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小泉八雲が紹介した松江周辺のミステリースポット✨

お話の始まりは 松江の城下町

松江は 怪談で有名な小泉八雲のゆかりの地です

現在公開中の朝ドラ『ばけばけ』ブームで 松江は大盛り上がり✨

 

「怪談」には たくさんのお話がありますが...

中でも「耳なし芳一」「ろくろ首」「雪女」などは  子どものころに一度は聞いたことがあるお話ですよね

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👆「ぜんぶ、北斎のしわざでした。展」にて撮影した 北斎漫画 

 

今から175年前 小泉八雲(パトリック ラフカディオ ハーン)は ギリシャレフカダ島で生まれました

1890年  40歳で来日し 松江で英語教師となります...

ドラマでは違う展開ですが 八雲は寒さで体調を崩し寝込んでしまったそうです

その時に身の回りの世話をしてくれたのが のちに妻となる18歳年下のセツでした

1896年には日本国籍を取得し「小泉八雲」と改名

 

松江城の近くには 今でも八雲の旧居(武家屋敷)が残っています

「知られざる日本の面影」も 彼の名著👇

八雲は 松江を「神々の国の首都」と呼び 同名の著書も出版しています

 

家屋への入場は有料です

八雲が使っていた机と椅子⤵

とても素敵なお庭ですね✨

ドラマ『ばけばけ』でも ヘビ🐍とカエル🐸が登場しますが...

この庭にはヘビやカエルもいて 八雲は ヘビがカエルを食べないよう自分の食事を分けてあげたりしたそうです

 

隣接する小泉八雲記念館」には 彼の著書や愛用の品が展示されていました

※こちらは館内撮影禁止でしたので 内部の写真はありません

 

結局は 八雲が松江の冬の寒さに耐えられず 1年ちょっとで 熊本に引っ越したようです

のちに東京で 54歳の若さで 生涯を終えられました

 

ところで

ここ松江には 古くから不思議な話が伝えられているそうです

八雲はセツが語るこの怪奇話にとても興味を持ち 彼の代表作「怪談」が生まれました

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今回 すまりんたちは『ばけばけ』ブームに便乗し 松江に残るゆかりの地を訪れてみました(^_-)-☆

 

 

まずは 八重垣神社にお参り!

観光地として人気なので まだ社務所が開いていない朝いちばんに参拝しました

松江市街から5kmほど南の郊外にあります

 

車道をはさんだ神社の向かいに 「玉椿(夫婦椿)」がありました

小泉八雲「八重垣神社の背後にある聖なる森を訪れる前に ぜひとも見ておきたいものがある(新編 日本の面影 II より)と記したものです

説明板に 資生堂花椿会の名前がありました

 

こちらは銀座7丁目にある 資生堂ビル

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椿がモチーフの資生堂のシンボルは 八重垣神社の椿と直接関係はないようですが 資生堂と松江には不思議なゆかりがあります

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明治5年(1872年)に資生堂薬局が開業したこの場所は 出雲町とよばれ かつて松江藩の屋敷があったそうです

銀座資生堂の前の通りは「花椿通り」よばれ 出雲市から贈られた出雲椿(ヤブツバキ)の木が植えられているのです

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余談ですが 資生堂パーラーのパフェはすまりんの大のお気に入り💛

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お化粧品より ストロベリーパフェに目がないんです(笑)

「八重垣神社の玉椿」は縁結びの聖なる存在ですが 小泉八雲は別の話として「椿の木」は化け物の木といわれ 夜な夜な歩き回るのだと紹介しています

「松江のある侍屋敷にあった椿の木は 夜になるとあまりに頻繁に庭をうろついたので ついに伐り倒されることになった」

斧の一撃が加えられるたびに椿の木は血を吐き 身をよじってうめき声を発したのだそうです😱

 

鳥居をくぐると 石碑がありました

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」

ヤマタノオロチを退治した素盞嗚尊スサノオノミコトが櫛稲田姫クシナダヒメ)を妻にもらい受け 新婚の住居をかまえた時の歌です

古事記」の最初に出てくる歌で 「古今和歌集」の「仮名序」にも この歌から歌の三十一文字が定まったと書かれていて 日本最古の短歌とされています

八重垣神社は新居の地に建てられたのだそうで 素盞嗚尊と櫛稲田姫主祭神として 縁結びの神様として有名です✨

 

社殿に参拝します

今朝は青空で清々しいです(*^^*)

 

八重垣神社の一番の人気スポットは 水みくじでご縁の遅速を占う「鏡の池」です

すまりんたちは 朝イチの静かな時間帯に占うつもりだったので 前日のうちに占い用紙だけを購入しておいたのですが...

