
日本人は「綺麗/汚い」で判断する
日本人は、善悪よりもまず「綺麗か、汚いか」で判断しているのではないか。
そんな気がすることがある。
正しいかどうかよりも、
論理的かどうかよりも、
「感じがいいか」「清潔に見えるか」「品があるか」。
逆に言えば・・
どれだけ筋が通っていても、「なんとなく汚い」と感じた瞬間に終わる。
「正しい」よりも「清潔」
例えば政治でもそうだ。
政策の中身よりも、
「言い方が汚い」
「顔つきが嫌だ」
「品がない」
そういう感覚で一気に評価が決まる。
議論の中身よりも、
振る舞い、言葉遣い、雰囲気。
これは理屈ではなく、感覚の問題だ。
「穢れ」の文化
日本には昔から「穢れ(けがれ)」という感覚がある。
神道では、罪よりも「穢れ」を祓う。
悪いことをしたかどうかよりも、
まず「清める」。
この感覚が、現代にも残っているのかもしれない。
政治スキャンダルでもそうだ。
違法かどうかよりも、「イメージが汚れた」時点で退場になる。
日本人は「美しさ」に弱い
街を歩いていても感じる。
ゴミが落ちていないことを誇る。
コンビニのトイレが綺麗だと安心する。
電車が静かだと安心する。
つまり・・
「秩序が保たれていること」が
「綺麗」と感じられる。
逆に、
声が大きい
ルールを守らない
雑然としている
それだけで「汚い」という印象になる。
正しさ以前に、感覚で弾く。
綺麗は正義か?
では、「綺麗=正しい」なのか。
必ずしもそうではない。
表面だけ整えれば支持される。
言葉を柔らかくすれば許される。
服装を整えれば信用される。
中身より外側。
それが悪いとは言わない。
ただ、日本では
「論破」よりも「清潔感」が勝つ。
これは国民性かもしれない。
旅をして気づいたこと
海外に行くと価値基準が違う。
騒がしくても、多少雑でも、
中身が強ければ押し切る。
日本は逆だ。
まず「整っているか」。
そこを通過しないと、話を聞いてもらえない。
これは強みでもあり、弱みでもある。
綺麗に見せる努力は大事だと思う。
でも、それだけでは空っぽになる。
見た目の秩序と、内側の論理。
両方が揃って初めて、本当の強さになる。
日本人はきっとこれからも
「綺麗/汚い」で判断する。
自分の内側だけは、
ちゃんと整理しておきたい。