言葉を用いてネガティブな感情体験(恐怖、不安、苦痛、悲しみなど)を与えることで、相手の行動や認識に変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為。
(村中直人『〈叱る依存〉がとまらない』紀伊國屋書店、2022)
こんばんは。先週の金曜日に東京は品川にある隣町珈琲にひさ~しぶりに足を運んで、勅使川原真衣さんと村中直人さんのトークイベント「『これくらいできないと困るのはきみだよ』と子どもにいいたくなるのはなぜだろう? ~能力主義と脳の多様性の視点から解きほぐす夜~」に参加してきました。期待通り、お二人の言葉からポジティブな感情体験(勇気、安心、快楽、喜びなど)をもらうことができて、一週間の疲れがすっとほどけていくように感じられた、
夜。
隣町珈琲で行われた勅使川原真衣さんと村中直人さんのトークイベントに参加してきました。勅使川原さんの「職員室を変える。先生をいい悪いで判断しない」や、村中さんの「圧の指導である程度まではうまくいってしまうことが問題」など、学校教育の在り方を問い直す話をたくさん聞くことができて満足。 pic.twitter.com/IM1D166u60
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 20, 2026
以下、うろ覚えですが、メモをもとにした備忘録です。間違っていたらごめんなさい。叱らないでね。
- ニューロマイノリティの子どもはめちゃくちゃ叱られている。でも、よくなっていない。たとえ素晴らしい親だったとしても、わかっちゃいるけど叱ってしまっている。叱ることで、子どもをコントロールしようとしている。叱るは不安から生まれ、利他の皮を被っている。(村中)
- 現在ではなく、未来に期待して叱る。それに対してケアは今ここ、すなわち現在を相手にしている。「ほしい」が未来で、「好き」が現在。(村中)
- ほしいが爆発して好きが消えるのが依存症。(村中)
- 選択肢とセットになっていない主体性は、矛盾。学校はそのことがわかっていない。子どもたちには「やらない」という選択肢がない。(村中)
- 組織(会社や学校)には、うまくいっていることではなく、うまくいっていないことの事例交換が必要。(勅使川原)
- 「まとめる」「そろえる」「整える」ができている教師が凄い(!)と言われる状況を変えなければいけない。(勅使川原)
- 通知表のABC評価を廃止した新宿区立西新宿小学校では、テストに点数をつけていない。そのことによって子どもがどこを間違えたかをよく見るようになったそうだ。(勅使川原)
- 名古屋市立山吹小学校の取り組み(一斉授業を減らす、子どもたち一人ひとりが時間割をつくる、等々)がすごい。(村中)
- 自閉症の子どもの支援は、具体的に。なぜならばコミュニケーションのスタイルがハイコンテクストだから。(村中)
- コンサルが呼ばれるのは、人が辞めていく組織、人が集まらない組織。つまり実害が出ている会社。(勅使川原)
- 職員室を変えなければいけない。先生を「いい」「悪い」で判断しない。(勅使川原)
- もしも私が文部科学大臣だったら、一斉授業を3割やめて、教科書の学年表記もやめるように通達を出す。学校の先生たちは優秀だから、仕組みを変えれば適応してくれるはず。(村中さん)
もしかしたら勅使川原さんと村中さんの能力観にはズレがあるのかもしれない。対談の途中、近くのお客さんがそう話していました。その気づきは、私が村中さんの『〈叱る依存〉がとまらない』を読んでいるときに感じた、「もしかしたら村中さんと、藪下遊さんや高坂康雅さんの〈叱る〉観にはズレがあるのかもしれない」とよく似ています。
村中直人さんの『〈叱る依存〉がとまらない』読了。脳科学等の研究を踏まえると、〈叱る〉の効果は危機介入と抑止力に限定され、学びや成長にはつながらない、とのこと。藪下遊さんと高坂康雅さんの『「叱らない」が子どもを苦しめる』と主張が異なるように思える。〈悩ましい〉がとまらない。#読了 pic.twitter.com/j1YbyF5aU6
