
ポータブル電源で有名なあのJackery(ジャクリー)が「瓦のようなソーラーパネル」を年度内に生産開始するとのニュースを見た。
※↓参照
日本での発売は未定だというが、きっとそのうち発売されることだろう。
なぜこのニュースに私が反応したのかと言うと、ものすごい昔、親父に悪いことをしたな……と思い出したからだ。
ちょうど放浪の旅をしていた時期。
一時帰国した2005年の頃だと思う。

羽鳥家は代々続く屋根瓦屋であり、私は「瓦屋のせがれ」として育った。
埼玉県鴻巣市にある羽鳥家の本家へ40年以上前に行った時、瓦を作る原始的な機械みたいなのがあった。
なので曽祖父の代は実際に瓦も作っていたのだろう。
祖父を含む羽鳥家の兄弟はそれぞれ屋根瓦に関係する仕事に就き、祖父は丁稚奉公として上京。
日暮里で修行をした後、独立して中目黒の駅前に瓦問屋「羽鳥商店」を開業。
その後いろいろあって世田谷に移転。
2005年は、まだかろうじて祖父、親父、叔父の3人による「羽鳥商店」は営業していた。

当時 (25歳ごろ)の私は少し焦っていた。
将来どうなるのかと焦っていた。
今は自由気ままに物書き仕事を抱えながら旅人をやっているが、その後も漫画家・ライターとして食っていけるのか。
はたまた、私も親父のように瓦問屋「羽鳥商店」を継ぐことになるのか。
どちらにしても、現状、瓦業界は斜陽産業。
このままでは瓦業界に未来はない。
今のうちに何かデカい革命を起こさなければ、私の代まで続かない。
そんな時に “瓦革命” のアイデアとして胸に秘めていたのが、まさに今回の「ソーラー瓦」だった。
瓦の美しさも保ちつつ、ソーラー発電機能も内蔵。
パネル式でジョイントし、もし故障したら、故障した「ソーラー瓦」だけを交換すれば良い。
これぞ「未来の瓦」だと確信していた。
さらにそのシリーズとして、「光る瓦」というアイデアもあった。
屋根を光らせてどうするんだと今にしては思うが、光りモノが大好きな私は、屋根をカラフルに光らせたかった。
うまいことやれば、ボードを使っての人文字的な、ドット絵が動くみたいなことにならないか。
デジタルアート的なことにならないか。
でもギンギンな光だと下品になる可能性もあるから、妖しくボンヤリと光るというのはどうだろう。
また、ソーラーで蓄電し、その電気で冬場はヒーター機能も使えるようにしたらどうか? とも。
屋根瓦には、文字通り雪を止める (ずり落ちないようにする)「雪どめ」なる種類もあるのだが、止めるのではなく、熱によってすぐに溶かす。
これで豪雪地帯の落雪も無くなる。
事故もなくなる。人も助かる。
まさに「雪どめ」の未来版。
「雪どけ」なんて名前にしたらオシャレな気がする……と、そこまで考えていた。
なんの構造も考えていない、単なる「こんなのがあればいいなアイデア」だけだが、それを “2005年時点での羽鳥商店の頭 (かしら)” であった親父にぶつけてみた。
こんなの考えてみた。
こんなの作れないかなと。
もちろんウチみたいな小さい瓦問屋ができるわけないから、「東洋」とか「三州瓦の組合」とか、デカい瓦メーカーに企画として持って行って、彼らに作ってもらって、瓦業界を復活させることはできないかと。
親父の返事は、「ああ……」だけだった。
その「ああ……」には、「そんなこと今オレに言われても……」みたいな感情が入っていた。
今思えば、たしかにそうだ。
いきなり放浪の旅から帰ってきた息子が、「革命的な瓦を作ったらどうだ」と言ってきたとしても、「そうだな、作るか! レボリューション!」と安易には言えないだろう。
でも、その当時の私は、「なぜ危機感がないのか。なぜ挑戦しようとしないのか。こんなんだから瓦業界はダメなんだ」と呆れ果て、きっと私が継ぐ前に、羽鳥商店は終わるだろうと踏んだ。

予想通りというかなんというか、翌年2006年、祖父は瓦問屋・羽鳥商店を静かに畳んだ。
その後も親父はお得意さんの瓦屋さんで働かせてもらっていたが、羽鳥商店は終わったので、跡継ぎである私が瓦屋さんになる運命もナシになった。
そして今に至り。
19年の時が経ち。
Jackeryが「瓦のようなソーラーパネル」を年度内に生産開始するというニュースが入ってきた。
実現するまでに19年もかかるようなことを突然言われた親父。
「ああ……」と返事して、息子に呆れられた親父。
今にして思えば悪いことをした。
そんなん、いきなり言われても……だ。
羽鳥商店は終わってしまったけど、そして親父は諸事情により数ヶ月前、瓦屋としての勤めも引退したけど、どうかJackeryによる「瓦のようなソーラーパネル」の事業はうまくいってほしい。
日本の瓦業界が盛り上がってくれたら私は嬉しい。
そしてそのうち、寒い雪の日。
日本の屋根瓦が、熱による湯気と共に、ボンヤリと妖しく光り始めたら感無量だ。
