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天疫神社にまつられる庚申塔 福岡県北九州市小倉北区下富野

福岡県北九州市小倉北区の街のなかに、こんもりとちいさな杜がのこっている場所があります。天疫神社(てんえきじんじゃ)です。神社周囲には住宅が密集しており、路地も狭く、交通量もおおいので、駐車できる場所を確保するのはむずかしいとおもっていました。しかし、神社境内に数台の駐車スペースがありますので、とてもたすかりました。

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神社東部にあたる「下富野三丁目」交差点ふきんに境内に車で進入できるポイントがあります(Google map)。境内に車をとめさせていただき、境内を散策します。訪れたのは2021年5月9日、陽のあたる場所は暑い。おおきな樹が境内に木陰をつくってくれているので、境内はすずしくなっています。

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拝殿にむかって左手側に庚申塔がまつられていました。「興玉神(おきたまのかみ)」と刻まれています。

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場所:福岡県北九州市小倉北区下富野1丁目

座標値:33.880966,130.896713

 

庚申塔の裏側に「寛政十一未年正月日」ときざまれています。寛政11年は西暦1799年、この年の干支は己未(つちのとひつじ)です。未(ひつじ)という文字が庚申塔にもきざまれているので情報は整合します。

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境内の神社案内板をよんでみると、氏族の繁栄、農作物の豊作、災厄をおいはらうという願いをこめて天疫神社は建てられたということです。天疫神社がたてられたのは西暦941年。庚申塔は1799年の建立なので、江戸時代に庚申信仰がはやったときに天疫神社にまつられたと想像されます。




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