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享保の飢饉でなくなったかたを供養する六地蔵 福岡県北九州市若松区本町

享保17年(1732年)の飢饉でおおぜいの餓死者がでた際、餓死者を供養するためにつくられた六地蔵さまが北九州市若松区本町の善念寺境内にまつられています。その情報が紹介されていたのが『北九州市史(民俗)』P.578です。

 

場所:福岡県北九州市若松区本町

座標値:33.903588,130.811543

〒808-0034 福岡県北九州市若松区本町1丁目7−31 善念寺の六地蔵

『北九州市史(民俗)』P.578をそのまま抜粋すると以下のようになります。

 

享保十七年(1732)の飢饉で大勢の餓死者が出たので、庄屋の石井正五郎重勝が、餓死者の霊を慰めるために作ったものと伝承されている。八月二十四日の地蔵盆には、遠近の信者が大勢参拝し、香煙がたちこめ大変にぎわう。

善念寺の山門をくぐると、正面へ参道がのびています。参道を20mほどすすむと正面に比較的あたらしい六地蔵と巨大な1基の地蔵さまがまつられています。
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おそらくこれらの六地蔵は、比較的あたらしくつくられた印象があります。目的とする、享保年間につくられた地蔵尊ではないようです。周囲をみわたしてみると…
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左側に鉄門があり墓地へと参道がのびています。この墓地の入り口ふきんに、古い六地蔵さまが祀られていました。
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首を折られているものもあり、比較的ふるい印象をもちます。これが目的とする享保年間に作られた地蔵尊と考えられます。
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