飲酒に関してもカントは独自の見識を持ちあわせていた。彼は『実用的見地における人間学』で「飲酒は人を多弁にする。しかし飲酒は心を開かせもするし、ある道徳的特性、つまり開けっぴろげさの物質的運搬手段なのだ。自分の思想を奥まったままにすることは、純粋な心にとっては息苦しい」(七巻、一七一頁)と、酒の社交にとっての有用さを指摘している。
(横道誠 編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』金剛出版、2025)
おはようございます。カントもすなる飲酒といふものを、私もしてみむとてするなり。というわけで、先日、ある道徳的特性、つまり開けっぴろげさを求め、唎き酒会に参加してきました。チャレンジしたのは、
水平飲みと垂直飲み。
造り方が少しだけ違う日本酒を飲み比べるのが「水平飲み」で、醸造年度の異なる日本酒を飲み比べるのが「垂直飲み」です。ネットで調べたところ、ワイン・テイスティングでよく使われる手法とのこと。
知りませんでした。
が、知らなかったがゆえのビギナーズラックでしょうか。それとも異動してからもうすぐ半年になるというのに、適応することも、心を開くこともできずに、依然として奥まったままにされている思想が「溺れる者は藁をもつかむ」とばかりに運を引き寄せたのでしょうか。水平飲みと垂直飲みをした後に行われた唎き酒クイズに見事正解し、そして正解者4名で行われたじゃんけん対決にも勝ち、
「雨垂れ石を穿つ」をゲット。
唎き酒会で優勝(?)して、滋賀県の福井弥平商店が製造している「雨垂れ石を穿つ」をもらった。メロンの味がする日本酒。嬉しい。 pic.twitter.com/wLU2M0uKvF
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 23, 2025
雨垂れ石を穿つ。
石を穿つほどの雨垂れって、自閉的ですよね。一点にこだわって垂れ続けるわけですから。毎日同じ時間に同じルートで散歩していたというカントも、おそらくは雨垂れ的な人だったのでしょう。何かを穿つほどの大量の文章を書き続けている横道さんも同様です。曰く《筆者が40歳でASDの診断を受けたあとは、カントにもきっと同じ特性があったのではないかと推測するようになった》云々。定型発達者がつくった常識という石だったり、定型発達者が抱きがちな偏見という石だったりをも穿つ雨垂れ的な人は、すなわち自閉スペクトラム症の人は、
いかにこの世界を生きているか。
横道誠さん編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』を読みました。編著者である横道さん以外に著者として名前を連ねているのは、石原真衣さん、斎藤真理子さん、高野秀行さん、頭木弘樹さん、柴崎友香さん、松本俊彦さんです。おそらくほとんどが、
雨垂れ的な人。
横道誠さん編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』読了。三部から成る当事者批評。最初に理論を、次に対話によってその具体を、そして最後にハイデガーとカントを例に当事者哲学へと発展していく、どこまでも横道さんらしい一冊。個人的には、高野秀行さんの登場が壺。#読了 pic.twitter.com/NLENQssfkb
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 25, 2025
目次は以下。
第Ⅰ部 当事者批評の来し方・行く末
第Ⅱ部 当事者として対話に臨む。
第Ⅲ部 自閉スペクトラム症者としてハイデガー、カントを読む
タイトルである「自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか」という問いに答えるべく、横道さんは「当事者批評」という方法を採用しています。その方法に関する理論を説明しているのが第Ⅰ部。そしてその理論に基づく具体を「対話」というかたちで提示しているのが第Ⅱ部。応用として、あるいは発展として、おそらくは自閉スペクトラム症者であろうマルティン・ハイデガーとイマヌエル・カントを取り上げ、それぞれの思想に迫ったのが第Ⅲ部。サブタイトルには「当事者批評・脳の多様性・文学と哲学」とあって、当事者批評は主として第Ⅰ部に、脳の多様性は主として第Ⅱ部に、そして文学と哲学は主として第Ⅲ部に対応している、と読めます。
白眉は、第Ⅱ部でしょう。
横道誠さん編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』を読み進める。斎藤真理子さんとの対談に《誰しもが人生の当事者であって、何かの問題を抱えて切実に生きています》とあり、故に斎藤さんが言うように当事者研究本って面白いのだろうな、と。エッセイのそれと似ているな、と。
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 23, 2025
横道誠さん編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』を読み進める。頭木弘樹さんとの対談に《その人だけが見えたり思ったりすることを、どんどん発信していくって大事じゃないかと思うようになりました》とあって、教員もどんどん発信していくって大事じゃないかって改めて思う。
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 24, 2025
横道誠さん編『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』を読み進める。松本俊彦さんとの対談に《ちなみに断酒会は、主治医から雰囲気が体育会系っぽいと言われて、参加する前に行く気がなくなってしまいました》とあり、体育会系っぽい校長のもとではやる気がなくなるのと似ている。
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 24, 2025
酒の多様性ならぬ、脳の多様性。唎き酒会ならぬ、唎き人会です。取り上げているのが同時代人という意味で、水平飲みが第Ⅱ部。取り上げているのが非・同時代人という意味で、垂直飲みが第Ⅲ部ともいえます。
みんなちがって、みんないい。
第Ⅱ部の対話を踏まえて言い換えると、みんな当事者で、みんな切実。そのことをさまざまな「声」を通してポリフォニックに教えてくれるのが『自閉スペクトラム症の私は、いかにこの世界を生きているか』というわけです。
自閉スペクトラム症の私が、自分に閉じることなく自分を開いて声を上げているのだから、みなさんももっと声を上げましょうよ。教員不足も、みなさんが抱えている切実さも、それから自分の言葉で話すことのできる読書家の総理大臣がわけもわからず辞めさせれるのも、私たち国民が「閉じている」からかもしれませんよ。そんなメッセージとしても読めました。だから、読みましょう。開きましょう。そして、
石を穿ちましょう。

唎き酒会終了後、おでんを食べつつ、近くに座っていた参加者さんたちとの社交を楽しみました。スクールカウンセラーさんだったり、フリースクールの経営者さんだったりもいて、しばし教育談義に。そのお二人が、口を揃えて曰く「学校の先生は忙しすぎてかわいそう」云々。そうなんです。忙しすぎるんです。切実なんです。切実なのに教員が言っても誰も反応してくれないんです。だからそのことを、教員ではない人たちに、もっともっと、
開けっぴろげに発信してほしい。
雨垂れ石を穿つ。

