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バリバリ働く人と、そこそこに働く人のバランス

 

 特に深みのない理想論。

 

雑談

若手「うちの会社はソルジャーを求めすぎです、だから辞める人がいるんですよ」

私「まあ、特に本社はマッチョな気風があるよね。体育会系が多いし」

若手「厳しい状況で生き残った人と同じことを求められるのはしんどいです」

私「俺もまあ生き残った側だからなんとも言い難いけど、現代的ではないのは間違いないと思うよ」

 

 昭和的・体育会的なやり方はこのご時世に最適でないことは間違いないでしょう。それは人口の増加する多子社会で「選別」できるほど人が多い時代のやり方です。少子化時代で人手不足の時に同じやり方を踏襲すると、ただただ人員不足となります。

 それは間違いないのですが、ただ、ドラスティックに昭和的・体育会的なやり方を排除すれば全ては順調になるかと言えばそうとも言えないのが難しいところです。

 

競争社会の難しさ

 昨今のグローバルな市場を踏まえれば、寡占や独占の著しい業界でない限りどのような企業であっても競合他社がいます。

 そして残念ながらそれら企業の優劣を決めるパラメータの一つに労働量があることは疑う余地がありません。

 もちろんイノベーションの量や効率化・合理性の差、資本力や経営戦略など変数は無数にあるものの、10のアウトプットを出す企業と15のアウトプットを出す企業ではどちらがシェアを獲得できるかと言えば、やはり残念ながら後者のほうが優位に立ちやすいでしょう。

 実際、国内や海外を問わず、業界の上位を占める企業は過重労働をこなすマッチョで兵隊のような社員を多数抱えていますし、エリートはエリートだからこそ長時間労働に邁進しています。

 つまり個人ではなく組織の視点からすれば、競争社会で優位に立ち生存率を高めるために社員の労働量を増やすことは合理的な選択となり得ます。

 

バランスと選択

 しかし全ての人にそういったマッチョな働き方を強制することは社会的に妥当ではありません。社会や組織の基本方針は「その社会・組織で生きる人の幸福の増進」でなければその社会や組織へ所属することに意味を見出せなくなります。

 かといって全ての人がマッチョな働き方を捨てればそれが幸福の最大化になるとは断定できませんし、誰かがそういった合意を破ってマッチョな働き方を始めればその組織が利益を独占できてしまいます。

 

 要するにバランスと選択です。

 バリバリ働く人とそこそこに働く人、そのどちらに偏重し過ぎても何かしらの問題が生じる以上、どちらの働き方も肯定されるシステム作りと個人の選択、それらのバランスが必要になります。

 どちらが偉いわけでもどちらが悪いわけでもなく、それぞれの人が選択し、自らの望む働き方ができる、理想論ではありますがそういった社会や組織が望ましいのでしょう。

 




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