OCT/2023
昨年からスタートした中山道自転車旅を先月に完走しました。
草津からスタートして、江戸日本橋まで。
合計7日間でした。
「68次/草津」
2023年10月。
東海道と中山道の追分のある近江国草津から出発します。
「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた道標が残っています。
東海道は今までに自転車で3回走りました。今回は初めてとなる中山道です。

「67次/守山」
守山という地名は、東門院が創建されたことに由来します。
京都の鬼門を守るとされる比叡山延暦寺。そのまた鬼門にあたるこの地に比叡山を守る東門院が置かれたことから守山と呼ばれるようになったそうです。

「うの家」
造り酒屋だった町家がリノベーションされた施設。
守山宿の歴史を伝える展示だけでなく、レストランやカフェもあります。
「元内閣総理大臣・宇野宗佑氏」が生まれ育った家としても知られています。

「66次/武佐」
守山からは野洲川を渡り、しばらくは旧街道が続きます。
その後国道8号線に合流。ただ朝が早いこともあり、交通量は少なかったのでよかったです。国道8号線から旧街道を少し走ると、武佐(66次)に到着します。

「豊郷小学校旧校舎群」
次の愛知川(65次)まではほぼ旧街道を走ります。
そして愛知川の先にある豊郷には、ヴォーリズ建築として有名な豊郷小学校旧校舎が残されています。


「64次/高宮」
高宮は多賀大社最寄りの宿場町。
その多賀大社一の鳥居は中山道沿いにあり、なかなかの威容を誇っています。

「63次/鳥居本」
随所に古い町なみが残っている宿場町。
この鳥居本には3つの赤と呼ばれる名産品があったそうです。
・赤い丸薬の神教丸
・赤い渋紙の合羽
・赤いスイカ
「摺針峠」
鳥居本を過ぎると、摺針峠への坂道が始まります。
かつて峠には望湖堂という茶屋がありましたが、残念なことに平成3年の火事で焼失しました。この望湖堂からは、往時は琵琶湖が一望できたようで、中山道随一の名勝と言われていたそうです。

「61次/醒井」
摺針峠からの坂道を下っていく途中には番場宿(62次)という小さな宿場があり、さらに進むと醒井宿。
居醒の清水から流れ出る地蔵川に沿って、今も風情ある町なみが残っています。



「60次/柏原」
近江国最大級の宿場だったという柏原宿は、美濃との国境を控えた近江国最後の宿場町。
伊吹もぐさを扱う商家は昔の佇まいを今に伝えています。

「近江美濃国境」
岐阜県と滋賀県の県境には小さな小さな溝があります。 かつてはその溝が美濃と近江の国境でした。そこには国境の標柱があり、寝物語伝説の場所となっています。
その昔、京都から奥州へ落ち延びた源義経を追う静御前が旅の道中で長久寺の近江側の宿をとりました。隣の美濃側の宿には義経の家来の源造が泊まっており、それに気づいた静御前が「義経に会うために、奥州まで連れて行ってくれ」と源造に懇願した、というやり取りがあったそうです。両国の宿に泊まる旅人が、寝ながらこの話をしていたことから、この土地の人々が「寝物語の里」という名を付け、今もなお語り継がれているのです。
引用/関ケ原町の情報発信サイト「関ケ原観光ガイド」

近江と美濃の国境を過ぎるとすぐに今須(59次)という小さな宿場町。江戸へ向かう朝鮮通信使はここ今須で昼食をとるのが通例だったとのこと。
今須から次の関ヶ原(58次)への道中には、関ヶ原の戦いに参戦した武将の布陣跡などの碑が多数あり、関ヶ原という土地はこの戦いと切っても切れない関係にあるんだなと感じます。


「57次/垂井」
垂井宿には地名の由来となった大ケヤキの根元から湧き出る垂井の泉が今も残っています。
ただこの大ケヤキも、2015年に倒れてしまったのが残念なところ。

「56次/赤坂」
濃尾平野に出た中山道は平坦な道が続きます。おかげで疲れはあまり感じません。
次の宿場である赤坂は、かつては杭瀬川の川湊として賑わいました。川を下っていけば伊勢湾へと通じます。

「55次/美江寺」
かつて美江寺(美江寺観音)という寺院があったそうです。
斎藤道三によって岐阜へ移されましたが、地名だけが残ったそうです。

「岐阜/川原町」
河渡(54次)にて、長良川を渡ります。
加納(53次)への中山道は、鏡島弘法近くの追分で右の道をいくことになりますが、岐阜の川原町へと向かいました。
長良川の川湊として栄えたこの町は、狭い間口に長い奥行きという昔ながらの日本家屋が軒を連ね、伝統工芸品「岐阜うちわ」のお店や、岐阜銘菓「鮎菓子」で知られる和菓子店などが、今も営業しています。

今回はここ岐阜まで。