以下の内容はhttps://www.kotanin0.work/entry/2026/03/28/233000より取得しました。


自分は鶴か雀か

どうもこたにんです。

 

「鶴の一声」っていうことばあるじゃないですか。

多くの人の議論や意見をおさえつける、有力者・権威者の一言
有力者や権威者といった“すぐれた者”が発する一言

のような意味があり、しばしば仕事で聞くこともあるかと思います。

「社長の鶴の一声で方針がひっくり返った」みたいに。

 

このことばって、実は前の文が存在していまして。

「雀の千声 鶴の一声」らしいです。

雀の千声とは「つまらない者や力のない者がいくら多くの意見を言っても、大した影響力を持たない」ということ。

 

つまり全文の意味はこうなります。

つまらない者がいくら大勢で騒ぎ立てても(雀の千声)、優れた力を持つ人の一言(鶴の一声)には敵わないこと

ただの鶴の一声ではなく、対比として雀の千声が表現されているわけです。

 

ここで大事なのは、自分はなのかなのかということ。

それすなわち、影響をもたらす人もたらされる人かということ。

もっとわかりやすいストレートな言葉を使うと、支配するのか支配されるのか。

「コントローラブル」という表現をすることによって適切なマネジメントのアクションに聞こえますが、ただ「支配」ということばを置き換えたに過ぎません。

 

自分が支配している領域では自分は鶴となり一声を発することができます。

支配していない領域では自分は雀なので何をやっても千声です、いくら発しても鶴の一声には敵いません。

これは紛れもない事実です。

 

一声をあげる鶴は、鶴である所以があります。

「そこに影響をもたらすことのできる立場」である明確な理由があるということです。

組織の責任者とか、最初の例だと会社の社長とかね。

 

鶴はなにもその場の思いつきで衝動的に声を上げているわけではありません。

雀には見えないものを見ているし、雀が知らないことを知っているし、雀では想像できないことを想像しています。

鶴として一声発すべきに値する責任をもっていて、一声発するまでの過程があるわけです。

 

そんな背景を知らずに「鶴の一声」で片付けてしまわないようにしたいものです。

一声は発さなくてもいいので、鶴の事情がわかるくらいにはなりたいものです。




以上の内容はhttps://www.kotanin0.work/entry/2026/03/28/233000より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14