 

社務所が開いていない時間にも占い用紙が購入できるようになっていました

一枚100円です

 

社殿の背後から川を渡って 向こうの小道へ進んで行きます🐾🐾

鬱蒼とした森の中に きれいに掃き清められた道が続いています

奥の院」にあたる佐久佐女の森は 素盞嗚尊がヤマタノオロチを退治するとき 櫛稲田姫を隠した場所とされています

小泉八雲「八重垣神社の背後にある聖なる神秘の森(新編 日本の面影 II より)と記しています

 

しばらく進むと 鏡の池がありました

稲田姫が隠れていた時に 飲み水にしたり また姿見として使ったといわれます

池の奥には櫛稲田姫をお祀りする「天鏡神社」が鎮座していました

 

小泉八雲は 「日本の面影」にこのように記しています

池の水はとても澄んでいる  そして 井守が水中に何匹も見える

恋人たちは紙で小舟を作り その上に一厘銭をのせて池に浮べ その舟のゆくえを見守る 

紙が湿ってきて 水が中にしみ込んでくると 一厘銭の重みで 舟はすぐに池の底に沈んでしまう

水は澄んでいるので 一厘銭は前と同じようにはっきりと見える

もし井守が近づいてきて 一厘銭に触れるようなことがあれば 恋人たちは神々の御心に叶ったことになり 幸せになれる

 

神社のサイトによれば ご縁の遅速を占う池とされています

100円か10円で 占います

 

占い用紙を水面に浮かべ 硬貨をそっと置きました

重いほうが少しでも早く沈みそうですが...

重さは 10円玉が4.5g 100円玉が4.8g

(使い込まれると摩耗もしますし 誤差の範囲かと...)

 ケチなすまりんたちは 10円で占いました(笑)

 

硬貨だけ落ちてしまった昨日?のお札が水面に何枚か漂っていました⇩

水に濡れると 占い用紙に文字が現れました

 

すまき⤵

すまりん⤵

周りにはすまきしかいませんので すまきを見たら 無視されました(笑)

吉の方向は 二人とも全くばらばら^^;

 

お札は 15分以内に沈めば縁が早く 30分以上かかると縁が遅いのだそう

また 遠くで沈むと 遠方の人とご縁があるようです...

男女の縁に限らず いろんなご縁についても占えるそうですよ(^_-)-☆

※八重垣神社のサイトを参考にさせていただきました

 

『ばけばけ』でも縁占いのシーンがありましたね(^_-)-☆

実際 セツがこの占いをしたところ 紙は遠くで沈んだのだとか...

 

すまりんたちのはなかなか沈まなかったので 池を一周していたら その間にすまきのが沈んでいました💦

水に浮かべて7~8分後だったはずです

 

すまりんのは まだ残っていましたが 同じような条件で浮かべたので まもなく沈むと予想し(笑) 慎重に見届けることにしました(^_-)-☆

 

浮かべて14分後...

ようやく沈み始めました

沈む瞬間を 上手く動画におさめることができました⤵

八雲の書いたように イモリ(井守)がゆらゆらと泳いでいました

(※金魚っぽいですけど イモリです)

ギリギリ15分以内に 近くで沈みましたが 果たしてどいういうお告げだったのでしょう...

 

神秘的で不思議な体験でした

 

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神魂神社(かもすじんじゃ)

八重垣神社から1km足らずの場所にある神社です

「大庭宮には 伊邪那美命が祀られており 神魂神社とよばれている(新編 日本の面影 II より)と八雲も紹介しています

段差の大きな階段をのぼっていくと…

本殿があらわれました!

