信州 松本城で きれいなプロジェクションマッピングが見られると聞き すまりんたちは冬の長野県を訪れました
まずは 松本城のお話から始めたいと思います

江戸時代からの姿をそのままに残す現存十二天守...
そのなかでも 特に立派で貴重なものとして
松江城・姫路城・彦根城・犬山城 ・松本城の五城は国宝✨に指定されています

現存十二天守のなかではやはり姫路城がダントツだとは思いますが...
天守のカッコよさと立派さで比べれば 松本城も負けていません!
広い内堀をはさんで 南西側から眺める天守が最もカッコいいアングルだと思います

壁面の上部は白漆喰 下部は黒漆塗りの下見板で覆われています
この白と黒の対比が絶妙な美しさ✨
さて アルプスの山々に囲まれた松本盆地は湧水が豊富で 町の至る所に水場があります

かつて松本城は内側から 内堀・外堀・総堀 の三重の水堀に囲まれていました
※当記事ではできるだけ 水がある「濠」と 水の無い「堀」とで 漢字を使い分けているのですが 今回は 松本城の公式表記に従います(^_-)-☆

こちらは二の丸を囲む外堀ですが 水が豊富ですね!
鴨が寒そうに 脚一本で立っていました


現在地は 城の東側(地図では下)です

平成11年に復元(復興)された 太鼓門桝形から二の丸に入ってみます


かつてはこの門の右側の台上に太鼓楼があって 鐘と太鼓で家臣に時刻や情報を伝えていたそうです
こちらが太鼓門


角にある巨大な石は「玄蕃石」... 約22.5トンもある松本城最大の石です!

松本城築城の際 石川玄蕃頭康長(石川数正の長男 のち二代藩主)が運ばせたそうです
石を運ぶ際に 康長が自ら石の上に乗って鼓舞していたところ 不満を言う者がいました
石を飛び降りた康長はその者の首を刎ね😱 槍に串刺し😱高くかかげて😱 再び石を引かせたという伝説があり💦玄蕃石とよばれるようになったということです

二の丸に入ると すぐに内堀が見えてきました

二の丸は 本丸の東南西の三方をコの字型に囲んでいます

天守が正面に見える場所に着きました

これ 天守の看板ではなくて...
くり抜きから天守が写せるインスタ風の撮影スポットです✨

「いいね♥️」1憶件!!!

ところで すまりんと一緒にちいさな須磨も写っていたの 気づかれましたか?
※ちいさな須磨は2022年にお空に行った愛猫の分身です(^_-)-☆
天守前の 南西側の内堀はとても幅が広くて大きな川のようです

この日が風が強かったので 池には天守が映らなかったのですが…
翌朝は凪いで鏡になりました✨

青空で ついでに桜🌸も咲いていたら 最高ですね(^_-)-☆
美しい三角形の構図を形作る連結複合式の天守群は5棟から成ります

中央には 五重六階の「大天守」
左側に「乾小天守」と「渡櫓」
右側に「辰巳附櫓」と「月見櫓」
すべて 国宝✨に指定されています!
白鳥が優雅に泳いでいました(*^^*)

※ここまでは 入場無料です
本丸に入りましょう

本丸へ渡る黒門は 昭和35年に復元(復興)されました

天守一番乗りを目指して 開門と同時に入場!
左手のチケット売り場でチケットを購入して...

後続の方々に追い越されないよう 急ぎ足で進みます💨💨


帰りに撮影しました⤵

本日3度目登場のちいさな須磨に気づかれましたか?(^_-)-☆
こちらには 歴代城主が書かれています

先ほど ちょこっと名前が出てきましたが 初代城主は 石川数正
「どうする家康」では 松重豊さんが演じられましたね(^_-)-☆
数正は 秀吉のもとで信濃松本10万石を与えられ 松本城の築城を開始しました
そして数正の死後も後を継いだ康長が築城を続け 天守を完成させます🏯
関ヶ原では石川家は東軍に味方し 一旦は本領を安堵されますが 大久保長安事件にとばっちりのような形で連座して流罪とされ 取り潰されました💧
家康も よほど恨んでいたのでしょうか ??
数正の裏切りは徳川家のためで 家康もそれを理解していた… とする説もちょっと説得力が薄くなりますね^^;
歴史的な事実はどうであれ(笑)ドラマの数正... すまりんは 好きでした
石川氏ののち...

