場所:沖縄県国頭郡国頭村字宜名真
座標値:26.853805,128.251959

沖縄県北部、辺戸岬から南西に約2.4km地点に『戻る道』と名付けられた場所があります。現在は、車が通れるほどの幅がある道ですが、1910年以前の当時は、人がひとりやっと通れるほどの道幅しかなかったそうです。人が向こう側からやってくると、道をゆずるために、どちらかの人が道を戻らなければならなかったために『戻る道』と名付けられました。
地質図naviで確認すると『戻る道』がある場所は、「泥岩や後期白亜紀付加体」で構成されている地質と、「石灰岩や後期ジュラ紀-前期白亜紀付加体」で構成されている地質との境界にあたる地域です。

『戻る道』あたりの地質を観察してみます▼


ところどころに白っぽい岩石がまじっています。泥岩のなかに石灰岩がまじっているようにみえます。

『戻る道』をさらに北上すると、道の両側の岩石は、白っぽいものが多くなっているようにみえます。白くなっているのは、石灰岩の含有率が高くなっているためなのかもしれません。

堆積岩らしく、層状の模様がみえます▼

いっぽう▼こちらの岩肌は『戻る道』よりも300mほど南下した場所のものです。地質図naviから推察すると、主に泥岩で構成されていると考えられ、全体的に黒っぽい色をしています。こちらも堆積岩らしく層状の模様がみえます。層が斜めになっていて地層が褶曲(しゅうきょく)されたことがわかります。

下に示す座標値ふきんに、當山正堅氏の記念碑が建てられています。『戻る道』の道幅を広げたひとです。
座標値:26.854437,128.249942

案内板『戻る道』
宜名真集落の後方から約80mの断崖絶壁を登ると、辺戸上原とよばれた耕地に適した土地があった。宜名真の人々は辺戸上原へいくために岩の裂け目を利用した長さ約100mの狭い道を通っていたが、その道は人が1人通るだけの道幅しかなく、道の途中で人が出会うとどちらかが道を戻らなければならなかった事から「戻る道」と呼ばれていた。通行困難であるために土地をうまく利用できず、宜名真住民は貧困に苦しみ、年々不就学児童がふえていく状況であった。
1912年、辺戸尋常小学校校長に就任した當山正堅先生はそのことを知り、岩を開削し道幅を広げる工事を行う事を呼び掛け、地元住民が総出で行うことになった。工事は1913年5月に開始され同年11月に完了した。この講師によって道幅は広がり、牛馬も通れるようになった事から辺戸上原地区の開拓が急速に進められたという。