結局のところ、人の幸せはとてもシンプルなところにある。
豪華な旅行でも、最新のガジェットでもない。
一日の終わりに、ほっとできる温かい食事。
これがあるだけで、人はずいぶん救われる。
若い頃は、そんなことは思わなかった。
刺激の強い出来事や、非日常の体験こそが「幸せ」だと思っていた。
けれど、年を重ねた今、実感としてわかる。
美味しい食事が、生活の土台を静かに支えている。
食事は、毎日繰り返される「生活の芯」
考えてみれば、食事ほど頻度の高い行為はない。
- 旅行は、たまに
- 買い物も、ときどき
- しかし食事は、毎日、しかも一日三回
つまり、食の満足度が低い生活というのは、
小さな不満を毎日積み重ねているのと同じことになる。
逆に言えば、普段の一食が整うだけで、
生活全体の幸福度は、思っている以上に底上げされる。
これは理屈というより、実感だ。
年齢とともに変わってきた「幸せの重心」
若い頃の幸せは、もっと外側にあった。
- 刺激があること
- 人が多い場所にいること
- 予定が埋まっていること
そんなものを追いかけていた気がする。
しかし今は違う。
- 胃にやさしいこと
- 食後にほっとできること
- 静かに満たされること
幸せの重心が、確実に内側へ寄ってきた。
これは老いというより、
むしろ感覚が研ぎ澄まされてきた結果なのかもしれない。
一人暮らしこそ、食事の質が効いてくる
一人で暮らしていると、よくわかる。
食事を適当に済ませる日が続くと、
理由もなく、生活全体がどこか荒れてくる。
逆に、簡単なものでもいいから、
きちんとした一食をとった日は、
一日が静かに整う。
誰に見せるわけでもない食卓。
それでも、いや、だからこそ・・
自分のための一食には、思っている以上の力がある。

旅先でも、結局記憶に残るのは「一皿」
これまでいろいろな場所を歩いてきたが、
後になって思い出すのは、風景だけではない。
むしろ、
- あの街で食べた一杯の麺
- 冷えた体に染みたスープ
- 何気なく入った店の定食
そういうものの方が、妙に鮮明に残っている。
人は、食べた記憶と一緒に旅を覚えているのだと思う。
だから旅に出ても、
結局探しているのは「次の一食」なのかもしれない。
今日も、静かに満たされる一食を
幸せという言葉は大げさだけれど、
生活の満足度を底から支えているのは、
案外こういう基本的な部分なのだろう。
無理に贅沢をする必要はない。
豪華である必要もない。
温かくて、体に入って、ほっとする。
それで十分だ。
美味しい食事が幸せの基本。
最近は、本当にそう思うようになった。