
先日、とある取材で梅ヶ丘や豪徳寺あたりを歩いていた。
そのまま世田谷線沿いに足を伸ばして松原へ。
松原の隣は、かつて私が住んでいた街──大好きだった下高井戸だ。
噂には聞いていたし、変わることも分かってはいたが、実際に目にすると、やはり景色はかなり変わっていた。
そこはもう、私にとっては縁遠い、ずいぶん「昔の場所」になっていた。
少しスピリチュアルな話になるが、私は「地のパワー」のようなものを信じるタイプだ。
下高井戸を離れたのにも、理由がある。
あれは、とある夏の終わりの日。
あの日、私はこの土地から「もう終わりだね」と別れを告げられた気がした。
それをきっかけに引っ越しを考え、準備を始めた。
下高井戸という場所との “つながり” が、ぷつんと切れたような感覚。
縁がなくなったというか、疎遠になったというか。
人間関係でも、よくあること。
そしてそれは、土地でも同じなのではないかと私は強く信じている。
※そのことについては、過去にも書いていた↓
・人それぞれ「その土地との相性 (自分だけのパワースポット)」ってのがあると思う - 羽鳥商店
・さようなら、暑く熱く我武者羅で、苦く甘く切ない2025夏 - 羽鳥商店
家でも場所でも、初めて来たのに「ここ、いいな」と感じる場所がある。
そういう所は、自分と地の “波長” のようなものが、ぴたりと合っているのだろう。
ただ、それもその時だけの一致かもしれないし、実際に住んでみたら疎遠になることもある。
人間と同じ。
すべては、同じ。
今、私が住んでいる場所。
最初は、どこか部外者のような感覚があった。
コロナが落ち着いたあともしばらく、「まだ受け入れられていないな」という感覚が続いていた。
だが、ある時期を境に、ふっとそれが変わった。
この土地に迎え入れられた。
ウェルカムされた。
ようやく仲間になれた──そんな感覚があった。
今では、この場所と一体になっている気がする。
大好きな場所だし、このままここで人生を終えるのかもしれないとも思う。
ただ、それもまた人との関係と同じで、ある日突然、終わる可能性だってある。
疎遠になることもある。
その時は、その時だ。

今回、下高井戸から松原あたりを歩いたが、そこはもう完全に「思い出の場所」になっていた。
いろんなことを思い出し、いろんな人の顔が浮かぶ。
けれど、そのほとんどは、もう過去のもの。
空気も、あの頃の “進行形(ing)” ではない。
すべてが “過去形(ed)” になっていた。
今ここに住んでいる人たちにとってはingだけど、私にとってはed。
それはまるで、映画のセットの中にいるような感覚だった。
私とこの土地とのつながりは、完全に切れていた。
縁も、もうない。
私はただの部外者として、どこかよそよそしくその街を歩いた。
もうここに来ることはないだろう、と思いながら。
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