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「ジョジョっぽさ」の壁に挑む一冊。『岸辺露伴は動かない 短編小説集(1)』感想

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もちろんのように『ジョジョの奇妙な冒険』は大好きなので、付録目当てで買ってきました、ウルトラジャンプ。

『岸辺露伴は動かない 短編小説集(1)』

わざわざ(1)ってことは、やはり(2)の企画が進行中? 普通にウルトラジャンプの次刊予告に(2)が付録だと書いてありました・・・。

 

少し薄いとはいえ、雑誌の付録に一冊丸々文庫本が付いてくるなんて・・・。

ちゃんとカバーが付いていて、装丁がしっかり「文庫本!」なのもGOOD。

 

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収録されている作品は、全部で3つ。簡単なあらすじと文章量はこんな感じ。

 

『幸福の箱』北國ばらっど

知り合いの古美術商の家に招かれた露伴は、風呂敷に包まれた箱を見せられる。酷くセンスを欠いた客間で起きる奇妙な一幕。(52P)

 

『くしゃがら』北國ばらっど

露伴はある日、同業者(漫画家)に「くしゃがら」という単語を知らないかと尋ねられる。ネットや辞書、ありとあらゆる物を調べても、その単語の意味に辿り着けないというのだ。(47P)

 

『Blackstar.』吉上亮

<スパゲッティ・マン>。それは、それを探ろうとした人物の視界の端々に出現する謎の男。男は、土地も時もすべてを超越して現れる。好奇心からその男を探る露伴の運命は・・・。(54P)

 

 

 

「ジョジョの小説化」というと、もちろん多くの前例があるのだが、『岸辺露伴は動かない』シリーズとしては初。

あえて言うならば、濃密な荒木ワールドを他の作家が再現するというのは、非常にリスキーな所業である。

あそこまで特異な「作家性」は、そうホイホイと追随できるものではない。

 

そういう意味で、荒木先生に「自分が描き切れなかった第4部の要素がある」とまで言わしめた乙一氏の『THE BOOK』は、「小説という媒体で荒木先生の作家性を追う」という形のひとつの正解だったと言えるだろう。

(とはいえ個人的には、康一くんのメタ発言だけはやっちゃ駄目だったと未だに思っているが・・・)

 

 

 

 

 

また、上遠野浩平氏の『恥知らずのパープルヘイズ』も、たった数日間の出来事だった第5部の余韻たっぷりなエピローグとして、そしてファンサービスに満ちた作品として、今でもよく読み返す作品だ。

 

 

 

 

 

「ジョジョの小説化」の逃れられない宿命として、原典の圧倒的な存在感とインパクトから、「脳内でついつい荒木絵&荒木演出のスライドショーが始まってしまう」ことが挙げられると思う。

 

吹き出しの形や、丸かったり斜めだったりするコマ割り、冷や汗を垂らす登場人物に、ゴゴゴゴゴゴの擬音が踊っていそうな張りつめた空気感。

その作家が自分のカラーを出そうとしても、まさに「引力」とでも言うべき荒木ワールドの力に強制的に引っ張られてしまう。

 

だからこそ、その逃れられない「ジョジョっぽさ」とどう折り合いを付けるかが、同作の小説化におけるひとつのポイントなのではないだろうか。

 

 

 

その点、今回の『岸辺露伴は動かない 短編小説集(1)』は、2人の作家が非常に対照的な答えを弾き出している。

 

『幸福の箱』『くしゃがら』の北國ばらっど氏は、その逃れられない「ジョジョっぽさ」に、完全に身を添わせた。

むしろ「小説」という媒体で「漫画」をやると言わんばかりに、脳内再生される「漫画のジョジョ」を文字で再現するような形を取っている。

 

特に印象的なのは、台詞回しだ。

例えば、『くしゃがら』におけるこの台詞なんか、完全なる「ジョジョっぽさ」に満ち溢れている。

こういう聞いてもいないこだわりをペラペラと喋りだすのは、ジョジョのキャラクターに「ありがち」だ。

 

十五は、その開封済みの封筒を開きながら、話し始めた。

「先日、<担当編集>が変わった……。前の担当は仕事のできるやつだったぜ。ポテトチップスの趣味も合うし……<ホームアローン>は3が好きってとこも良い。邦楽しか聴かないやつだったが、いつも聴くのが<ミッシェルガンエレファント>ってのがサイコーだった……仕事明けでガンガンにかけてもノってきてくれたからなあ」

 

北國ばらっど氏は、台詞から演出から「奇妙な箱に遭遇し段々と奇怪にのめり込んでいく」「ひとつの単語の意味が分からないことで人間性を欠いていく」といったシチュエーションに至るまで、非常に丁寧に「ジョジョっぽさ」を追及している。

おそらく、ご自身もジョジョが大好きなのだろう。

だから、あえて意地悪な言い方をすると「二次創作っぽい」とでも言えてしまうのだけど、我々ジョジョファンも容易に「脳内再生」が可能な作品に仕上がっている。

 

「ここはおそらくこういうコマ割りで、露伴は今、あんな顔をしているだろう」。

それがシームレスに紡がれ続けるのが、『幸福の箱』『くしゃがら』だ。

個人的に好きだったのは『くしゃがら』の方で、余韻を残しつつも鮮やかな幕引きが、とっても「『岸辺露伴は動かない』のラストっぽい」。

 

 

 

続いて、吉上亮氏の『Blackstar.』は、今度は「あくまで小説という文字媒体でどこまでジョジョらしさを追及できるか」という観点で描かれている。

 

台詞の量は最小限に留められ、とにかく地の文を多めに、そして観察記録とでもいうべき「謎の男<スパゲッティ・マン>と遭遇した者たちの末路」が淡々と語られていく。

『岸辺露伴は動かない』シリーズは回を重ねるごとに段々と露伴自体が動き回ることが多くなったが、この『Blackstar.』は、初期の『懺悔室』『六壁坂』あたりの「露伴はまず第三者が遭遇した過去の事例をとにかく見聞きするだけ」というフォーマットに則っている。

 

「どんな写真にも写り込む謎の男」「いつどこに行っても遭遇する謎の男」は、まるで世界中の人の夢に出現するという「This Man」を想起させる。

 

matome.naver.jp

 

そういった実在の都市伝説をモチーフにしたかのような物語構成は非常に「ジョジョっぽい」が、それを延々と露伴の独白ともとれる調査結果で綴っていくのは、北國ばらっど氏の方法論とは対照的だ。

もちろん、荒木先生もジョジョに限らず説明文を綴り続ける手法はよくやっているのだが、この『Blackstar.』くらいの文章量になってくると、流石に小説の方が適しているのかもしれない。

 

そして、「まず第三者が遭遇した過去の事例をとにかく見聞きする」だけだった露伴は、次第にその「当事者」になっていく。

ついに<スパゲッティ・マン>が背後に迫ってからの怒涛のクライマックスは、手に汗握る構成だった。

さり気なくミスリードを誘った構成があったのも嬉しい。(まんまと騙された)

 

・・・といった感じで、逃れられない「ジョジョっぽさ」に、思いきって添うのか、ある意味対抗してみせるのか。

2人の作家が出した答えは、結果として読み味の異なる作品を一冊の本にまとめることに成功していると思う。

 

これが・・・!これがたったの690円(税込)・・・!安すぎるッ!

「買わない理由は無いじゃあないか」な一冊。(2)も楽しみです。

 

 

 

 

 

 

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