自分のことは棚に上げておきます。

とうとう、ミスを指摘したら「AIの回答そのままでした」という言い訳をする人に直面しました。
もちろん世の中には多いんでしょうけど、目の当たりにすると、おじさんとしてはちょっとショック。
もはや10年以上前になりますが、インスタが流行り出した辺りから、もう文章を読む能力がなくなってきているんだなと思いました。
もっと遡れば、LINEのスタンプができた辺り。
文字を打たず絵でコミュニケーションが取れるというのは利便性が上がりますが、そればっかりになると能力が失われるなあと思ってました。
Twitter(現X)も、文章の短文化によって長文を書く・読む能力は犠牲になるだろうなと。
そこに生成AIが入ってくると、今度はもっと文章の書記と読解力が失われると思います。
ずっとAIに頼って生きていけるならそれでもいいんですけどね。
そうなるともはや質問文すら考えることを放棄し、「どんなプロンプトを書けばいいか?」から始まって(実際にそういう人も多いと聞きますが)、どんどん退化していきそう。
そういう意味では、シンギュラリティはすでに多くの場面で起きていると言えるかも知れません。
生成AIの学習元のデータも生成AIが作ったものになり、もはや無限ループに近いというか。
ただ、過半数がそうなっても一部の頭のいい人たちはAIを駆使しつつも自身の頭も使うでしょうから、そこから学んだ学習素材はブラッシュアップされていくかもしれません。
頑張って、頭のいい人。
最近は無秩序なLLMより、学習範囲を限定したSLM(スモールランゲージ)の方にも注目が集まってるので、そっちにシフトするんでしょうね。
どうでもいいSNSのコメントなんて、スポーツ新聞の文字稼ぎくらいにしか使われなくなるのでしょう。
なんてことを思いました。
私自身は生成AIを特に使わないのですが、今から働き始めるような若者は大変だなと思います。
アメリカのような人員削減は日本ではまだしばらくなさそうですけど、これから私が就職するなら、ブルーワーカーや第一次産業、ハードインフラの道に進むだろうなあ。
まあAIを使わざるを得ないときも、自分なりに考えや仮説などを持って使わないと、いつか持ってかれるな…と思います。