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 28, 2026
村中さんは《学びや成長を促進するという意味での「上手な叱り方」は、残念ながら存在しません》と書き、藪下遊さんと高坂康雅さんは《適切に叱ることで、子どもの成長を促すことができる》と書きます。ポストにも綴ったことを繰り返します。えっ、どっちなの(?)って、
〈悩ましい〉がとまらない。
村中直人さんの『〈叱る依存〉がとまらない』を読みました。インパクトのあるタイトルゆえ、以前から手に取りたいと思っていた一冊です。それでも読まずにいたのは、村中さんの『「叱れば人は育つ」は幻想』や、村中さんが執筆陣のひとりとして名を連ねている『ニューロマイノリティ』を先に読んでしまったから。つまみ食いをしたら、ちょっと空腹感が満たされてしまった。
そんな感じです。
目次は以下。
はじめに
Part 1 「叱る」とはなにか
Part 2 「叱る」に依存する
Part 3 〈叱る依存〉は社会の病
Part 4 〈叱る依存〉におちいらないために
あとがき/〈叱る依存〉をより深く考えるためのブックリスト/注
冒頭の引用は、村中さんによる「叱る」の定義です。これは、わかりやすい。ポイントは《「他者をコントロールしようとする」行為だということと、「(受け手側の)ネガティブな感情体験」を利用する行為だという》ところです。この視点で「叱る」を考えると、
叱られる側にはなりたくない。
そう思います。ある意味、エプスタイン事件も、そして今日始まった、もしかすると第三次世界大戦の引き金になりかねないイスラエルとアメリカによるイランへの先制攻撃も、「叱る」の構造に近いのではないでしょうか。被害を受ける側のネガティブな感情体験を梃子に、相手をコントールしようとしているわけですから。イスラエルにせよ、アメリカにせよ、過去の成功体験が影響しているためか、あるいは村中さんが依存症について勉強しているときに見つけたという《自己効力感》や《処罰感情の充足》という脳の《報酬》によって気持ちよくなってしまっているためか、
それこそ《戦争依存》がとまらない。
そんなふうに映ります。「叱る」には2つの効果しかない。村中さんは脳科学の知見を踏まえ、そう説明します。1つは、危機介入。そしてもう1つは、抑止力です。たとえば、子どもが窓から身を乗り出していたら大きな声で叱る。そうすることで子どもは危機から逃れ、さらにはその危険な振る舞いが「叱られる」という記憶と結びつくことで、同じような行動を予防することができる。そういった効果です。村中さんはこれら2つの効果を踏まえた上で、「叱る」の限界について、次のように書きます。
繰り返しになりますが、ネガティブ感情のメカニズムを利用する「叱る」という行為には、人の学びを促進する効果はありません。そこに「叱る」という行為の限界があります。
だから「叱る」を手放そう。途中の説明はすっとばしますが、村中さんは最終的にそう呼びかけます。
うん、手放したい。
でも、難しいんです。学校で働いている身としては、なかなか難しいんです。その難しさを村中さんも言語化しています。トークイベントにて、村中さん曰く「圧の指導である程度まではうまくいってしまうことが問題」云々。そうなんです。圧の指導、すなわち「叱る」指導である程度までうまくいってしまう教室があるんです。逆に、「叱らない」指導でダメになってしまう教室もあるんです。そして、「叱る」指導でうまく回っている教室があると、学校全体に「叱る」が連鎖するんです。
そこを、どうするか。
ヒントは、村中さんの言葉でいうと《前さばき》であり、藪下遊さんと高坂康雅さんの言葉でいうと《関係性の中で納めていく》です。答えを知りたくなったら、ぜひ、村中さんの『〈叱る依存〉がとまらない』と、藪下遊さんと高坂康雅さんの『「叱らない」が子どもを苦しめる』を読んでみてください。

〈戦争依存〉がとまらない世界がおそろしいです。第三次世界大戦は、2026年の2月28日に起きた、イスラエルとアメリカによるイランへの先制攻撃で始まった。クラスの子どもたちが私くらいの年齢になったときには、歴史の教科書にそう書かれているのでしょうか。
不安がとまらない。
おやすみなさい。

