると非現実的だといえます。
ここで必要になるのが、必要なタイミングで、必要な人材を、必要な場所に配置するという動的な資源分配管理です。
データを細かく分析していくと、例えば午前9時30分から10時00分の間に負荷指数が跳ね上がり、それに伴って転倒リスクが急増しているといった特定のパターンが見えてきます。このピンポイントの危険時間帯に対して、通常なら利用者3人に対してスタッフ1人の配置であるところを、一時的に利用者2人に対してスタッフ1人の手厚い体制へと変更する…というような方法をとってみます。

全体のスタッフ数は増やせなくても、この時間帯だけ入浴介助の人数を減らしてフロアの常駐スタッフを増やすといった工夫を行えば、コストをかけずに危険なピークを平準化することができます。事実に基づくデータがあるからこそ、こうしたピンポイントかつ説得力のある配置転換が可能になります。
評価の継続が必要
このような新しい配置システムを導入し、仮に、実際に転倒件数が減ったとします。しかし、データから本質的な問題を見抜く考え方では、さらに検証を継続してゆく必要があります。
施策の導入前と導入後を単純に比較するだけでは、因果関係を正しく評価したことにはならないためです。因果推論の視点から見ると、前後比較には「トレンド」や「平均への回帰」という落とし穴があります。
たまたまその時期に気候が安定していて利用者の体調が良かっただけ(自然なトレンド)かもしれません。あるいは、たまたま前の月に転倒が異常に多く、今月は普段のペースに戻っただけ(平均への回帰)かもしれません。単なる自然な波や偶然を、人員配置変更の効果だと勘違いしてしまうリスクが常に存在します。
単純な前後比較の落とし穴を避け、人員配置の変更が純粋に転倒を減らしたことを客観的に証明するには、先ほど作成した「スタッフひとりあたりの負荷指数」という変数を再び活用します。
現場の運用・管理では、シフト変更後も常に理論上の理想的な配置が完璧に保てるわけではありません。日々変動し続ける「職員ひとりあたりの負荷指数」と、日々の転倒件数やヒヤリハットを示すキーワードの出現頻度の相関を、連続的なデータとして継続してトラッキングしていく必要があります。
日々の自然なばらつきの中でこの二つの変数がどう連動しているかを観察し続けることで、配置の変更が本当に効果を持っているのかを精緻に立証することができます。

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現場の理屈や「安全のため」という言葉だけでは、組織はなかなか動きません。ここから先は、単なる業務改善論を超えて、経営層を説得するために不可欠な「経済学的な視点」と、属人的な運用から脱却して組織を根本から変えるための具体的な戦略について掘り下げていきます。
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