現存する日本最古の大社造りで 国宝に指定されています✨

神魂神社のある大庭(おおば)は 出雲の国府国分寺があった古代出雲の政治の中心地で 出雲国造家が居を構えていました

神魂神社出雲国造家が邸内で私的に祀っていた社が起源であったようで 古い神社にもかかわらず「出雲国風土記」等の文献に名前が現れないのだそうです

 

出雲国造家についてはこちらで書かせていただきました

 

出雲国造家はのちに出雲大社宮司に専念することになり 大社のある杵築に居を移したため 神社だけがこの地に残ったようです

この神社には 叩くと鐘のように鳴る「大庭の音石」という石があったそうです

音石は一定の距離を越えて持ち運んではならないという言い伝えがありました

松平という大名が その石の一つを松江の城に運ぶように命じたが その石が知らないうちにひとりでに重くなってしまい 千人もの人足たちがかかっても 大橋川の橋より先きに運ぶことができなかった

それで その石はついに橋のたもとに放置されてしまったという

小泉八雲が書いた大庭の音石は 今も松江大橋のたもとに残されています

 

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松江大橋(源助柱)

現在の松江大橋は 昭和12年(1937年)に架けかえられた17代目の橋です

 

これは 「初代の松江大橋」がつくられた時のお話...

もともと ここには 人ひとりがやっと通れるような細い橋がかかっていたんだそう...

江戸時代 松江城を築城する際に 資材運搬できるよう大きな橋に架け替えようということになりました

けれど洪水などで 工事は難航したようです

そこで "人柱" を使うこととなりました💦

その人柱となったのは 源助という男であった 

彼は雑賀町に住んでいた

かねてより 襠(まち)のついていない袴をはいて橋を渡った最初の男が橋の下に埋められるという決まりがあり その通り源助は襠なしの袴で橋を渡ろうとしたために 人柱にされてしまったのである(新編 日本の面影 より)

のちに橋の真ん中の橋脚は「源助柱」とよばれました

 

八雲の時代にも橋が架けかえられましたが 新しい橋の架橋にあたって人柱が必要になるという噂が立ち 何千人もの田舎の人たちが町まで出て行くのを恐れていたと 彼は記しています

 

昭和の架けかえの際に 源助柱の近くで事故があり 工事のかたが命を落とされています

橋の手前には 犠牲者を供養する2つの石碑がたっていました

※左端に見えるのは 先ほどの「大庭の音石」です

 

月のない夜には 源助柱のあたりに火の玉がちらつくと言われていました

外国や日本のほかの地方では 火の玉はたいてい青い色をしていますが ここでは赤い色をしているのだそうです

 

すまりんたちが訪れた夜は 満月が煌々と照って 水面に映るライトアップがとても美しかったです✨ 赤い光も見え(笑)

 

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普門院

堀尾吉晴により松江の城下町がつくられた時から続く由緒あるお寺です

松江藩主 松平不昧(ふまい)公も訪れたと伝わる境内の茶室「観月庵」ではお茶をいただくこともできます

八雲も こちらでお茶の手ほどきを受けたのだそう...

 

ところで 昔 このお寺の近くに「小豆とぎ橋」という橋があったそうです

正面にちょうど橋が架かっていたので この橋ということにしておきましょう(^_-)-☆

橋の下からは夜な夜な小豆をとぐ音が聞こえたそうで「小豆とぎ橋」と呼ばれたそうです

理由は定かではありませんが 橋の近くで「杜若(かきつばた)」という 謡曲を歌うと恐ろしいことが起こるといういわれがありました

 

あるとき 怖いもの知らずの侍がその橋を通りかかり「杜若の歌」を大声で歌った

幽霊など現れなかったので 侍は笑い飛ばして家に帰った

すると自宅の門の前に 見知らぬすらりと背の高い美しい女が立っている 

女はお辞儀をすると 女性が手紙などをしまっておく漆塗りの文箱を差し出した

侍も礼儀正しくお辞儀を返した

ところが 女は「私はただの使いでございます 奥方様よりこれを預かって参りました」と言い残し そのまま姿を消した

侍がその箱を開けてみると 中には血だらけの幼い子供の生首が入っていた

あわてて家に入ってみると 座敷の床に 首をもぎ取られたわが子の死体が横たわっていた (新編 日本の面影 より)

