
人生の道に遠回りはないのかもしれん。
今週は短い。月曜が休みだっただけで、こんなにも気持ちが軽くなるのかと思う。でも朝は普通に眠いし、ちゃんと疲れも溜まっている。結局、人間の体はカレンダー通りには動かない。それでも、水曜の時点で「もう半分か」と思えるだけで、少し救われる。
沖縄はいきなり25度。まだ2月だろってツッコミたくなるけど、空気はもう初夏の入口みたいな顔をしている。今年の夏も暑いらしいし、クーラーと電気代のことを考えると、今からじわじわと胃が痛い。季節は待ってくれないし、財布も強くはない。
最近は何をやっているかといえば、仕事をして、帰ってきて、コントラポストの練習。肩と腰が逆方向に傾く人体構造を勉強していた。チャッピーくんと一緒に「重心がどうだ」「重力線を下ろせ」と言いながら描いているけど、正直ちゃんと理解できている気がしない。とりあえず描いてみる。描いて、また線を引いて、「なんだこれは」と首をひねる。その繰り返し。



でも、お絵描きって筋トレに近いと思う。シルエットだけ真似ることはできる。二次元の記号として処理するなら、それなりに整えることもできる。でもそれだと、どこか薄い。リアリティが出ない。三次元の世界を二次元に落とし込むには、世界が立体であることを、自分の身体で理解していないといけない。骨格や重心、重さのかかり方。そこをすっ飛ばすと、どこか嘘くさくなる。
とはいえ、ここまで真面目に勉強してどうするつもりなんだ、とも思う。僕はプロの画家になるわけでもない。ただの雑学かもしれない。それでも今は、熱が入っている。興味が向いているうちは、たぶん止められない。
ここでふと考える。最終的に自分はどうなりたいんだろう、と。目的を先に置いて、そこから逆算して努力を組み立てる。それが合理的だし、効率もいい。でも僕はいつも、目の前の面白さに引っ張られて、未来図をぼんやりさせたまま動いている気がする。この勉強がどこに繋がるのか、正直よくわからない。
ただ、振り返ると「無駄だった」と言い切れる時間は案外少ない。病気で何もできなかった時期も、あの時は人生最悪だと思っていたけど、今では「ああいう時間もあったな」と言える。あの経験が、物の見方に影を落とし、同時に奥行きを与えているのも事実だ。
そう考えると、何かにどっぷりはまり込む時間も、人生には必要なのかもしれない。頭でっかちに損得を計算するより、その時の自分が面白いと思えることにちゃんと向き合う。やっている最中は意味なんてわからなくても、後から有機的に繋がってくることがある。
僕にとって、絵や小説は、見えている世界をどう表現するかという実験みたいなものだ。身体の構造を理解することも、言葉のリズムを探ることも、結局は同じ方向を向いている気がする。全然関係ない資格の勉強をするよりは、まだこっちの方が自分の地層に堆積していく感じがある。
人生は効率だけでは測れない。効率でいえば、今のコントラポスト研究なんて、かなり遠回りだ。でも、遠回りの道端で拾った石が、後から宝石になることもある。合理性に寄せすぎると、そういう偶然の芽を自分で摘んでしまう気もする。
だから今日も、とりあえず描く。肩と腰のズレに悩みながら、重力線を引いてみる。意味があるかどうかは、未来の僕が決めればいい。今の僕は、今やるべきことを一つずつやっていく。それでいいんじゃないか、と思っている。