ある意味、現代社会の根源的な病巣について。
複雑化の非直線性
人口の増加。
技術の発展。
情報量の拡大。
グローバル化。
多様な価値観の可視化。
これらは必然的に多元化を招き、世界の複雑性を増やす方向に働きます。
エントロピーは増加するものであり、外部からの仕事がなければ複雑性は増す一方となるのは熱力学的にも妥当です。
ただ、ロスリングが著書『ファクトフルネス』で「直線本能」と名付けたように、現在のトレンドがそのまま未来も直線的に続くと考えるのは思い込みです。実際の世界は閉じた系ではありませんし、閉じた系だったとしても局所的な秩序化・単純化は起こり得ます。少なくとも世界は直線・線形ではなく非線形に変化するものであり、一直線に複雑化していくとは限りません。
複雑化の限界
なにより、世界に生きる人々は複雑性に耐えられる人ばかりではなく、複雑さに限界を感じて世界の理解を単純に還元する人もいます。むしろ人間の認知機能を考えればそちらが自然かつ普通です。
権威の集中は単純化の典型的な事例です。
世界を動かすプレイヤーの人数が増えて権力構造の複雑化が進むと、人々は依って立つことができる「分かりやすい正義」や「明確な敵」、すなわち権威を求めるようになり、その結果として強いリーダーや単純明快なナラティブ、明確な善悪の線引きや価値観の単一化など、「不安を解消するための権威への回帰」が希求されます。
さすがに中世の宗教的正義の時代まで遡るほどではありませんが、これは多元的・民主的価値とは真逆の方向です。
技術による要約も単純化に一役買います。
膨大な情報量は一個人で処理できる限界をとっくの昔に超えており、今は技術によって情報を集約し、意思決定を補助し、選択肢を抽出し、価値観を整理する時代です。
それは合理的で効率的ではありますが、必然的に世界の複雑さを犠牲にしていますし、エコーチェンバーやフィルターバブルのリスクが高まります。
単純化は個人だけでなく、社会的合意が再構築される形でも現れます。
人権・公正・持続可能性・環境などの近代的な価値観は、従来の複雑な価値観の衝突を調停して新たな軸に再構築した概念です。
とはいえ、これらはむしろ普遍的善の明確化として機能するため、単純化それ自体は必ずしも悪ではない事例だと言えるでしょう。
逆に、社会的合意を経ない個人の心理的単純化は問題です。
複雑な世界に耐えられない時、人は、”自分だけの単純な正義”や”独善”に逃げ込みます。正義を棍棒にして他者を攻撃する人、陰謀論に染まる人、過激なイデオロギーや部族主義によって不道徳な行動をする人などが典型的な事例です。
適切な単純化
上述した事例のうち、高度な単純化は「社会的合意の再構築」のみです。これだけは弁証法的手法に基づいた止揚であるのに対して、それ以外は全て複雑性の統合を諦めてただ削ぎ落しただけの乱雑な単純化に過ぎません。
もちろん複雑化する世界において単純化は必要です。
しかし、私たちが選ぶべきは複雑性を切り捨てる乱雑な単純化ではなく、複雑性を統合し、新たな秩序として再構築する成熟した単純化だと考えます。
- 異なる価値観を一つの軸に再編する
- 対立する要素を包摂し、新しい枠組みを作る
- 多元性を否定せず、より高次の秩序にまとめる
このように複雑さを”扱える形に変換する”単純化こそが必要であり、
- 自分の不安を減らすために世界を歪める
- 敵・味方の二分法に逃げ込む
- 反証可能性を拒否する
- 他者を攻撃して排除することで秩序を得ようとする
このような逃避的/防衛的な単純化は避けたほうが無難でしょう。
もっと言えば、複雑性は変動し続ける以上、単純化も流動的な変化が必要です。
- 新しい情報が入れば更新する
- 自分の単純化が誤っている可能性を常に考慮する
- 単純化は手段や道具であり、真理ではない
このように自らの認知を暫定的で可変的なものだと取り扱えば持続可能だと考えます。
結言
率直に言って、世界の複雑さに耐えられる人は一握りもいないでしょう。
人は世界を取り扱うために単純化を必要とします。
ただ、その際は単純化のやり方に注意が必要です。
権威的・技術的・個人的な単純化は望ましくなく、唯一、社会的合意に基づいた統合による単純化が適しています。
これはこれで別の複雑さを内包するため万能な解決方法ではないのですが、人類が石と棍棒で戦争を始めないためにも、私たちは世界の複雑さに耐えて適切に単純化を図って付き合っていく他ないでしょう。