どうもこたにんです。

後日レビュー記事を書きますが、『シンギュラリティはより近く』という本を読んだのですよ。
その中のほんの一部の話を。
AIがこれからより加速度的に進化していくにあたって、AIは人間の脳を限りなく再現しようとします。
その中でふたつの選択肢が展開されています。
・人間の脳をコンピューターに置き換えていく
・外部にあるコンピューターに人間の記憶を移植していく
ひとつめは「テセウスの船」的な課題に突き当たります。
脳を部分的に機械に置き換えていって最終的に全てを機械に置き換えたとき、それは果たして自分と同一とみなせるのか?という問いです。
ふたつめは「レプリカント」と称する存在をもたらします。
外部コンピューターに自分と全く同じ経験の記憶を完全に同期したとき、そのコンピューターは自分なのか?別物なのか?という問いです。
これらはいずれも「意識」の課題です。
私以外の存在に対して意識があることを認めるか?という哲学的問題になります。
「クオリア」や「哲学的ゾンビ」というキーワードでピンとくる方もいるかもしれません。
本書は、AIの未来やシンギュラリティをテーマにした本ですが、中身としてはそれにまつわる哲学的問題や安全性と危険性、これまでの人類史などまで深く掘り下げている本書。
ぜひオススメです。
今回は本書のオススメではなく、その中で感じたひとつのこと。
本書では「大脳新皮質が機械化されるのは2030年代だ」ということが強調して何度も語られています。
脳を置き換えるでも外部媒体に同期していくでもいいですが、そのときに必要なことは何かと考えさせられまして。
自分自身しか知覚できない意識(クオリア)を機械に宿らせて、その意識を認める。
AIによって生み出されたレプリカント(人間のような存在)にも意識が宿っていることを認められるし自分の意識も複製できる、そう思えるようになることが必要だと感じました。
昨今のAIの技術において、顔や姿や声のデータを与えることで自分に模した映像や音声を生成することはできています。
先ほど挙げた「レプリカント」と呼ばれる存在の一歩目にあたる技術革新です。
ただ、そのAIに対して何を喋らせてどういう動きをさせるかは、人間がプロンプトを使って介入する必要があります。
その人がこれまで書き残してきた文章などをインプットにすれば、その人が喋りそうなことを生成することはできるでしょう。
ただしそれではまだ意識がありません、哲学的ゾンビです。
そこに意識があることを認めるには、自分の意識をAIに認識させる必要がある。
言い換えると「自分の意識をコンピューターに認識できるデータにすること」だと感じました。
2030年代になれば、人間の意識をコンピューターに同期する方法すらAIが導き出しているかもしれません。
それはそれで良いですが、そのときになってはじめて外にある意識の存在を認めるかどうか考えるのだと遅いです。
とにかく少しでも早く「自分の意識をコンピューターに認識させてレプリカントに意識が宿ることを自認する」のが大事だと感じました。
真の意味で「もうひとりの自分」を作り上げる。
そのためには、「思考」のそのさらに深いところにある「意識」をアウトプットし続けてデータにしておくべき。
そのために今の自分にできることは「意識を言語化すること」しかないと思いました。
思考の根底にある反射的に感じるもの、考えのベースとなる経験に含まれる成分。
可能な限り無意識も減らして、意識の支配下にあるものをとにかくアウトプットする。
「何に対する意識」をアウトプットするかというと、対象は森羅万象。
このブログの記事たちはそれに近しいものは多いが、思考だけでなく意識をアウトプットするようにする。
AIフレンドリーに、なるべく構造化してアウトプットする。
そのアウトプットたちを来たるべきときにレプリカントの素材にする。
機械に意識が宿ることを自認するために。