
歳を重ねていくにつれ涙もろくなってきて、最初から最後まで涙なしでは観られませんでした。
悲しくて泣けるのか、感動して泣けるのか、感情が何層にも重なり合うような映画でした。
生きていると必ず誰でも別れを経験しますよね。
別れもたったひとつの形ではなく、いろいろな別れの形がありますね。
映画を観ていたら、色んな人の顔が思い浮かんできて、もしも会いたい故人に会えることができたなら、何て言葉を掛けたいかなと考えました。
【遺族に寄り添う葬儀プランナーの漆原と亡くなった人の声を聴くことができる美空】
遺族と故人に心から寄り添うことができる目黒蓮さん演じる葬祭プランナーの漆原と亡くなった人の声を聴くことができる浜辺美波さん演じる新人葬祭プランナーの美空。
遺族も故人も納得できる、区切りをつけられるような葬儀とは何か?
妊婦の妻を亡くした夫、幼い娘を失った夫婦、離れて暮らす最愛の人を看取れなかった男性、、それぞれが深い喪失感を覚えています。
故人の声が聞こえるなんてスピリチュアルなお話なの?と思いますが、そんな単純なお話じゃありません。
遺族に寄り添うのは簡単なことじゃない。
故人がどんな思いだったかを想像することも簡単なことじゃない。
悲しみは他人事だと思えば胸が痛むし一見冷酷だけど、残された人はどうやって大きな悲しみを乗り越えたらいいのだろう。
どんな言葉を掛けたら救われるのだろうか。
故人も遺族もお別れの区切りをつけることができるのだろうか。
映画では遺族と故人のそれぞれの家族のエピソードと心情を丁寧に描いていて、「悔しさも怒りも悲しみの一部」として区切りをつけるまでの時間を「納得のいく時間」として見送り見送られるまでの過程が、優しくて温かい気持ちにさせてくれます。
【故人との思い出は記憶のなかで生きている】

心残りがあると悲しみをなかなか癒せないものです。
でも思い出は色褪せないんですよね。
思い出すと、当時のまま、当たり前だけど記憶の中では生きている。
故人が亡くなるまでどんな風だったとか、会っていない時間の人から聞いた話の記憶は薄れていくのだけど。
一緒に過ごした時間はたしかにそこにあって、鮮明に覚えていて、故人にできなかったことを思い出すのではなくて、故人とできたことを思い出す。
もしも会いたい故人に会えたとしたら、故人がいなくなったのが嘘みたいに、昨日まで一緒にいたかのように会話をしたい。
私のように、そう思っているのなら悲しんでばかりはいられないかもしれない。
出来なかったことを後悔しがちで、何年経っても思い出すと泣けてきたりもするけど、どれくらい経てば懐かしいなと思える日が来るのかな?
それはきっとその人との関係性にもよるし、数ヶ月かもしれないし、何年も何十年もかかるかもしれないけど残された人が故人との区切りをつけることができたときなんだろうな、と映画を観て思いました。
【遺族の思いと故人の思いは同じとは限らない|残された遺族にできることは?】

遺族の思いと故人の思いは同じとは限らないですよね。
同じだったとしても、同じじゃなかったとしても、残された人にできることは今を生きること。
故人の声が聴こえようと聴くことができなくても、自分ができる範囲で今からでもしたいことをできたらいいなと思いました。
ミモザの季節にいつも思い出す人がいて、ミモザの花を飾りたくなりました。

少しでも故人の思いを想像できたなら、心が軽くなるかもしれないですね。
どのように受け入れたらいいのか、今をより大事に、心に区切りをつけて、少し心が軽くなったような気がするのは、この映画を観たからかもしれません。
穏やかな綺麗な区切りをつけられるお別ればかりではないかもしれませんが、「ほどなく、お別れです」の本当の意味が少し理解できたかもしれない。
どこまでも続く綺麗な空や霧ヶ峰の美しい自然の景色も印象に残ります。
悲しみの先に希望がある物語だと思いました。
この映画を観に行かれる方はハンカチをお忘れなく、、いい映画でした。