
一日中、イラストの練習してたな。
結局今日はずっと一日自宅でダラダラしていた。洗濯物を乾かすためにコインランドリーに行く以外には外出もしていない。
ちょっとNetflixで「イクサガミ」などを見たりなどしながら、絵の基礎練習を一日中やってたような感じ。相変わらず体の描き方の練習をしてるのだけど、ピンタレストの写真を模写してこのような絵を描いている。

まー、これはそこまでリアルに描いてないので別に規約には引っ掛からんだろう。
体の厚みの立体は描けているが、相変わらず腰回りの体重がどこに掛かってるのかを描くのができてないのである。基本的なデッサン不足。クロッキーとかちゃんとやってないのがいかんかなという感じ。
しかしまー、今からクロッキーとかデッサンの基礎訓練をやり直すのか? と微妙に悩む。ここ最近はイラストをやりたいからやってるけど、僕の趣味というのは4半期ごとに変わる。
僕は基本的に文章の人である。今、イラストを練習してるのも脳内で展開されてる物語のアニメの解像度を高めることができるのではないか? という思惑でイラストの基礎練習を展開してるのだ。
自分のイラストにかける熱量というと、小説が8だとするとイラストは2ぐらいだ。これにそもそもそんなにエネルギーを費やす必要はあるのか? と自問自答するのだけど、なんかiPad買っちゃったしなーというサンクコストで動いちゃってる部分が大きい。
書きたい小説のアイディアというのも結構多い。以前ブログでも書いた東方二次の布都の話を元にしたオリジナルとか、「私のいないキャンパス」の結末編とかのアイディアは転がしてあるのである。そもそもお前、伊勢旅行まで取材に行ったのに玲と真輝の話の続編をいつまで放置するつもりだという話である。
イラスト趣味と小説趣味の融合みたいなことができたら強いよなと思う。いっそのこと漫画を書いてみてはどうか? などと考えたりするのだけど、そうするとまたしても時間が、リソースが、という話になってくる。
創作趣味は一生満足というのがないのかもしれない。脳内のビジョンを100%再現した小説やイラストを書ければ満足できるかもとは思うけど、満足してしまった人はそもそも次の作品を作らない。
創作でドライブする源泉って、自分の脳内のビジョンを再現できない不満から来てるんじゃないのかなーと、今日の昼間にチャッピーと話していた。小説のキャラクターたちのイラストをAIに生成させてみると、自分の書いた絵より細かく微細に作り込まれた絵ができるけど、全く脳内のビジョンとは別物が出来上がるのである。
そういう自分のビジョンを妥協して、既製品のようなAIイラストで満足するというのはできんなというのが最近の僕のAIイラストに対する考え方である。非常にそれっぽいものが出来上がるが、これは他人視点でいいと言われてる要素を最大化させて作られた偽物のようなものであり、自分の中にあるキャラクターではない。というか、一度うちの子たちの下絵を読ませてAIに完成品のイラスト描かせてみたけど、そのビジョンに引っ張られてスランプになったので「二度とやるまい」と思った。
結局、小説にせよイラストにせよ、自分の手でちまちまと積み上げて完成作を作らないと、自分の満足できるような作品にはならないのだろう。でもって、出来上がった作品をみるとまた「これじゃない」と言い始めて次の構想なんかを考え始める。
自分の脳内のビジョンに対して、ずっとそれを追い求めてさまざまな技術を高め続けるのが創作者という生き物なのかもしれない。別にAIイラストがいかんというわけでもない。まぁ、僕も背景はAIに描かせたりとか、ラフをAIに読ませてどこが歪んでるか聞いて練習もしたりするし、使い所だろう。