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神様を失って、人はお金を拝むようになった



神様を信じなくなった。

 

では、何を信じるのか。

 

答えは、わりと単純だ。

「お金」である。

神様は絶対的だった

かつて神は、

善悪を決め、

生き方の軸になっていた。

 

正しく生きることが価値だった。

 

でも、絶対的な価値が消えた社会では、

何が正しいのかが曖昧になる。

 

そこで登場するのが、

「数字」である。

 

お金は、もっともわかりやすい神

お金は嘘をつかない。

少なくとも、そう見える。

 

年収。

株価。

GDP。

フォロワー数。

 

全部、数字で示せる。

 

神様の代わりに、

私たちは数字を崇拝し始めた。

 

そしていつの間にか、

「儲かるかどうか」が

判断基準になった。

拝金主義は、信仰の代用品

拝金主義というと聞こえは悪い。

 

でも実は、

不安の裏返しだ。

 

何を信じていいかわからない。

未来が読めない。

社会が不安定。

 

だからこそ、

目に見えるものを信じる。

 

「お金があれば安心」

 

それは祈りに近い。

日本人は本当に拝金的か?

実は、日本人は露骨な拝金主義ではない。

 

お金持ちを公然と称賛する文化も薄い。

成金は嫌われる。

 

それでも心の奥では、

 

・年金は足りるのか

・円は大丈夫か

・株は上がるのか

 

と、常に考えている。

 

信じていないと言いながら、

結局は数字に支配されている。

 

神様のいない社会の空気

神様を信じていれば、

最後は「天に任せる」と言える。

 

でも神様を信じない社会では、

すべて自己責任になる。

 

失敗も、

老後も、

病気も。

 

その重さが、

拝金的な空気を強めている。

 

我が街のスーパーで、

値引きシールを探す高齢者。

 

その一方で、

東京の夜景には

億単位のマンション。

 

神様は見えないが、

お金は見える。

 

だからこそ、

みんなそちらを見てしまう。

 

拝金主義というより、

安心を買いたいだけなのかもしれない。

 

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