ビジネスは環境に依存します。
そして手法とはツールのことであり、ツールは環境に依存しません。
よって世に謳われているビジネス手法には再現性がありません、スティーブ・ジョブズと同じことをして同じ手法を使えば同じような成功者になれるわけではないように。
ビジネス手法の多くは残念ながら学術研究と統計を伴わない神話です。
それでも多くの人が不明瞭な未来の闇を少しでも照らし出すことを希求して”正しい手法”なる神話へ飛びつくことは止むを得ないことですが、残念ながらそれは不幸と失敗の再生産となります。
ストレッチ目標への懐疑
呼び名は様々ですが、社員の成長を促す挑戦的な目標として「ストレッチ目標」「努力目標」「チャレンジ目標」と呼ばれるものがあります。「伝説の経営者」ジャック・ウェルチや「マネジメントの父」ピーター・ドラッカーが提唱したそれは、達成できるレベルよりも少し高めの目標を設定することで実力以上の結果が出せると言われているマネジメント手法です。
私は懐疑的なひねくれ者ですので、
「むやみに高いハードルを掲げられたらモチベーションが下がるタイプの人も居るのではないか」
「個々人のモチベーションに依存すると結果の分散が大きくなるから管理が難しくならないか」
「実際にその高い目標が達成できたのならば実力以上ではなく、それが実力なのではないか」
「フォルクスワーゲンの排ガス不正や東芝の不正会計を筆頭に、無茶な目標設定は不正のトライアングルのうち動機や正当化を生じかねず不正の温床になるのではないか」
などと批判的に思っていますが、とはいえこの神話は存外に強固なもので、ストレッチ目標を掲げさせる組織は今なお数多存在していることでしょう。
万能ではない手法
ただ、現実的に考えてストレッチ目標が機能するかどうかは個々人によります。
お餅を引っ張るのと天然ゴムを引っ張るのとステンレスを引っ張るのではまったく異なるように、ストレッチが機能するかどうかは対象となる人の性格や選好に必ず依存するのは自然なことです。厳しい目標に怖気付かない負けん気の強い人もいれば腰の引ける人もいるわけで、常に高いハードルが機能すると考えるのは楽観が過ぎるというものでしょう。
また、当然ながらストレッチ目標の成果自体は市場環境を変数に持ちます。どれだけ高い目標を掲げて引っ張ろうとも市場が冷え込んでいれば数字は伸びませんし、逆も然りです。ストレッチの度合いと結果には必ずしも相関があるとは限らない以上、評価分析の基準として用いるのは不適切な手法だと言えるでしょう。
学術的な見解
ストレッチ目標は元々海外で喧伝された手法ですので、当然ながら海外のほうがストレッチ目標がもたらした結果について詳しく研究されています。
今回は一例としてStretch Goal(ストレッチ目標)とパフォーマンスについて分析したJohn Sterman教授の論文要旨を抄訳してみましょう。
ストレッチゴールは一部の参加者にとってパフォーマンスを向上させた一方で、多くの参加者は意図せず破産につながる政策を実行するか、そのリスクを認識して目標を放棄しました。その結果、ストレッチゴールはパフォーマンスの分散を高め、右に歪んだ分布を生じさせましたが、中央値のパフォーマンスを向上させることはありませんでした。この分散の増加により、ストレッチゴールはリスク調整後のパフォーマンスを低下させる要因ともなりました。
さらに、ストレッチゴールは大きな達成ギャップを生み出し、それがリスク認知の増加と目標へのコミットメントの低下を招きました。これらの2つのメカニズムは、ストレッチゴールが高い分散と右に歪んだパフォーマンス分布を引き起こす理由を説明するものです。複雑な環境では、ストレッチゴールを実現するための戦略を見つけ出し、それを実行することは困難でリスクが高いため、一部の管理者はより低い自己設定ゴールを採用したり、生き残りに注力したりします。そのため、管理者のリスク選好に応じて、ストレッチゴールは一部の組織が利益を得る場合を除き、最適とはいえない可能性があります。
これらの知見は、組織目標に関する理論を拡張するとともに、ストレッチゴールを採用する際の注意点を示唆しています。
◆https://mitsloan.mit.edu/shared/ods/documents?PublicationDocumentID=2840
要約すると、ストレッチ目標は一部のメンバーには効果があるものの大多数のメンバーにとっては最適でなく、メンバーのリスク選好次第によっては全体のパフォーマンスが低下することが述べられています。
他にもHBRは次のような記事を出しています。
我々の調査によると、ストレッチ ゴールの使用はごく一般的だが、成功例はあまり多くない。そして、多くの幹部があまりにも多くのストレッチ ゴールを設定している。
ストレッチ ゴールを設定して達成できなかった場合の影響は甚大である。失敗は従業員の恐怖と無力感を助長し、やる気を失わせ、最終的にはパフォーマンスに悪影響を及ぼす可能性がある。
この記事では、ストレッチ目標を設定すべきは「業績が好調でリソースに余裕のある組織」であり、逆にストレッチ目標を控えるべきは「業績が不振でリソースに余裕のない組織」と述べています。
しかしながら現実はその逆で、業績が振るわず資金も人手にも余裕がない企業がストレッチ目標へ手を出してしまうことがストレッチ目標が上手くいかない原因だと分析しています。
これをHBRの記事では率直な表現で「大多数の企業は月を目指すべきではない」と述べています。
達成できれば大きなインパクトをもたらす前例のない困難な挑戦や計画をムーンショットと呼びますが、そういった飛躍的なチャレンジは飛躍的なチャレンジができるだけの資金と人手が不可欠ということです。
要するに運否天賦の一発逆転策は大抵の場合でこけるもので、余裕がない組織こそ堅実に積み上げるべきだとした結論であり、それは普通に考えれば当然のことです。
結言
以上より、ストレッチ目標はまったくもって万能の手法ではなく、むしろ適切に取り扱わなければ組織の業績を低下させる結果をもたらす危険なツールだと言えます。
少なくともストレッチ目標を正しく機能させたいのであれば、適用すべき人を選び、正しく効果を測定しなければなりません。