DEI(多様性・公平性・包括性)に対して総論賛成・各論反対の批判的な見解を示しがちな当ブログですが、今回は少し前向きな提案ができるよう努力します。
寛容のパラドックス
寛容のパラドックスとは、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」とした矛盾です。
識者によって様々な結論が提起されているものの、基本的には現実論として「無制限な寛容はあり得ず、寛容は不寛容に対して不寛容を示すべき」とされています。
ヘイトスピーチが分かりやすい事例となるでしょう。
無制限の寛容を是とするならばヘイトスピーチも言論の自由として許容すべきです。
しかしヘイトスピーチの蔓延は人々の紐帯を破壊して社会を滅ぼしかねません。
よって、たとえ寛容さを是とする社会であってもヘイトスピーチに対しては不寛容であるべきだとされており、各国で規制法が作られています。
DEI(多様性・公平性・包括性)はその根底に寛容の精神があり、そのためにこの寛容のパラドックスに強く晒されている概念です。多様性と包括性を実現する上で「何にどこまで寛容であるか」が常に問われています。
価値設計の再構築
寛容のパラドックスは概ね次のような機序です。
- 寛容は良いものであり最大化すべき
- しかし不寛容にまで寛容であると寛容が崩壊する
- よって不寛容には不寛容であるべき
- だが、それは寛容ではないのでは?
- 寛容でも不寛容が必要なことはある
要するに寛容の許容範囲や幅を再定義することで現実に擦り合わせようとしているのですが、それは弥縫策ではないかと思っています。
不寛容を示すのであればそれは寛容ではないとしたほうが論理的に正しいですし、何をどこまで許すかを恣意的に線引きできる力、人はそれを権力と呼びます。利権を拡大する方向性は、社会的にあまり宜しくはないでしょう。
要するに、寛容はどこまで寛容であるべきかで議論するのではなく、そもそも寛容の価値自体に設計ミスがあると考えたほうが無難だと考えます。
寛容は素晴らしく、社会に必要なものであり、しかし他にもっと優先されるべき価値がある、そういった発想です。
実際、「寛容は無制限であるべきではない」とした発想は、すでに寛容それ自体の価値を最優先とは思っていない発想から生じています。
真に寛容を至上とするのであれば、不寛容によってもたらされる結果の混沌を受け入れられるはずです。受け入れられないのであれば、それは「寛容」よりも「暴力の抑制」「社会システムや市民の安全」「民主的手続きの維持」「法の支配」「基本的人権」などを寛容よりも上位の価値であると認識している、そう断言できます。
それは別に悪いことではありません。むしろ当然のように表明してもいいことです。「寛容は不寛容に対しては不寛容であるべき」といった回りくどい矛盾めいた表現を用いる必要などなく、もっとシンプルに、こう言えばいいでしょう。
「寛容は重要だが、より上位の価値(安全・自由・幸福・民主主義)を守るために制限されることがある」
これでパラドックスは簡単に解消できます。
結言
つまるところ、DEIや寛容を至上としていることが混乱の原因です。
現実には、DEIや寛容は至上の理念でも最優先の目的でもなく、手段に過ぎません。DEIや寛容を満足するために人々の安全や幸福が損なわれては本末転倒です。
よって、DEIや寛容はそれ自体を称揚するのではなく、上位の価値(安全・自由・幸福・民主主義)を設定した上で、それらを実現するためのDEIや寛容なのだと位置付けることが効果的でしょう。