 

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城山稲荷神社

松平直政松江藩主として初めてこの地にやってきた時

ひとりの美少年が枕元に現れて 次のように言ったのだそうです

 

私はあなた様をいかなる災厄からもお守りするために 越後にいらっしゃるご父君のお屋敷より当地へ遣わされました 

しかし 身を寄せる場所もごさいませんので 今は普門院というお寺にお世話になっております 

もし城内に私の住まいをお建て下さいますなら 城内はもちろん 城下の家々から江戸のお屋敷まで 火災からお守りいたしましょう 

私こそは何を隠しましょう 稲荷真左衛門と申す者でございます(新編 日本の面影 より)

 

そう告げると 美少年は忽然と姿を消してしまいました

 

そこで直政が城内に建立した社が この城山稲荷神社です

この神社のご利益か 松江では大きな火事がおこらないのだとか(*^^*)

「この地方では火除けのお札として この神社のお守りがどの家の戸口にも貼ってある」 と八雲は記しています

参道にずらりと並ぶ石の狐🦊🦊🦊

八雲は これらの石狐がお気に入りで 通勤の道すがらによく訪れていたそうです

当時は 数千もあったそうです🦊🦊🦊

 

※隋神門前の一対の狐が八雲のお気に入りだったそうですが  傷みが激しいため場所を移され 現在の門前の石狐は二代目だそうです

 

本堂裏の縁の下にも狐さんが…

 

八雲のお気に入りだった 初代の随身門前の狐は こちらです⤵

 

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松江城 

前回の松江城の記事でも触れましたが 盆踊りを踊っていた娘が人柱となり 以来松江城下で盆踊りを踊ると天守が揺らぐ という伝説がありました

「日本の面影」のなかで 八雲はこう記しています

「スカドラの礎」という この上なくもの哀しいセルビアの民謡にもあるように 原始的で野蛮な慣習に則り 松江の城が築かれる際に 忘れられた神々への捧げ物として 城塞の下にひとりの少女が生き埋めにされたのだという…

 

アルバニアのシュコドラにあるロザファ城にも 同じように生き埋めにされた女性の伝説が残されているそうで 八雲はそれを知っていたのですね...

アルバニアセルビアは 同じバルカン半島にある国ですが 言語は違います

 

城の鬼門にある石垣の下には 槍が刺さった頭蓋骨が出てきたという ギリギリ井戸の跡がありました

快晴の日でしたが なにか独特の雰囲気が漂っていました

 

松江城については こちらをどうぞ⤵

www.aranciarossa.work

 

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清光院

 

清光院は 朝ドラ『ばけばけ』で何度か登場しましたね

ただし ドラマの撮影は滋賀県安楽律院で行われたのだそうです

 

こちらが 本物の清光院

『ばけばけ』でも紹介されていましたが こんな話が伝えられています

松江大橋の南に住んでいた 芸者 松風が 橋の向こう側に住んでいる相撲取りと恋仲になりました

ひとりの侍が 横恋慕しようとしました

ある夜 松風が相撲取りの家から橋を渡って帰宅中...

その侍と出くわしてしまいました💧(待ち伏せ?)

松風は 近くの清光院に逃げ込もうと必死で走りましたが 途中で侍に背中を斬られてしまいます(>_<)

傷を負いながらも境内までたどり着いた松風ですが そこで息絶えてしましました

すまりんたち それは正面のお堂のことだと思っていたのですが^^;

向かって左側の白い建物(位牌堂)の前の階段で 松風は息絶えたのだそうです

中を見ることが出来ませんが 拭いても消えない血痕があるとか...

これって 本当のお話なのでしょうか?😱

 

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月照寺

 

歴代の松江藩主(初代~9代目)の菩提寺です

こちらで拝観料を納めます

立派なお座敷と 美しいお庭も見学できました(*^^*)

 

茶道の不昧流(ふまいりゅう)の祖である 7代藩主 松平治郷(不昧)にちなんで
「不昧公好みの茶室」がありました

 

お庭には 歴代藩主の御廟があります

 

初代 直政公 御廟

 

七代 治郷(はるさと)公 号は不昧

初代のすぐ隣の一等地です✨

財政再建に成功した松江藩中興の祖ということで 優遇されているのでしょうか

 

廟門の透かし彫りが見事✨

不昧松江城が望める場所に埋葬するように遺言されたとのことで... 

