日本とアメリカで選挙があったため、ここ最近摂取した情報が政経に偏り過ぎていて思考が政経に寄ってしまっています。そうなるとブログに出力される記事も政経関連のことばかりになり、堅苦しいことこの上ありません。
こういう時はあえて雑談をしましょう。雑記ブログなのですから、雑記を書かねば。
雑記でありたい
別に記事の方向性が偏ること自体は何も悪いことではないのですが、何と言いますか、私はこのブログを雑記ブログとして維持したいわけです。
例えば一か月ほどひたすら政経の話をしたりゲームや漫画のようなサブカルの話をしたり仕事論を延々とぶち上げてみたり外食の写真をポンポン上げてみたりすることもできないことはありませんが、私としてはそれを一年以上続ける自信がありません。絶対に途中で飽きるか退屈するか倦怠感を覚えるかマンネリ化します。私のように好奇心が豊富な人間は興味の対象が多方面的で、どうしても一方向に突き進むことが難しいです。一つのことを積み上げていくことは不得手であり、何かに特化したブログを運営するには向いていない性格だと思っています。
そう、私がブログを運営するためには雑記ブログという名目のごった煮状態が必須であり、その時々に興味関心を持った思考対象に対して書き散らしていても許される免罪符である、そう勝手に定義しているため、なんとか雑記ブログの体裁を維持したいと考えています。
さらに言えば、もし一か月ほど同じ話題を続けてみて、それを見て「ほう、このブログは興味があるぞ」と読者登録してくださるような素敵な方がもしも出てきてしまった場合、その話題に沿った記事がその後も継続的に投稿されなければ落胆することになってしまいます。
しかし初めから語る内容が毎日ブレている雑記ブログの体裁であれば「ああ、こういったスタンスのブログなんだな」と理解して貰えますので、誤解とすれ違いによる悲しみを減らすことにもなるでしょう。
つまり、私がわざと意図的にあえて毎日のように記事のカテゴリーを変えて色々と雑多な感じのブログ記事を構築しているのは、そういった悲劇を避けるための必死の努力なのです。
と言っておけば、思い付くままに書き散らかして遊んでいても許されるんじゃないかな、なんて。
結言
まあお題目的なことはいくらでも書けます。言い訳、得意なんです。子どもの頃からよく𠮟られていたので、それっぽいことを言うことには長けています。叱る教育の悪い側面ですホント。
ただ、これは叱られたくないといった逃避行動というよりは、叱る側と叱られる側という衝突や摩擦を避けたい気持ちが強かったりします。取り繕う言動はそこに直接的な攻撃性を生じさせないための緩和行動であり、争いを避けるために用いられる一種の対話的・平和的なアクションだと私は思っています。叱りが生じる前に抑止する、そういった意図です。
要するに、そもそも叱られるようなことをするな、ということです。この言説自体がそれっぽい話で取り繕うとしている状態に他なりません。
まあ、それが出来たら私ももっと楽な子ども時代を過ごせたんですけどね。
好奇心がね、暴走するタイプなので。