埼玉にある事業所の工場で設計をやっていた去年までは営業への不満を漏らす人をちょこちょこと見かけていましたが、今年から本社に来た結果、工場への不満を漏らす人をちょくちょく見かけるようになりました。
そんなよくある光景になんとも言えない感慨深さを感じます。営業部門と生産部門の実に典型的な争いです。
正義の種類
この手の問題はどうにもなりません。どちらが正しくどちらが間違っているわけでもなく、それぞれの立場からすればどちらも正しいためです。
営業部門には「仕事を取ってきているのは俺たちである」とした自負があり、生産には同様に「俺たちが金を作っている」とした誇りがあります。それらは平行線を辿らざるを得ないものづくりの別々の側面ですが、どちらも間違えたことを言っているわけではありません。
それぞれに信ずる相対的な正義とプライドがあり、それがただ異なる。
それだけの話です。
よって本来であれば争う必要も意味もありません。
たとえ争いによって相手方の正義を打ちのめして自らの正義を絶対的なものとしても、それが何かしらに資するわけではないためです。
むしろ争って打ち倒そうとすることは全体としてのリソースを浪費して全体の不利益となるばかりですし、もし片側が打ち倒されてプライドを失えばプロフェッショナルとしての仕事を期待することができなくなるでしょう。いずれにしても損失しか生みません。
それよりは双方のプライドの根源である正義を保持しつつも上手く足並みを揃えることに尽力した方がよほどましです。
正義と善の乖離
ここで留意すべき教訓は一つです。
それは正しいことは善ではない、それだけです。
正しさと善はイコールではなく、”正しいが善ではない”場合もあり得ます。
私たちは直感的な考えとして「正しいことは善」「間違えたことは悪」と思い込んでしまいがちですが、現実はそこまでナイーブなものではありません。それぞれの立場や役割によって異なる並立した正義が実際には存在しています。
そして自らの正しさを善であると誤認した時、人は自らの正しさとは異なるものを悪と見なさざるを得なくなります。言わば善の独占です。善である自らの正しさに同意しない他者が居るのであればその他者は善の敵でありすなわち悪と定義せざるを得ない以上、善を独占する人間による他者の悪魔化は必然的に生じます。
正しさを他者へ押し付ける行為が時に悪しき結果をもたらすのはまさにこれが理由です。正しいことは必ずしも善ではないため、適切に正しさを取り扱わなければ善行どころか悪行へ至ることすらあります。
結言
繰り返しとなりますが、正しいことは必ずしも善ではありません。
正しさを適切に取り扱い良い結果をもたらすことが善であり、正しいから善だとした発想は誤解です。
そう認識することで自らの正義を振り回す愚を避けることができるのではないかと思います。