墓所からは松江城を望むことができます!

🔍

城下町 松江にも高層ビルが建てられるようになって 風情が失われつつあるという話もありますが ここにビルが建ったら祟られそうですね^^;

左のマンションはギリギリセーフ??

 

こちらは6代藩主 宗衍(むねのぶ )公 の廟所です

楼門をくぐって左手には 亀の背に乗った石碑(寿蔵碑)があります

 ※寿蔵とは 生前に建てる墓のこと

石碑の高さは3mもあるそうです!

このような亀の台座は亀趺とよばれ 中国から伝わったものです

亀の石像は 不昧が父の宗衍の長寿を願いつくらせたものだそうですが 夜な夜な町を歩き回り人を襲ったといわれます

住職はやめるように諭しましたが 大亀は 自分でこのことを止めることが出来なくて💧 最後は住職が 石碑を背負わせて 亀の動きを封じたのだと伝えられています

 

「亀の頭をなでると長生きできる」と教えていただきました

 

すまりんは ちょっと背伸び!

 

おや!いつの間にかちいさな須磨が!!

なんだか船の舳先っぽいですね...

海賊にゃん♥

 

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大雄寺(だいおうじ)

『飴を買う女』の舞台となった墓地があることで知られています

飴屋に毎晩水飴を買いに来るやせ細った女...

間違って埋葬された母親が 墓の中で出産し 幽霊となって飴を買いに来るという 有名なお話ですね

 

飴を買う幽霊のお話は 各地にあるようです

たとえば  京都の東山には 幽霊が飴を買いに来たというお店「みなとや幽霊子育飴本舗」が今も残っていて「子育飴」を購入できるそうです👀

近くには 以前紹介した「あの世とこの世を結ぶ井戸」もあります⤵

 

金沢の西方寺に「飴買い地蔵」という伝承があるほか

福岡の天神の安国寺にも 飴買い幽霊とその子供の墓があると聞きました

 

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加賀の潜戸(かかのくけど)

 ※潜戸は洞窟のこと

 

小泉八雲が「なんとしてでも行かなければならない」と考え「日本の面影」のなかで「子供たちの死霊の岩屋で ー 加賀の潜戸という一章を割いて紹介した場所...

 

松江から北へ 島根半島の峠道を越えて10kmばかり進み 日本海に出たところに 加賀の港があります

※加賀は「かが」と濁らずに「かか」と呼びます


マリンプラザしまね という建物に潜戸遊覧船の乗り場がありました

10:20の始発に乗りましたが 平日だからか乗客は2組4人だけでした

 

ちいさな須磨は 乗船無料(^_-)-☆

 

潜戸には「新潜戸」と「旧潜戸」があり まずは新潜戸に向かいます

旧潜戸を横目に 岬をまわります...

今から千数百万年前の火山噴火による溶岩や噴出物が堆積して地層になっているのだそうです

灯台の下に 新潜戸が見えてきました

かつては神潜戸(かみくけど)とよばれていたそうです

ここは佐太大神(さだたのおおかみ=猿田彦命が産まれた所だそうで「出雲国風土記」に 加賀神埼(かかのかんざき)にまつわる神話が残っています

船場に展示されていたパネル⤵

佐太大神の母 枳佐加比売命(キサカヒメ)はこの窟にこもって 佐太大神を出産されましたが そのとき大事な弓矢がなくなってしまいました

キサカヒメは「わたしの子が麻須羅神(ますらかみ)の御子ならば 無くなった弓矢よ 出て来なさい」と祈願すると 角の弓矢が流れ出てきました

しかしキサカヒメは「これは無くなった弓矢と違う!」と言って投げ捨てます

すると  今度は金の弓矢が流れ出てきたので これを取りました

そして 「ここはなんて暗い窟なのでしょう」といい 金の矢を放ったのです

(原文はわずか100文字あまりの漢文なので たいぶ意訳しました!)

