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大晦日の夜に独りパリを歩くとき、最も気をつけることはなにか。

老人が集うビアバーを後にして、僕はシャンゼリゼ通りへと向かった。パンテノンの周辺とは違い、セーヌ川沿いは多くの観光客で賑わっている。

セーヌ川を超えたあたりで、近くにノートルダム大聖堂があることに気づいた。2019年に火災で一部が焼失したあと、最近になって修繕が終わったのだ。10年前に一度見ているが、久しぶりに寄ってみようと思った。

来てみると、確かに以前と変わらぬノートルダム大聖堂の姿がそこにあった。記念写真をとる観光客も多い。夜にひっそりと佇むノートルダム大聖堂を見ながら、僕は大晦日の夜にパリを歩くときに最も気をつけるべきことを思い出した。

それは尿意である。

ご存知のようにヨーロッパの都市には公衆トイレはない。コンビニもない。道中でトイレに入りたくなったときにはカフェかレストランに入る必要がある。

しかし今日は大晦日。

開いている店は少ない。流石にシャンゼリゼ通りに行くまでに入れそうな店の一つや二つあるだろうと再び歩き始めたは良いものの、どの店も混んでいて入れそうにない。

焦った僕は仕方なくメイン通りを外れ、あまり客がいなさそうな店を探すことにした。横道に入り、探すこと数十分。もう店を探すことを諦め、外で致す場所を探し始めていたとき。

少し遠くの十字路にビストロの明かりが見えた。人通りは少ないし可能性はありそうだ。近づいてみると確かに営業しているビストロだ。やや古ぼけた店だが、テラスは埋まっていない。店内にも空席があり、しかも1人用の席もある。これは僥倖。

普段独りでビストロなんて入らないが、背に腹は代えられない。僕は勢いよく店に入った。

「ボンジュール」

と言うと店員が出てきた。英語で言葉を交わして、すぐ近くの席に座った。珍しいことに隣に独りの老婆が座っていた。

すぐにでもトイレに行きたいところだが、まずは落ち着いて注文をする。トイレを使いに来た客だと思われては沽券に関わる。レフ・ブロンドを注文した。

ところで大晦日の夜に年老いたマダムが独りビストロにいるのはなぜだろうか。そんなことを考えていると、彼女の方から話しかけてきた。今日は老人と縁がある。

「ごめんなさい、フランス語は喋れないんです」

と返すと、

「あら、どこからいらしたの?」

と流暢な英語で話しかけてきた。

「日本からです。フランスに住んではいるんですけど、来たばっかりでして。マダムはパリにお住まいですか?」

「そうね。生まれてからずっとパリなの。もう70年になるわ」

そう言って老婆はかつてを思い出すかのようにワインを口にした。

僕はそろそろ限界だったので、マダムに断ってトイレに行った。ようやく事を成した安堵感でしばらくトイレに籠もった

戻ってくると彼女はすでにいなかった。

70年前ということは、彼女が生まれたのは1950年代のパリだ。世界大戦が終わり、以降30年にわたる高度経済成長を遂げていく時代である。その30年間に彼女の青春があったのだ。

まだ「インターネット」が存在せず、街中のカフェで人々が交流していた時代のパリ。サルトルやメルロ=ポンティ、ジャック・デリダやロラン・バルトといった世界的思想家がいたパリ。政治の季節が吹き荒れ、世界が急速に消費社会へそしてポストモダンへと移っていった時代のパリ。

その頃の大晦日はどんな雰囲気だったのだろうか。僕はあのマダムが10代だった頃を想像しながら、残りのレフ・ブロンド飲んだ。そして僕の2024年はあと30分で終わろうとしていた。

 

 




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