以下の内容はhttps://www.external-storage-area.com/entry/2026/03/06/123225より取得しました。


ネットリンチ、ネット私刑を抑止する方法の検討

 

 法治を重視するからこそ、法律を整備するべきだと考える次第です。

 

ネットの炎上と私刑

 毎日ネットでは誰かしらが炎上しています。

 炎上のトリガーとなる火付け屋がいる場合もあるのでしょうが、大火となるかは結局人々の関心次第ですので、炎上とは「組織立った統率的なもの」として捉えるよりも「個人のそれぞれの思惑によるもの」であり、基本的には群集心理的な側面で分析すればよいでしょう。

 

 ネットの炎上においてよく見かける言説として、「個人の批判や感想は自由である」としたものがあります。

 まあ、それは正論です。個人の批判や感想の権利は守られるべきであることは間違いありません。

 ただ、個人の批判や意見表明は自由で合法ですが、それが何千人、何万人も集まると社会的制裁として機能して事実上の刑罰になり得ます。

 そのような私刑は法治の原則からして望ましくありません。手続き的な正義が実施されていませんし、統制されていないため制裁の基準が不明瞭で、事実確認も不十分なため誤情報や切り取りですら処罰に繋がります。

 要するに、ネットリンチ・ネット私刑は「明確性の原則」やら「比例の原則」やら「不遡及の原則」やら、そういった法の基本的な原則を諸々破っている不適切な状態ですし、そもそも私的制裁は法律で禁止されていますので、法治と公共秩序のためにはデジタルでの集団的暴力も規制することが妥当です。

 

 これは本質的にはイジメ問題です。

 加害の分散性、正義の名の下による罪悪感の低減、同調圧力やスケープゴート化など、イジメと炎上は類似の構図を持っています。

 よってこれを解決するのはとても難しい問題ではありますが、なにかしら対策は必要だと考えます。

 

集団の暴力性

 残念な現実ながら、人は集団に属することで残虐性が増します

 これは個人の性格に原因があるではなく、本能的・認知的な傾向です。

 集団の中では「自分の行為は全体の一部に過ぎない」と感じるようになり、行為の心理的な重さや罪悪感が軽くなります。結果として、通常であれば理性で抑圧されている攻撃性が解放される結果をもたらすことは心理学的に確認されている事実です。

 匿名性も同様で、個人が特定されない状況では自身の社会的評価が低下する恐れが弱まることから、「他者からどう思われるか」や「自分はこういう人間だと思われたい」といったことを気にする必要が無くなり、衝動的・攻撃的な行動が増えます。

 さらに群衆心理として、群衆の中では普遍的ではない規範が正義として機能することがあります。周囲が攻撃していればその攻撃に正当性を感じますし、周囲が同じ意見であればそれを疑わなくなりますし、反対意見が攻撃されていれば誰もが沈黙するようになります。

 言い換えれば、群衆に紛れると個人の思考が停止します。個人の理性的な熟慮は埋もれてしまい、感情や衝動といった群衆の勢いが判断基準を代替するため、普遍的で本質的な倫理観が麻痺して個人であればやらないようなことをやってしまうものです。

 

 繰り返しとなりますが、これは個人の問題ではなく集団の特性です。

 もちろん責任自体は個人個人が負うべきものですが、個人ではなく集団こそを抑制対象とする必要があります。

 

法と技術による抑制

 まずは技術的なアプローチとして群衆の可視化が必要でしょう。同一対象への大量の投稿や引用を検知して目に見えるようにすると効果があると考えます。

 小さな小石を投げているのではなく巨石の一部であることが目に見えるようになれば、人によっては投石を思いとどまることもあるでしょう。

 

 文化社会的なアプローチとして、規範意識の醸成も時間をかけて行う必要があります。

 規範はとてもシンプルで、ネットリンチ・ネット私刑・炎上はイジメです

 そしてイジメは悪いことですので止めましょう

 それだけで充分かと思います。

 「イジメられる側にも非がある場合はある」ことは事実かもしれませんが、それはイジメを正当化して免罪する理屈にはなりません。中世ならばいざ知らず、現代は相手が悪人であっても石を投げたら犯罪です。

 もちろん根本的な解決にはなりませんが、積極的にイジメへ加担したいと思っていない人を思いとどまらせる効果は見込めます。

 

法的アプローチの検討

 根本的な対策として法的なアプローチも不可欠になります。

 具体的には、複数人による道徳や倫理に反する嫌がらせ行為、集団モラルハラスメント(collective moral harassment)を罰する法律が必要でしょう。

 個々人の批判や感想は自由で合法であっても、それが集団化して個人に有害な状況をもたらしている場合は総体として違法とする、そういった考え方です。

 

 ネットの一部界隈で人気のアメリカ人密造酒製造者も不思議がっていますが、個々の行動は合法であっても総体で違法になる事柄は多々あります

俺には理解できないんだ。コーンには税金を払ってる。砂糖にも払ってるし、ガスにも、他の道具にも税金を払ってる。なのに全部を混ぜ合わせて、火にかけたら突然違法だと言われるなんてね。

よぉし、できたぞ。

『連邦法違反』だ。

 密造酒の製造に限らず、製品の値上げ自体は合法ですがそれを談合してやればカルテルとして独禁法に引っかかりますし、銀行にお金を預けることも海外に送金することも個々では合法ですが犯罪収益の隠匿・洗浄のために行えば犯収法に引っかかります。

 同様に、個人が批判や感想を投稿することは自由でも、それが総体として集団モラルハラスメントを引き起こした場合は加担者を加害側として罰する、そのような法律が必要です。

 

 もちろん制度化にはいくつかのハードルが考えられます。

 集団の境界はどう定義するか、批判とハラスメントをどう区別するか、プラットフォームの責任と介入の範囲はどうするか、正義の社会的告発と私刑をどう区別するか。

 個々の自由は守りつつ、自然発生的な集団となって暴走した時にどう抑制するかは充分な議論と閾値の設定が不可欠ではありますが、集団の暴力性を法的に規制する道は模索すべきだと考えます。

 

結言

 当ブログでも度々言及していることとして、悪い人を罰したい気持ちは分かりますが、その罰する行為を行うのは法執行機関です。

 個人が勝手に代行して攻撃するのは法治国家として宜しくありません。

 集団モラルハラスメントもその文脈で規制されるべきだと考えます。

 




以上の内容はhttps://www.external-storage-area.com/entry/2026/03/06/123225より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14