 

次回に紹介するお宿の近くの「まがたま橋」にて撮影👆

放たれた矢は岩肌を射抜き 洞窟には ぱあっと光が射し込みました!

明るく洞内が光り輝いたため 「あゝ かかやけり✨」と言われたのが「加加(かか)」の地名のはじまりで 後に「加賀」と改められたのだそうです

岩を打ち抜いた金の矢は さらに勢いあまって沖の島も射通して穴があきました

やがて成長された猿田彦命がこの穴を的に弓の稽古をされたので この島は的島(まとじま)とよばれました

洞窟の向こうに 的島の洞窟が見えていますね(^_-)-☆

船は狭い洞窟の中へ入っていきます...

この窟を通る時には必ず大声を轟かせて行かないと 神が驚いて突風が起こり 船が転覆するのだそうです💦

今はエンジン音があるから大丈夫ですが 昔の手漕ぎ舟の時は 舟底に積んだ石で舳先を叩き わざと音を立てながら通ったのだとか...

 

こちらは船上からの写真ですが 洞内にはお社がありました

ここで佐太大神がお生まれになったとのことです

 

北側にも開口部があって 光が差し込んでいました✨

小泉八雲は「日本の面影」のなかで 天井から落ちてくる水は「新潜戸さんのお手水鉢」とか「御手洗」とよばれていて禊の水であると解説しています

また出口近くの岩からしたたる水は「地蔵の泉」で 死んだ子供たちの亡霊が飲むお乳の泉とされています

 

こちらが的島⤵

 

振り返ると 今通ってきた新潜戸が見えます⤵

 

おもしろい形の岩がありました!

左が冠島で  右が象岩🐘です

 

旧潜戸が見えました!

すまりんたちが大昔に来た時は 洞窟内に直接船をつけていた記憶がありますが…

 

今は隣に桟橋ができて トンネルの歩道で洞内に入るようになっていました

見学時間は12分ほどいただけました

 

通った記憶がないということは これは 新しくつくられたものなのでしょうね

 

トンネルを抜けて 洞内に入ります🐾🐾

ここは 年端もゆかぬのに命絶えた幼子の魂の集まる「賽の河原(さいのかわら)」といわれています

新潜戸が「神の潜戸」であるのに対し こちらは「仏潜戸」になります

 

上から岩が落ちて 昔の道が壊れていました

 

賽の河原には 石が積んであります

もしひとつでも石の塔を崩したら 子供たちの霊は泣いてしまうだろう 

そこで細心の注意を払いながら ゆっくりと 石の塔が途切れる場所まで進んだ…

… 天井から崩れ落ちた岩の屑が 砂のように薄く岩床を覆っている 

その砂の上に 子供たちが裸足で歩いて軽くつけた 長さ八~十センチメートルほどの足跡が見えた

子供たちの亡霊の足跡だ(新編 日本の面影より)

夜の間に石を積んだ子供の足跡が 片足のみ点々と残っているが 朝日が昇ると足跡はいつしか消えてなくなっている といわれています

 

八雲はくっきりとした足跡が3つついているのを見たのだそうです

八雲は不注意にも 石塔を3つ崩してしまったようです💦

償いとして 壊した倍の数だけ石の塔を積まなければなりませんでした

 

以前来た時は 本当に何かいる感じがして怖かった記憶があるのですが いろいろ経験を積んだおかげでしょうか...

それとも晴天のおかげでしょうか...

今回はそこまで怖くなかったです

 

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宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島にも 伝説があります

この島は ある晩に まるで夢のように音も立てず湖の底から盛り上がってきて ひとりの女の水死体を持ち上げたのだという

その不幸な女は 生前とても美しく敬虔な人だったので 村人はこれもなにか天からのお告げだと思い その島に弁天様を祀り 溺死した女の亡骸を埋葬したのだという(新編 日本の面影 より)

 

宍道湖に沈む夕日は とても幻想的でした

 

以上 松江に残る小泉八雲のゆかりの地を中心にお話させていただきました

お楽しみいただけましたでしょうか?

 

次回は 玉造温泉の老舗宿「長楽園」のお話です




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