以下の内容はhttps://www.cmons.me/entry/on_the_roadより取得しました。


酸素

私は彼女が死んだことがきっかけで福祉職に移ってきた。もう5年になる。


最近は路上生活者への相談援助業務をしている。

市内の公園や図書館、川沿いを回って対象者を探し、困りごとはないか声をかける。


12月2週の金曜日。すでに川を出た路上生活者経由で、保護を受けたい人がいるという情報を得て居所へ駆けつけた。


70代。xx橋橋脚下。下記の理由によりx年前から路上生活。左腕と両足…視界不良……記録を読むも、実際の人となりは会うまでわからない。

寒風吹きすさび、濁流溢るる冬の川。金曜日は会えなかった。この業務は毎日あるわけじゃない。月曜日も会えなかったら、次は10日後。もう次の年が来る。その人は新年をどこで迎えるのか。




翌週月曜。結果として、その人とはあっさり会うことができた。

先輩職員と3人、役所へ同行し、保護の申請をし、宿泊先もスムーズに決まった。市内の施設に空きがなかったので、2つ隣の知らない街でその人は寝泊まりすることになる。今日の夜から。




角材とブルーシートで編まれた、職能を感じさせる居所。つい数時間前まで、紛れもなく人の住処であった空間。

無料低額宿泊所の職員が来るまでの間、先輩職員が車を停める場所を探す裏、最後に忘れ物がないか確認しに居所へ戻った。川沿いの道を2人で歩いていった。秋晴れに富士山が見えた。


東京ってこんなに自然が豊かだったんすねぇ。
これだけ静かでのどかで、誰も来ないところなら私も住みたいなぁ。

正月帰るの?
いやー…




「ハウスレス」という、物理的に家がない状態を指す言葉がある。

一人で住む家。
誰かと住む家。

そのどちらも失った状態。


その人に家族はいなかった。
その人には親も妻も子どももいた。前は。


ハウスレスに対する「ホームレス」は、家族や人間関係、心の拠り所をすべて失った状態を指す。


その人が誰かと会えていた頃。
コロナ禍が去っても電車を避け、徒歩で職場に通っていた頃。
コンロの使えない隣人に温かいものを差し入れていた頃。


「ホーム」は確かにあった。


ホームがあったら、家族がいたらなんなのか。


いつでも帰っていい。
なにも持ってなくても。

ずっといていい。
なにもできなくても。


風邪をひいたらポカリかなんか冷蔵庫に入ってる。
風呂に入れないほど疲れてても洗濯が終わってる。


ただいまとおかえりで公私を区切れる。

おやすみを言いあって一日を区切れる。

正月にこたつに足を突っ込みあって、新しい自分を迎えられる。






寂しくない。




夕方、大きな神社の駐車場。


無料低額宿泊所の軽バンに乗ってその人は去っていった。先輩職員曰く、涙ぐんでいたそうだ。私は目が悪いので気づかなかった。

無人のテントに、主が戻ってくることはおそらくもうない。その人は老いて死ぬだけだ。縁もゆかりもない街で。一人で。



今日あった出来事。半日も一緒にいなかった、二度と会うことのない人。なのにたまに思い出して、少しの間目を開けていられなくなる。


でもそれだけだ。




ホームがなかったら、家族がいなかったらなんなのか。


全部一人でやる。


病気をしても家にも帰れず。
盆も正月も、明日の心配だけをして。


でもそれは続かない。いつか限界が来る。

いつか一人の力では立てなくなる。




誰も好きで一人になるわけじゃない。

別に無補給でエベレストの頂を目指してるわけじゃない。

先の方に栄光や名誉かなんかが待ってて、そのために縛りプレイをしてるわけじゃない。



単に生存したいだけ。

でもベースキャンプがない。






だから、たまたま袖が触れ合った誰かと、一瞬だけ酸素を分け合う。


人生一度きりとは自分のことじゃなかった。

今、目の前にいる人と話せるのが、手を握れるのが、今回の人生だけという意味だった。








以上の内容はhttps://www.cmons.me/entry/on_the_roadより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14