
最近、テレビを見ていると白けてしまう。
怒りではない。
呆れでもない。
ただ、すーっと体温が下がる感じだ。
ニュースも、ワイドショーも、討論番組も。
誰かが驚き、誰かが怒り、誰かがまとめる。
でもその一連の流れが、あまりに整いすぎている。
「ここで驚く」
「ここで問題提起する」
「最後は希望で締める」
まるでフォーマットを見ているようだ。
政治もそうだ。
選挙が近づくと、言葉は強くなる。
経済が悪くなれば、専門家が解説する。
景気が良いと言われても、スーパーの値段は下がらない。
どこの世界の話なのだろうと思う。
灯油の値段。
野菜の価格。
JRの割引の細かい差。
私の生活は、そちら側にある。
テレビの言葉は大きいが、
生活の実感は小さい。
そのズレが、白けになる。
若い頃は、もっと素直に見ていた気がする。
演出も含めて楽しんでいた。
でも今は、スポンサーの都合や、視聴率や、
立場によるポジショントークが透けて見える。
構造が見えると、感動は減る。
これは成長なのか、老化なのか。
ただ、不思議なことに、
生活そのものは嘘くさくない。
朝のコーヒーはちゃんと苦い。
マルちゃんは本気で餌をねだる。
散歩道の空気は冷たい。
そこに演出はない。
もしかすると、
白けているのは「巨大な物語」に対してであって、
日々そのものではないのかもしれない。
テレビを消すと静かになる。
その静けさの方が、少し安心する。
騒がしさよりも、
誇張よりも、
小さな実感のほうが、いまは信じられる。
そんな年齢になったのだろうか。
それとも、
世の中の演出が強くなりすぎただけだろうか。