心理学における二重過程理論(Dual process theory)は広く認知された考え方となっています。
二重過程理論を大雑把に言えば、人の思考は『自動的で無意識的』なものと『制御的で意識的』なものの二つに分類することができるとした理論です。それらは「情念と理性」「ヒューリスティックと分析」「周辺ルートと中心ルート」「直感と推論」「システム1とシステム2」など、人によって様々な表現を用いられています。
今回はシンプルに「直感と推論」の表現を用いて、人間の認知と危機回避に関して私が考えている、大したことない話をしていきましょう。
直感の意味と価値
二重過程理論によれば、人はまず直感によって物事を思考します。そして直感で処理し切れない情報であれば次の過程として推論を働かせます。
直感は自動的で無意識的なため努力を要しません。対して推論は意識的なものであり大なり小なり努力が必要になります。
また、生物は何か悪い事態が襲い掛かってきた時に対処するだけのリソースが無ければ生存に関わるため、可能な限り余剰リソースを残そうと画策します。悪い言い方をすれば怠けます。生物は本能的になるべく努力しないで済むような選択を取るということです。
以上の2点より、人は大抵の物事を直感で判断します。努力が必要な推論はあまり用いず、頭を使うことは自然と避けるのが人のデフォルトです。
もちろん直感が必ずしも悪いわけではなく、むしろほとんどの場合で直感は正しい結果をもたらします。
直感とはただの当て推量だけでなく、今までの経験や持っている知識から導き出される瞬間的な意志決定を含む総称であり、チェスや将棋のプロが瞬間的に良い手を見つけることや、医者やエンジニアが問題箇所を瞬時に識別できることも直感の一種です。直感は侮れないどころか複雑な情報処理を瞬時に行っている高度な脳機構だと言えるでしょう。
そもそも飲食店に行って「この水は本当に安全か」「この食器にはもしや毒が塗られていないか」「この食品は適切な経路を通ってこの店に届いたか」なんてことをいちいち推論していては日常生活を送ることなんてできません。私たちは経験に基づいた直感に従い「飲食店の食事は安全に食べられる」と考えて飲食をしますし、それで問題が起こることなど稀です。
推論が必要な場合
ただ、直感は時に逆らわなければならない場合もあります。過去の経験則や自らの知見に基づいた直感が必ずしも正解を選べるとは限らないためです。
直感はどうしても統計的な処理が苦手ですし、入手できていない情報へ思考を巡らせることもできず、経験を重視しすぎたり好みに偏重し過ぎたりします。
つまり、直感には必ず認知バイアスが働きます。熟考熟慮して推論すれば認知バイアスを必ず避けられるわけではないものの、直感の認知バイアスには注意が必要です。
よって人は直感に従い行動することを基本とし、しかし必要に応じて知的怠惰に陥らないよう推論を働かせる努力を支払う、そのような姿勢が必要となります。
なぜ人の認知を学ぶべきか
この手の認知の仕組み、特に二重過程理論や認知バイアスについては知っておいた方がお得です。
人類の歴史は安全の模索です。生存を安定させるために様々な危険を排除することで人類は生き延びてきました。
テレビやSNSで安全な情報よりも危険な情報のほうがたくさん流れているのも同根です。生き物は本能的に安全を確保したいと望み、そのために回避すべき危険な情報を優先的に仕入れたいと望む需要があるからこそです。
とはいえ、現代の先進国ではそこまで大きな危険に遭遇することはありません。食料は安定的に生産されており、天敵もおらず、今日明日にでも殺されるかもしれない危機を感じている人は少数派でしょう。
現代において今なお明確に残っているのはそういった外的な危険ではなく内的な危険、つまり人間の脳がもたらす認知です。
小さなところは個人の誤解による喧嘩から、大きなところは魔女狩りや戦争などで代表できるように、どれだけ他所から危険がやってこなくとも人間が脳内で誤った情報処理をすると危険が生じることは言うまでもないでしょう。
よって人間の思考の仕組み、認知のクセや偏りを学ぶことで脳がもたらす危険を回避することには大きな意味があり、外的な危険を概ね排除し終えた私たち現代人はむしろ率先して学んだほうがよいかと思っています。
結言
これは軍事的な概念を援用すると分かりやすいかもしれません。
陸戦・海戦・空戦・電子戦と様々な戦場が生まれてきた先として、現代では情報戦・認知戦といった人の思考にまで争いの場は広がっています。
現代における人の認知は危険に晒されている残った領域であり、予防的な学習と防衛が必要な分野です。