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「わどうかいほう」か「わどうかいちん」か,壱与か台与かまとめ

和同開珎が「わどうかいほう」だったり「わどうかいちん」だったりし,邪馬台国の卑弥呼の次が壱与(いよ)だったり台与(とよ)だったりするのはなぜかをまとめます。学生のレポートレベルですのでご注意下さい。

(1)和同開珎

和銅元年(708年)に発行された通貨で,皇朝十二銭の最初です。

(A)「珎」は「宝」である→「わどうかいほう」派

宝の旧字体はであり,これの異体字がです。異体字の方に「珎」の部分が含まれていますね。

(B)「珎」は「珍」である→「わどうかいちん」派

「珎」は「珍」の異体字として使われていたようです。ウィクショナリーによると「珎」の読みは「チン」であり「ホウ」は慣用読みとされています。

(C)皇朝十二銭の残り11種

和同開珎の後は「万年通宝」「神功開宝」「隆平永宝」「富寿神宝」「承和昌宝」「長年大宝」「饒益神宝」「貞観永宝」「寛平大宝」「延喜通宝」「乾元大宝」と全て「宝」で終わります。(B)説には何故最初だけ「珍」なのかという疑問が残ります(そもそもなぜ宝でなく珎という漢字だったのかという問題もありますが)

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なお国力が弱まったのか,乾元大宝(958年)で一旦通貨の鋳造が途絶え,宋銭や明銭(永楽通宝)といった渡来銭が流通します。自国で造るより中国から硬貨を買った方が楽と考えたのでしょう。しかし大量に必要だったはずで,大量に船に乗せて日本に運んだのでしょうか。“室町幕府は,鎌倉幕府がそうであったように銭貨の鋳造能力を備えることはなかった。そこで,中国を中心とする外国から銭貨を輸入し,それを国内で流通させることにした。銅地金を輸出して銭貨を輸入したと記録に残っている”(ウィキペディア「明銭」より)

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(2)壱与か台与か。「邪馬壹国」説

中国の歴史書に「壹與」と書いているものと「臺與」と書いているものがあり,「壹與」なら「壱与」,「臺與」なら「台与」ということです。

同様にして,「邪馬台国(邪馬臺国)」ではなく「邪馬壹国」が正しいとする説があります。ウィキペディアによると古田武彦が唱えたようです。

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