民主主義国家にとって国民は賢いほうが望ましいが、それは前提ではないし前提にしてはいけない。
民主主義は人々が愚かでも成り立つ
「人々が愚かでは民主主義は成り立たない」という言い回しは、古くは古代ギリシアの時代から用いられています。
たしかに、集団の意思決定では構成員の質が変数となります。質の高い集団のほうが質の高い結論を導き出しやすいだろうと、誰もが肌感覚的に理解しているでしょう。
とはいえ必ずしも絶対的な論拠があるわけではなく、むしろ経験則であり、実際には集団心理や集団浅慮が働くため比例関係ではありません。
意思決定の質は、現実には構成員の質そのものよりも意思決定システムの構造に依存します。
統計学的に、個人の推定誤差がランダムであり、誤差が独立していて平均を取る仕組みがあれば、集団の平均推定は個人や少数の推定よりも正確になります。
また集団において個人は万能である必要がなく、役割分担と局所的なルールだけでも十分に高度な活動が可能です。例えばアリやハチのコロニーが典型例で、個々の知能が高いわけでもなく、しかし彼らは極めて高度な意思決定を行っています。
逆に、反対意見が出ず権威勾配が強く情報が偏っていて責任が曖昧な集団による意思決定は、どれだけ構成員の質が高かろうとも集団浅慮に陥りがちです。「個々人の質の高さ」はある意味で「同質性の高さ」にも繋がるため、むしろランダムに人を選ぶよりもよほど群集心理が発生しやすくなります。
つまり実際には構成員の質による変数はそこまで支配的ではなく、それよりは次のようなポイントを構造的に組み込んだ制度設計こそが重要と言えます。
- 誤差の独立性
- 情報の多様性
- 意見の多様性
- 反対意見の制度化
- 役割分化
- 情報共有の仕組み
- 責任の明確化
- ルールの透明性
少し極端な言い分ではありますが、こういったポイントが制度化されていれば人々が愚かであっても民主的に高度な意思決定が可能です。
簡単に言えば、集団心理は二通りあります。
一つは「集団の英知」で、みんなで決めたことは案外正しい結果をもたらす現象です。
もう一つは「集団浅慮」で、みんなで決めた結果が思ったよりも間違えることのある現象です。
集団での意思決定がどちらへ進むかは、「構成員の質」ではなく「制度・システム」で決まります。
まあ、もう少し現実的な話をすると、そういった制度を構築・維持するためにはある程度質の高い構成員の層が必要であり、「人々が愚かでは民主主義は成り立たない」は偽ですが、「人々が全員愚かでは民主主義は成り立たない」は真と言えます。
より民主主義的に
もちろん、「人々の質を高める必要はない」などと極論を言いたいわけではありません。
制度によって高度な意思決定を行うためには制度を適切に構築・維持する必要がある以上、人々の無知や多数派の専制への恐れ、情報の非対称性の回避や極端なポピュリズムの忌避などへの理解、そして最低限、長期的な制度維持こそを目指すことに合意する必要があります。それが損なわれれば、それこそナチスの再来です。
ただ逆に言えば、それさえ合意できていれば十分であり、それ以上を求めるのはまた一つの非民主化への道へと通じかねません。
何故ならば、現代民主主義の本質は「能力」ではなく「平等」だからです。
「人々の賢さ」を前提に組み込もうとした場合、色々と弊害が生じる可能性があります。
まず、どれだけ賢い人でもミスはします。
パニックや誤情報、危機的事態などでは誰もが判断を誤ることがあり、判断を誤らないことを前提とした属人的な制度はそういった”例外的な愚行”に対して耐性が弱いです。
次に、何を持って優秀とするかを判断することにも問題が生じるでしょう。
どういった基準でどうやって測定するのか、その線引きは不要な利権や差別を生みかねません。資産要件による労働者や女性差別、知能テストによる黒人差別などの過去の愚行を再現することは適切ではないでしょう。
さらに言えば、「人々の賢さ」を前提とすることは自己修正能力を損ねる結果に繋がります。
なにせ「賢い人々の意思決定」は正しいに違いないのですから、もしそれが誤っていたとしても認めにくくなりますし、批判自体がタブー化します。誤りの原因分析も進まず、人々の学習能力も低下します。チェック機関すら不要とした発想が生まれて、制度の独立性や監査システムの重要性も低下することでしょう。
賢さを前提としたエリートの集団は必然的に"大本営"的な組織となります。
以上の理由から、「人々の賢さ」を前提とする制度は、まず間違いなく脆弱で持続性がありませんので、あまり宜しくありません。
結言
現代の民主主義は最低限の市民的能力・情報環境があれば後は制度的な支えがフォローできるようになっており、そもそも「国民が完全に賢明」であることを前提にしていません。
民主主義は属人性を避けて平等性を高めるために「三権分立」「メディアの自由化」「自由選挙」などを構築してきたのであり、知識や納税など有権者の能力を条件にすると、現代民主主義の正当性が崩れて悪しき先祖返りをすることになります。
もっと言えば、現代の民主主義とは独裁や専制と違い”個人の属人的な能力に依存させない”仕組みであり、非常に堅牢と言えます。
属人的ではない制度は世代が変わっても維持できますし、人間は間違える生き物であり判断が揺れることもありますが、制度は揺れません。
よって、「人々が愚かでは民主主義は成り立たない」は、あまり現代的ではない批判の切り口です。