冒頭に不登校の子どもが増えているということをお話ししました。かつて不登校がほとんどみられていなかった頃は、子どもたちも、嫌なことがあっても学校には行くものだと思い、学校に行かない(不登校になる)という選択肢さえありませんでした。しかし、近年では学年に一人やクラスに一人は不登校の子どもがいます。また不登校の社会的関心がますます高まる中、テレビのニュースなどでも不登校を取り上げることが増えてきて、フリースクールなど学校以外の場で楽しく学んだり遊んだりしている姿が映し出されることも多くなってきました。このような形で、学校に行かない子どもの存在を知ると、学校に行かないという選択肢があり得るんだと考えるようになります。まさにモデリングです。
(髙坂康雄『不登校のあの子に起きていること』ちくまプリマー新書、2025)
こんばんは。まさにこのモデリングが怖いがために、「みんなちがって、みんないい」とはなかなか言い切れない、というのが、ほとんどの学級担任の本音でしょう。クラスの子どもたちが「チャイムが鳴っても着席をしないという選択肢があり得るんだ」、「ノートをとらないという選択肢があり得るんだ」、「授業に参加しないという選択肢があり得るんだ」などと考えるようになって、銘々が好き勝手なことをやり始めたらたまりません。かつて道徳の副読本に載っていた「堤防の穴を塞いで洪水からオランダを救った少年」よろしく、規律の穴をいち早く塞いで教室を決壊させないようにするのが私たち学級担任の仕事(のひとつ)というわけです。
が、しかし。
その規律こそが嫌だった。もっと多様な通学・授業スタイルを考えてほしかった。2024年度に過去最多を記録した不登校児童生徒34万6482人の中には、そんなふうに感じていた子もいるはずです。
現在の高校生の12人に1人は通信制高校に通っていて、その魅力はといえば、著者の髙坂康雅さん曰く《多様な通学・授業履修スタイルも通信制高校の魅力になっています》とのこと。小中学校も「多様な通学・授業履修スタイル」を真剣かつ具体的に考えていかないと、不登校は増え続けるばかりだと思う。
— CountryTeacher (@HereticsStar) July 26, 2025
本年度受けもっているクラスに「不登校のあの子」はいませんが、いつ誰が「不登校のあの子」になってもおかしくない時代です。教員も、親も、不登校について全方位的に学んでおいた方がいい。
備えあれば憂いなし。
髙坂康雅さんの『不登校のあの子に起きていること』を読みました。教育ジャーナリストのおおたとしまささんが《これほど丁寧で真摯で冷静で網羅的で、バランスのとれた不登校の本を私は知らない》と帯に声を寄せている一冊です。確かに網羅的だなぁと感じたことから、読了後には「この本を課題図書にして、保護者と教員で読書会をしたい」って、髙坂さんと藪下遊さんの共著『「叱らない」が子どもを苦しめる』を読んだときと同じように、今回もまたそう思いました。
目次は以下。
第1章 34万人という数字の背景 ── 不登校の現状
第2章 学校に行かないのもつらい ── 子どもの気持ち
第3章 軽視されている保護者の孤立 ── 親の気持ち
第4章 ゲームと寝坊のスパイラル ── 家庭での対応方法
第5章 先生も不登校のプロじゃない ── 学校との相談・交渉
第6章 不登校ビジネスに要注意 ── 適切な居場所探し
第7章 不登校は「お先真っ暗」なのか ── その後の進路
目次の言葉を拾って要約すると(詳しくは手にとって読んでみてください)、現状、不登校は増え続けていて、子どもはつらいし親も孤立してつらいし、家庭も学校も対応方法がわからずに苦しんでいるし、そのつらさや苦しみだったり居場所のなさだったりにつけ込んで不登校ビジネスが暗躍しているし、ほんと、不登校はあらゆる意味で「お先真っ暗」、
なのか?
そうとは言い切れません。髙坂さんは、第7章に続く「おわりに」に次のように書いています。
「不登校」という言葉自体も、「登校できず」という否定的なニュアンスが含まれています。本当は、「学校が合わなかったから、自分に合う場所で学ぶ」という子どもの主体的な姿勢が含まれている用語がよいと思っています(少なくとも、不とか非とか否のような漢字が含まれていない方がよいと思いますが、よい言葉が見当たりません)。だからこそ、本書を読んでいただき、不登校に対する理解を深め、「学校に行かないことはダメなこと。悪いことではない」と思っていただければ幸いです。また、学校に行かなくなったら(不登校になったら)終わり」ではなく、「不登校になっても大丈夫な世の中になってきている」ということを感じていただければと思います。
お先真っ暗ではない、ということです。むしろ、不登校の子どもたちによって、世の中が変わってきている。不登校になっても大丈夫な世の中になってきている。社会学者の宮台真司さんの言葉を思い出します。
生きづらさは人のせいか。社会のせいか。社会がクソだから人が生きづらいのではないか。治されるべきは人ではなく社会ではないのか。人を治すことでクソ社会が温存されるのではないか。クソ社会を何の問題もなく生きられる人こそクズではないのか。宮台真司さんの『崩壊を加速させよ』より。
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 15, 2023
34万人を超える不登校生徒児童が、クソ社会に影響を与え、通信制高校のような多様な通学・授業履修スタイルを採用する学校が生まれてきている。そのような見方・考え方を働かせることができるというわけです。
藪下さんとの共著『「叱らない」が子どもを苦しめる』において、髙坂さんは、「叱らない」が不登校34万人を生んだ、あるいは《世界からの押し返し》を経験できなかった子どもが不登校になった、という見方・考え方を働かせていましたが(違ったらごめんなさい&私もそう思います)、今回の『不登校のあの子に起きていること』では、どちらかというと、そういった見方・考え方をベースにしながらも、最終的には、不登校34万人が結果として世界を押し返し、クソ社会に変わる別の社会をかたちづくる起爆剤となっている、という見方・考え方を働かせているように思います。つまり、
不登校34万人が、社会を変えた。

いつ誰が「不登校のあの子」になってもおかしくない時代であるのと同じように、いつ誰が「休職中のあの先生」になってもおかしくない時代です。前任校の初任は1学期で休職に追い込まれたそうだし、かつての同僚のパートナーも休職に追い込まれたそうだし、明日は我が身という言葉がリアリティーをもって迫ってくる、
ここ数年。
でも、こう思います。メンタルをやられて学校に来られなくなった教員の総数が「不登校34万人」と同じくらいのインパクトをもつ数字になれば、そして教員養成系の大学における「教員にならないという選択肢があり得るんだ」というモデリングによって教員不足がさらに加速すれば、社会は変わるのではないか、と。酔り道しなければやってられないような働き方も変わってくるのではないか、と。だからつまり、
崩壊を加速させよ。
おやすみなさい。

