以下の内容はhttps://www.futen.xyz/entry/2026/03/03/075919より取得しました。


喪失の中を歩いた60代



60代は、病院の天井から始まった。

実は60の誕生日の記憶はない。

ICUのベットの上で眠らされていた。

 

長い入院だった。

白い天井を見つめながら、これからの時間がどこへ向かうのか、考える余裕もなかった。

昨日まで普通にできていたことが、急に遠いものになる。

人は、自分の体が自分の思うようにならないという現実を、ゆっくりと受け入れていくしかない。

 

 

退院後は、歩くことがリハビリだった。

近所の道を、立ち止まりながら進む。

風の匂いや、空の色が、以前よりもはっきり感じられた。

 

やがて、少しずつ遠くへ行けるようになり、

リハビリを兼ねて、世界を旅した。

 

 

若い頃の旅は、目的地があった。

しかしその頃の旅には、目的はなかった。

ただ、自分がまだ歩けるのかを確かめるための旅だった。

 

そして、その後に訪れたのが、コロナ禍だった。

 

静かな時間の中で、カミさんを亡くした。

 

世界全体が距離を置いていたあの頃、

人と会うことさえ自由ではなかった。

 

家に戻れば、そこにいるはずの人がいない。

長い年月を共に過ごしてきた存在が、突然、日常から消えてしまう。

 

時計の音だけが、妙に大きく聞こえた。

 

立ち直る、というより、

ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 

朝は来る。

洗濯をし、食事をし、夜になる。

その繰り返しの中で、少しずつ、

「一人で生きている」という現実が、自分の中に収まっていった。

 

60代は、多くのものを失った時間だった。

 

健康も、

当たり前の日常も、

そして、一番近くにいた人も。

 

けれど同時に、知ったこともある。

 

何も起きない一日が、

どれほど静かで、どれほど貴重なものかということ。

 

特別なことは、もう多くはいらない。

朝、目が覚めること。

外の空気を吸うこと。

今日という一日が、普通に始まること。

 

それだけで、十分だと思えるようになった。

 

 

60代は、

人生の続きを急ぐ時間ではなく、

人生を静かに受け入れていく時間だったのかもしれない。

 

そして、その記録の全てがこのブログの中にある。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
今日も頑張っていきましょう ( ^ω^ )




以上の内容はhttps://www.futen.xyz/entry/2026/03/03/075919より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14