かつて信濃国守護であったものの武田信玄に駆逐され流浪の身となっていた名族 小笠原氏が悲願の父祖の地に8万石で入府しました
しかし 小笠原氏も最終的には小倉15万石へ転封となりました
その後は
戸田・松平・堀田・水野と 親藩譜代大名が継いで 明治を迎えます...
本丸の広場には かつては本丸御殿がありました

ちょっと余裕ができたと思ったら 後ろのかたが猛スピードで追い上げて来られ 追い抜かれてしまいました^^;

写真を撮りながら 天守へ急ぎます💨💨

一番槍は逃しましたが なんとか2番目で入場できました(^_-)-☆
大天守の向かって左側には 張り出すように「辰巳附櫓」が設けられ さらに赤い高欄のある「月見櫓」が続いています
このように 天守に直結して付櫓を設けたものを「複合式天守」といいます
一方 大天守の右側には「乾小天守」が建てられ その間を「渡櫓」が繋いでいます
このように 大天守と小天守を渡り櫓や橋台で繋いだものを「連結式天守」といいます
松本城は両方を備えているので「連結複合式」の天守の構造に分類されています☝
入場は 渡櫓からですが すぐに階段があるので危険防止のため撮影禁止です
入り口に限らず「天守内部の階段の付近も撮影禁止」となっていて 監視の人に注意されます
以前訪れた時は 特にそういうことはありませんでしたが 時代と共に変わっていくのでしょうね
こちらが大天守一階で 周囲に「武者走」という廊下があります


一階には石落としがありました

外から見たらこんな感じ⤵

随所に狭間もあけられています


二階です


武者窓(竪格子窓)から明かりが取り入れられ 有事には武者の営所にあてることができました

鉄砲関連の展示がありました


三階は屋根裏部屋のように 天井が低く窓もない階で「暗闇重」とよばれていたそうです


四階は天井が高くて窓も多く明るい雰囲気でした✨



御座所が設けられていました


本日4度目登場のちいさな須磨に気づかれましたか?

窓からお堀が見えました!

五階


五階は 南北に唐破風 東西に切妻破風 があるので⤵

「破風入込間」というスペースがあります

ずいぶん高くなってきました!

最上階への階段です

広いので 離れた場所から撮影させていただきました
(あくまでも危険防止のための撮影禁止なので安全な場所での撮影はOK)
こちらがいちばん急な 4階と5階を結ぶ階段⤵


ちなみに 現存十二天守でいちばん急角度の階段は 福井県 丸岡城の67度だと思います!
※丸岡城のお話もいずれ投稿予定(^_-)-☆
こちらが てっぺんの六階です


縁が廊下状になっています⤵

本来はこの部分に高欄がつけられる予定でしたが 信州の冬の風雪を考慮して高欄を廃し その位置まで壁を外側に広げたのだそうです
そういう目で見ると 大天守の外観がなんだか頭でっかちに見えなくもないような...

六階にも 狭間がありました!

こんな高い最上階の狭間は珍しいのではないでしょうか...

ちいさな須磨 は いつもかくれんぼみたいになってます(笑)
西側の眺望です

右手の赤い橋は昭和になってかけられたということで 昔は無かったものです
(今は渡れなくなっています)
国宝指定書✨

天守の築造年代には諸説ありましたが 柱の年輪年代調査から1596年伐採の木材が使用されていることが判明し 最新の調査結果では文禄3年(1596年)~ 慶長2年(1597年)ごろと報告されています(2025年11月発表)
現在残っている最古の天守は「犬山城」で 天正13~18年(1585~90年)ごろに築かれたとされ 年輪年代調査からもそれを支持する結果がでていますが 美濃金山城に建てられた天守の材木が 慶長6年(1601)に犬山に移築されたとの新説もあり もしかすると松本城の天守が最古である可能性もでてきているそうです✨
天守の天井について 説明書きがありました

天井の梁に 二十六夜神が祀られています

これについてはこんな謂れがあるそうです...

元和3年(1617年)小笠原氏の後に戸田康長が松本城に入府しました
翌年1月26日の夜のこと...
本丸で不寝番をしていた持筒頭(もちづつがしら)の川井八郎三郎のもとに 緋のはかまをつけたお姫様が現れました
お姫様は「これから二十六夜様をまつり 米三石三斗三升三合三勺を炊いて祝えば お城は栄える✨」と告げて 天守の上へと消えました
八郎三郎がこのことを殿様の康長に伝えたところ...
康長は天守六階の梁の上に二十六夜様をおまつりし 以後 毎月26日にお餅を供えることとしたそうです

享保12年(1727年)本丸御殿が火事にあった時に天守が燃えなかったのは二十六夜様のおかげだと言われています
では...
下りながら 途中「辰巳附櫓」と「月見櫓」を見学します

「辰巳附櫓」に入りました

寛永年間に松平直政によって 天守の辰巳(南東)に隣接する月見櫓とともに増築されたと書かれています⤵

花頭窓が設けられていて となりの月見櫓とともに風雅を感じさせる建物になっています

窓からはお堀が綺麗に見えました


下の階に降りると「月見櫓」につながっていました


高欄が設けられ 舞良戸という薄い板戸を開け放つことができて 防御の思想は全く感じられません

"天守に附属された月見櫓"は 松本城だけのユニークなものです(^_-)-☆
※月見櫓は岡山城⤵にもありますが 天守に附属されたものではありません

余談ついでに...
撮影時 たまたま特別公開中で いつもは閉まっている二階の雨戸が開いていました
満月を眺めるために南東側に置かれることが多い月見櫓ですが 岡山城では本丸北西隅にあります
南東隅に置くと お座敷仕様の開放的な窓を城の外側に向けることになるので 防御の面を考慮されているのかも… と城マニアのすまきが言ってました
敵に向かう北側は こんな感じで守りが厳重です!

