北九州市から筑豊地域にかけてのエリアを歴史的側面からみるとき、一般的には、明治以降の「近代産業の歴史」を思い浮かべるのではないかと感じます。石炭、製鉄、さらにそれらを支えた人々の営み。これらは日本の近代化を牽引した重要な要素です。いっぽう、なぜこの場所がその役割を担うことができたのか?
「石炭が採れたから」という答えは、結果であって原因ではありません。なぜそこに石炭が集積したのか、なぜ搬出に適した地形が存在したのか。その根本的な理由は、人間が歴史を刻む数千万年も前に、地球自身の変動にありました。
書籍『自然のしくみがわかる地理学入門』(水野一晴著)に記された地理学的原理を補助線としながら、北九州・筑豊地域の地形と地質を構造的に分析します。そして、この土地が「産業都市」となることが、ふるくからの地殻変動によってあらかじめ設計されていたのではないかという考察をおこなってゆきます。
1. 断層と地溝帯
産業が成立するためには、資源が存在することに加え、それを効率的に採掘・運搬できる「場所」が必要です。北九州・筑豊地域においては、地質学的に「地溝(ちこう)」と呼ばれる構造が効率的に採掘・運搬を後押ししてくれた要因となりました。
1-1. 断層による大地の破断
現在の地形図を見ると、福智山(標高901m)などの山地と、直方平野や遠賀川流域の平地との間には、とても明瞭な境界線が確認できます。これは単なる侵食の違いではないと考えられます。


書籍『自然のしくみがわかる地理学入門』では、滋賀県の琵琶湖や京都盆地を例に、断層運動が地形に与える影響が解説されています。琵琶湖は、西岸と東岸の断層のあいだが沈降してできた「地溝」に水がたまって形成された断層湖です。また、断層は一度亀裂ができると、そこが弱点となり、繰り返し地震を引き起こしながら変位を拡大させていきます。
北九州・筑豊地域でも、これと同様のメカニズムが働きました。数千万年前、この地域には強い引張力が働き、地殻に亀裂が入りました。その結果、中央部がストンと落ち込み、巨大な谷(盆地)が形成されました。これが「地溝」です。福智山のような高所は、落ち込まずに残った「地塁(ちるい)」に相当します。

このダイナミックな高低差こそが、後の石炭層を受け止める「器」となりました。もし、この断層運動による陥没がなければ、植物の遺骸は雨風にさらされて分解され、土に還るだけだったものと考えられます。断層が作った「深い穴」があったからこそ、有機物が堆積し保存される環境が整ったと考えます。
1-2. 構造盆地の意味
このように断層運動によって形成された盆地を「構造盆地」と呼びます。筑豊盆地はその典型例です。硬い岩盤が底に沈み、その上に土砂や植物が降り積もっていく。この構造は、単に低い土地であるという以上の意味を持ちます。それは、周囲の山々から水と土砂を集める「集水域」としての機能を半永久的に維持する装置となりました。書籍『自然のしくみがわかる地理学入門』にある京都盆地の図版(P.64)が示すように、盆地の周辺には断層群が走り、盆地底には河川によって運ばれた土砂が厚く堆積します。筑豊においても、この「器」の構造が、後の石炭層形成の決定的な要因となりました。

2. 埋没した5000万年前の熱帯
断層によってできた「器(盆地)」の中に、満たされた何かが、のちの「黒いダイヤ」となる膨大な植物群です。
2-1. 変動する気候と海面
今から約5500万年前から3000万年前にかけての地質時代「新生代古第三紀」、地球は現在よりも温暖な気候でした。当時の北九州・筑豊地域は、熱帯から亜熱帯の気候区分に属し、現在の東南アジアやアマゾンのような湿潤なジャングルが広がっていたと推測されます*1。書籍『自然のしくみがわかる地理学入門』P.16ー19では、氷河期と間氷期のサイクルに伴う海面変動(気候性海水準変動)について詳しく触れられています。氷河期には海面が下がり、間氷期には海面が上がるという現象です。石炭が形成された古第三紀は、これらのサイクルとは比較にならないほど長期的に温暖な時代でしたが、「海面が上下する」というメカニズム自体は共通しています。
温暖な気候は植物の爆発的な成長を促し、海面の上昇はそれらを水没させ、泥の中に閉じ込める役割を果たしました。本来、石炭の多くは「古生代」の植物に由来しますが、日本の石炭は比較的あたらしく、この「新生代」の植物が起源である点も特徴です*2。
2-2. ひとの力で蘇った六ヶ岳のメタセコイア
このとても古い森の主役の一つが「メタセコイア(アケボノスギ)」です。大昔の北半球に広く分布し、石炭の主要な構成要素となったこの植物は、日本では一度絶滅しました。しかし、なんと、福岡県鞍手郡鞍手町から宮若市にかけて位置する「六ヶ岳(むつがたけ)」の山麓、長谷登山口付近には、数本のメタセコイアが生育しています。



場所:福岡県鞍手郡鞍手町大字長谷
座標値:33.7525983,130.6778915
この写真からは、苔むした赤褐色の樹皮や、空に向かって真っ直ぐに伸びる巨木特有の力強さがはっきりと見て取れます。また、湿潤な土地に適応した根元の板根状の広がりも確認できます。これらは戦後に植樹されたものと考えられますがメタセコイア(アケボノスギ) | 小石川植物園、その存在意義は重要であると考えます。六ヶ岳の地下深くには、かつてのメタセコイアたちが圧縮され、石炭となって眠っています。そして地表には、その子孫にあたるメタセコイアが茂っています。地下の「死んだ化石(エネルギー源)」と、地上の「生きた化石(植物)」が、数千万年の時を超えて同じ座標で存在しているこの風景は、この土地の来歴をあらわしてくれていると考えます。
*1:尾崎正紀(1992)日本における古第三紀植物群の変遷と古気候変化.地質調査所月報,43(1/2),69-85.