60代は、病院の天井から始まった。
実は60の誕生日の記憶はない。
ICUのベットの上で眠らされていた。
長い入院だった。
白い天井を見つめながら、これからの時間がどこへ向かうのか、考える余裕もなかった。
昨日まで普通にできていたことが、急に遠いものになる。
人は、自分の体が自分の思うようにならないという現実を、ゆっくりと受け入れていくしかない。
退院後は、歩くことがリハビリだった。
近所の道を、立ち止まりながら進む。
風の匂いや、空の色が、以前よりもはっきり感じられた。
やがて、少しずつ遠くへ行けるようになり、
リハビリを兼ねて、世界を旅した。


若い頃の旅は、目的地があった。
しかしその頃の旅には、目的はなかった。
ただ、自分がまだ歩けるのかを確かめるための旅だった。
そして、その後に訪れたのが、コロナ禍だった。
静かな時間の中で、カミさんを亡くした。
世界全体が距離を置いていたあの頃、
人と会うことさえ自由ではなかった。
家に戻れば、そこにいるはずの人がいない。
長い年月を共に過ごしてきた存在が、突然、日常から消えてしまう。
時計の音だけが、妙に大きく聞こえた。
立ち直る、というより、
ただ時間が過ぎるのを待っていた。
朝は来る。
洗濯をし、食事をし、夜になる。
その繰り返しの中で、少しずつ、
「一人で生きている」という現実が、自分の中に収まっていった。
60代は、多くのものを失った時間だった。
健康も、
当たり前の日常も、
そして、一番近くにいた人も。
けれど同時に、知ったこともある。
何も起きない一日が、
どれほど静かで、どれほど貴重なものかということ。
特別なことは、もう多くはいらない。
朝、目が覚めること。
外の空気を吸うこと。
今日という一日が、普通に始まること。
それだけで、十分だと思えるようになった。
60代は、
人生の続きを急ぐ時間ではなく、
人生を静かに受け入れていく時間だったのかもしれない。
そして、その記録の全てがこのブログの中にある。