ふたたび 松本城の「月見櫓の説明板」の写真をご覧いただきますが...

「現存する城郭建築の中で月見櫓を持つのは松本城と岡山城だけである」と書かれています
でも 実は 現存する月見櫓は他にもあるんですよ(^_-)-☆
こちらは高松城の月見櫓⤵

貴重な「現存12三重櫓」のひとつです!
でも 窓が小さく 方角も北向きなので 月見仕様ではありません💦
港に面したこの櫓は 到着する船の「着見櫓(つきみやぐら)」だったようです
※月見櫓の本来の意味は 参勤交代などの際 藩主の到着を見極める〝着見櫓〟のことであるとも言われています
そして こちらは復元になりますが...
右側(南東隅)の高欄と唐破風のある櫓が 福山城の月見櫓です

優雅な造りの櫓は 当時のブランドだった伏見城からの移築だったといわれています
新幹線の福山駅上り線のホームの窓から 櫓が建ち並ぶ壮観を眺めることができます
上の写真も下の写真も 新幹線のホームから撮影しました(^_-)-☆

松本城の月見櫓のお話に戻ります💨

この月見櫓は 寛永3年に上洛した徳川家光が その帰路に善光寺を参拝する際 松本城を宿城とされたため 急遽普請されたものだとされてきました
残念ながら中山道の木曾路で落石があり家光が使うことはなかったようです💦

南東側が大きく開いてるから 満月を見るには最高にゃ💛

冬雲に隠れていますが 向こうには美ヶ原高原の稜線が連なっているはずです
最新の年輪年代調査(2025年11月)によると
松本城の月見櫓には 寛永3年(1626年)伐採のツガが使われていて 従来見解より早い戸田氏のころに建てられたということで 従来の説が覆されているようです!
また さきほどの「辰巳附櫓」に関しては 月見櫓とともに増築されたのではなく「天守と同年代の建築である」と判明したそうですよ✨
この松本城... 明治には老朽化で倒壊が心配されたところを10年以上かけて修復されたそうです

立派なお城が残されて良かったです(*^^*)

天守の前に ぼたん畑がありました

小笠原牡丹と名付けられたぼたん...
戦国時代 この地を支配していた小笠原長時は武田信玄に攻められて北信濃の村上氏のもとに逃れます💨
その時 大事にしていた「白ぼたん」が敵に踏み荒らされるのを惜しみ 祈願所であった兎川寺の住職に託したそうです
檀家の久根下家が代々「殿様の白ぼたん」として守り続けてきました
昭和になって16代目小笠原家当主がこの話を聞いて感激され 白ぼたんは400年以上の時を経て松本城の本丸庭園に移植され 見事な花を咲かせているのだそうです✨

咲いてる時期に訪れたかったです^^;
お昼間の見学はこれくらいにして...
日が暮れてからのプロジェクションマッピングに再び訪れることにします(^_-)-☆

長くなりましたが あとはさらっとですので 最後までお付き合い下さると嬉しいです
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冬の日が暮れて 街にはイルミネーションが輝き始めました✨

再び 松本城にやってきました!

嬉しいことにプロジェクションマッピングの見学は無料です!
堀の向こうには 松本城が妖艶な雰囲気にライトアップされていました✨

毎年行われていて今期は以下の通りです
2025年12/13~2026 2/15(18時~22時)
〈第1期:時を超える城 〜光の物語〜〉12/13〜1/7
〈第2期:光の記憶 〜名場面ダイジェスト〜〉 1/8〜1/28
〈第3期:光咲く天守 〜春の幕開け〜〉 1/29〜2/15
※以下は 2024年〈第1期:躍動する歴史絵巻〉の写真と動画です
手前にある黒門でもプロジェクションマッピングが行われていました

では 天守のプロジェクションマッピング✨始まります!
まずは 導入編を 23秒の動画でご覧ください(^_-)-☆
一回 10分以上続きますので さすがに全部録画するのはあきらめました

お気に入りの写真を数枚添付しますね (^_-)-☆




最後は 鳳凰の舞う38秒の美しい動画をご覧ください (^_-)-☆
寒かったですが 感動のほうが大きかったです(*^^*)

~お知らせ~
松本城では 令和10年度から耐震工事(1階から5階に鉄骨フレームを通すなど)が行われるため しばらく天守の中に入れなくなるようです
昔のままの天守に登るなら 今のうち!です(^_-)-☆
次回は 渋温泉の「古久屋」のお話です