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安冨歩の『ドラッカーと論語』【要約・感想】

記事の内容

 

 

 

『マネジメント』とは、「学習」に着目し、いかに「自由な社会」をつくるのかという道を模索した思想書であり、その本質において、同じく「学習」による社会秩序を求めた『論語』と一致している。これが私の考えである。

 

 

この記事では、安冨歩の『ドラッカーと論語』という本を紹介します。

 

ドラッカーと論語、どちらも語ることで、両者の理解がさらに深まる。どちらも、コミュニケーションと組織を考察した歴史的な名著です。

 

経営に関心がある人にも、そうでない人にも、とても学びになる一冊です。

 

それでは、この記事の目次をどうぞ。

 

 

 

 

 

ドラッカーと論語

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はじめに ドラッカーと孔子の対話
 序章 もしドラッカーが『もしドラ』を読んだら

第1部 ドラッカー思想の本質
 1章 マネジメント<徳治>
 2章 マーケティング<知己>
 3章 イノベーション<学習>

第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
 4章 全体主義<組織の罠> 

第3部 ドラッカー思想の現代的意義
 5章 情報<コンピューターの衝撃>
 6章 ポスト資本主義<組織解体の時代の組織>
 終章 未来への道

 

 

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(時期によって変動するのであらかじめご確認ください。)

 

 

 

 

 

要約

本書の内容の一部を紹介します。

 

 

ドラッカーのマネジメント論の要点

①自分の行為すべてを注意深く観察せよ

②人の伝えようとしていることを聞け

③自分のあり方を改めよ

 

 

 

 

ドラッカーのマネジメント思想の起源

全体思想に抗うこと、これが起源である。若き日のドラッカーは、ドイツのファシズムを経験しているからだ。

 

これは、孔子の『論語』と精神を共有している。

 

 

 

 

論語の「仁」「君子」とは何か

 

思考と行動に一貫性を持たせようという誠実さを持ち、誠実であるからこそ、学習によりその一貫性を日々微調整できる構え。

 

この状態を「仁」という。

 

「仁」たりうる者を「君子」という。この君子はドラッカーのいうマネージャーとその本質を共有している。

 

学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たりうる者を「君子」と呼ぶ。
 「学び」と「習い」の喜びを知り、それがない者にも穏やかに接することができる者こそが「君子」である。「學而時之」というものが、組織を率いる良きマネージャーには絶対的に必要だということを、「仁」という概念で、孔子は説いている。それが『論語』だ。

 

組織を率いる者には、仁が不可欠である。

 

とにかく、君子、マネージャーにとって最も重要なことは、「仁」という状態を保持できるかどうか、である。

 

ドラッカーと孔子に共通しているのは、マネージャーや君子を、天性の才能がある者とは位置づけていないことだ。だが、だからといって誰にでも務まるようなものではないと断言している。

 

 

 

 

 

 

ドラッカーのマーケティングの本質

 

「自分を知ること」がドラッカーのマーケティングの本質だ。

 

自分が自分のことを知らないことに気づく。ここから始める。

 

自分のことはわかっている、と思っている限りは、自分を知ることはできない。その思い込みを離脱し、わかっていることとわかっていないこととを分別することで、初めて「己を知る」ということが可能になるわけだ。

 

子曰く。「他人に自分が理解されていない」なんてどうでもいいことだ。「自分を理解しようとしない」ことが問題なのだ。

 

 

 

 

 

ドラッカーのマネジメントの本質

 

・イノベーション フィードバックを通じた終わりのない学習

・マーケティング 外界とのコミュニケーションにより己を知る。

 

この2つの要素から成るのがマネジメントである。そして、それがうまく動いている状態は、「仁」である。

 

仁を実現しうるのは人間だけだ。

 

 

 

 

 

ドラッカーのマネジメントの本当の願い

 

ドラッカーのマネジメントは、全体主義に抗う思想である。

 

組織はすぐに全体主義的な力に傾く。だから、全体主義に頼らずに組織が生きる方法を模索した。つまり、ドラッカーのマネジメントを、人間を組織に適合させて使うための管理手法と錯誤しては絶対にいけない。

 

とどのつまり、『マネジメント』とは、「学習」に着目し、いかに「自由な社会」をつくるのかという道を模索した思想書であり、その本質において、同じく「学習」による社会秩序を求めた『論語』と一致している。これが私の考えである。

 

孔子も、仁でありつつ、人の中で生きよ、と言う。

 

わたしは、この人間の仲間と共にいるのでなくして、誰と共にいようか。

 

 

 

 

 

 

「真摯さ」は誤訳である

 

「真摯さ」は、原文では、integrity of characterと書かれている。

 

そのまま素直に、「真摯さ」ではなく、「人格の統合」と訳すべきだ。一個の人間として一貫性があることを指している。

 

「真摯さ」と訳したのは上田惇生だ。彼は、文化の異なる日本向けに訳したのだ。元々の「人格の統合」という趣旨では、立場主義イデオロギーをもつ日本社会に受け入れられないと考えたのだろう。

 

現代日本は「立場」が支配している社会だからである。この立場イデオロギーに沿って活動するためには、オリジナルのドラッカーではやっていけないのである。
 考えてみれば良い。日本の組織において、もし誰か本気でドラッカーを読んだら。ドラッカーの教えに従い、自分の人格の完全性と統合と一貫性とを守り、思想・信条・原則を重視して仕事をすると、いったい、どうなるだろうか。その人は、ほぼ確実にトラブルの連鎖を起こして、総スカンを食らうことになる。そして「わがまま」だと言われ、袋叩きにあって窓際へと放逐されてしまうだろう。

 

上田は、組織のために自分を捨てることを、「真摯さ」と表した。繰り返すが、これは本来のドラッカーの意図と異なる。

 

 

 

 

 

 

『論語』に基づくドラッカーへ

上田流の「真摯なドラッカー」は、もう賞味期限切れである。日本型の立場主義イデオロギーがもう通用しないからだ。

 

ドラッカーの本質は、「フィードバックを通じた学習」である。その必要条件が、integrity of characterだ。

 

そして、ドラッカーは、組織の運営は自由と平等という価値の上で形成されるマネジメントによってしか成り立たない、と考えた。次のように言い換える。

 

組織のマネジメントを目指すことは、それ自身が、最終的に東アジアの伝統の古い基本的な価値たる、仁義礼智忠信孝悌を、再編成した基礎の上に、新しい秩序が現れることを示している。

 

 

 

 

 

感想

 

ドラッカーのマネジメント、孔子の論語、ともにその重要性が改めて分かった。現代日本において、ドラッカー、孔子がまだ重要だと感じるということは、現代日本における組織にはまだまだ君子が足りないということなのだろう。君子たる存在が、空気のように身近にはなっていないのだ。

 

しかし、理想像、重要性はとても分かるのだが、現実とのギャップも感じてしまった。

 

・君子たる素質もつ人間を、組織内でどうやって選べばいいのか。経営者にとっても、会社員にとっても、とても頭を悩ます問題だろう。

 

・選ぶ、というよりも、選ばれる、が本質な気がする。そのような風土、組織形態をどうすれば醸成できるか。このとき、従来的な「評価制度、評価項目」は、君子の登用をむしろ邪魔してしまうのでは、という予感が離れない。

 

・君子たる状態を判定する評価項目は何か。現代日本の会社で、「君子をマネージャーにする」という理想を目指すような評価制度を採用できているのは、いったいどれほどの割合だろうか。

 

・そもそも根源的な問いとして、君子たる素質を判定できるのは君子だけなのではないか、という視点も無視できない。もちろん、実際には、白黒判定できるようなものではないが。

 

 

組織の評価制度の実際とは、というテーマでもっと情報を集めてみたくなった。

 

そして、そもそも、人が人を評価するとはどういうことか、という学問的、哲学的な考察も改めて気になっている。いくつか当てがあるが、その話についてはまた別の記事でまとめられたら、と思う。

 

 

 

 

 

 

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