そして その妻となったコノハナサクヤヒメの足跡を追って すまりんたちは 今度は宮崎にやってきました


※前回の記事(鹿児島篇)からお読みいただけると幸いです(*^^*)
天孫降臨の舞台となった「高千穂」は霧島にある高千穂峰が有名ですが...

宮崎にもうひとつ 神話の里として名高い「高千穂町」があります

でも 高千穂町といえば 真名井の滝のある「高千穂峡」があまりに有名で...


「峰」のイメージは無いかもしれません💦
下の写真は 高千穂町の「道の駅 高千穂」からの風景

天鈿女命(アメノウズメノミコト)の石像の後方に 尖った岩峰が見えています

この地方では ニニギノミコトをはじめとした神々は高天原からこの峰に降臨したと伝えられています✨
近づいていくと 二つのピークが並ぶ双耳峰であることがわかります!

手前が女岳(989m) 奥が男岳(1082m)で 二上山と呼ばれるそうです
釈日本紀に残された日向国風土記の逸文によれば ニニギノミコトは「…日向の高千穂の二上の峯に天降りましき…」と記されているそうです
日本書紀の一書第四にも「高千穂の槵日(くしひ)の二上峰(ふたかみのたけ)」という記載があり この山の形状と一致しています

山へと進んで行くにつれ 道はどんどん細くなっていきました



細い谷筋の奥まった所に「二上神社」の鳥居がありました

そして 鳥居から見上げるような位置に 二上山の頂が見えていました

これは女岳のピークで この背後に男岳があるはずです
登山もできるようですが 今回はパスしました^^;
奥に駐車場があるので そのまま鳥居をくぐります🚗


車をおりると まっすぐに続く階段が伸びていました

200段ほどの階段で 杖も置かれていました

※先ほどの案内板に「階段を上るのが困難な場合は鳥居の横の脇道を進むように🚗」書かれてありましたね(^_-)-☆
苔むした灯籠が 神話の時代から続く歴史を感じさせます✨

マムシグサがたくさんありました!

赤紫の部分は仏炎苞とよばれ ミズバショウと同種のものだそうです
緑濃い照葉樹の森は荘厳な気配に包まれて思わず背筋が伸びる気がしました!

すぐにしんどくなりました^^; (笑)
早朝の山深い神社に 人影はありません


二上神社は 二上山をご神体とする神社で イザナギ・イザナミの2柱が主祭神だそうです


あまり訪れる人はないかもしれませんが ここはすごいパワースポットな気がします✨

霊感のないすまりんにも ただならぬ霊気が感じられました!


車で少し戻ると 高千穂を一望できる「国見ヶ丘」という高台があります

ここは雲海の名所なのだそうです

30万年前~9万年前の4度にわたる阿蘇山の超巨大噴火🌋により厚い火山灰の大地と化したこの地を 五ヶ瀬川の水が刻んで生み出されたのが この風景です

阿蘇神社の祭神である 神武天皇の孫 建磐龍命(たていわたつのみこと)がここから国見をしたのだとか…
西側に目を移すと はるか阿蘇の山並みがうっすらと見えました

うっすらの阿蘇涅槃像... 👆ご覧になれますか?

こっち向きだにゃ...
ニニギノミコトが二上山に天下った時 地上は暗く昼夜の区別もなかったのだそうです
大鉗(オホハシ)・小鉗(ヲハシ)という二人の土蜘蛛が 「その尊い手で稲穂を抜いて籾とし それを四方に投げ散らせば 空が開けて明かりを得られるでしょう」と言ったので ニニギノミコトがそのとおりに稲籾を投げ散らすと 空が開けて晴れ 日月が照り輝いて明るくなったといわれます✨
この丘がその地というわけではないようですが...
伝説にちなんだ銅像が丘の上に建てられていました




高千穂の町に下ってきました🚗
神話の町 高千穂には数々の神社がありますが そのなかにはとても読みにくい漢字の神社があります

「くしふる神社」とよびます

古事記に「筑紫日向高千穂之 久士布流多気(くしふるたけ)に天り坐しき」と書かれていて 日本書紀にも「筑紫の日向の高千穂の槵触之峯」という文があり この神社の背後にある「槵觸山(くしふるやま)」もまた 天孫降臨の山とされています✨

ここも神々しい雰囲気に満ちていました✨
山をご神体とするので 長く社殿を持たなかったといわれますが 現在は本殿が建てられて ニニギノミコトを主祭神としています

参道の横から 一帯の山をめぐる遊歩道がでています

ご神体山の槵觸山は里山っぽい低山のようで 目だったピークは見えませんでした
ここにもマムシグサがたくさん生えていました

毒々しい姿と名前ですが
それに違わず誤食すると死亡することもある毒草です😱

あかーん!(笑)
広場に「高千穂碑」がありました

天孫降臨を伝える「日向国風土記逸文」と 大伴家持が残した万葉集の長歌の碑です
さらに進むと 森の中に「高天原遥拝所」がありました

天孫降臨した神様がここから高天原を遙拝したといわれますが 眺望はありません...
きっと心の目で拝むのでしょう
山を越えて行くと「四皇子峰」の案内がありました

ニニギとコノハナサクヤヒメの子がヒコホホデミ(=ホオリ・山幸彦)
五瀬命(いつせのみこと)・稲飯命(いなひのみこと)・三毛入野命(みけいりのみこと)・磐余彦命(いわれびこのみこと)の四兄弟です
四兄弟が生まれた場所なので「四皇子峰」というそうです

末っ子の磐余彦命(いわれびこのみこと)が日向から東征して大和に入り 神武天皇となりました
大陸の遊牧民族にもみられる「末子相続」が 当時の日本で行われていたことがわかるエピソードです
山すそを流れる 神代川(くましろがわ)まで行ってみます🐾🐾

藤の花が満開でした(*^^*)

近くまで行くと とても甘い香りが漂ってきました
清流が 住宅地を流れています

川べりの大きなケヤキの木の下に 泉がありました

天真名井(あめのまない)です✨

木の洞の奥に 澄んだ水が湛えられています

天真名井のすぐ先に「夜泣き石」という大石がありました

コノハナサクヤヒメが身ごもったとき あまりの難産にこの石に抱きついてお産をされたという伝説があり 夜泣きの赤ん坊が触ると泣き止むご利益があるそうです✨
火に焼かれながら難産とは… 大変ですね^^;
すまきは何をお願いしているのでしょうか(笑)

宮崎県北部には ニニギノミコトの伝説地は多いのですが コノハナサクヤヒメのものは少ないので ここは貴重な場所です(^_-)-☆
山深い高千穂から 延岡市に向かいます🚗
四皇子の長兄 五瀬命(いつせのみこと)の名にちなむといわれる五ヶ瀬川(ごかせがわ)の河口に 延岡市があります

お話 がらりと変わりますが
延岡といえば チキン南蛮発祥の地でもありますね(^_-)-☆
「直ちゃん」と「延岡 おぐら」の二店舗が元祖といわれているそうです!
元祖 チキン南蛮 直ちゃん(延岡市栄町)

(チキン南蛮定食 1000円)
粉と玉子をつけて揚げた鶏むね肉を甘酢にくぐらせた オリジナルのタイプです
ごはんとお味噌汁はお代わりできたと思います

(写真はイオン多々良店:チキン南蛮 1318円)
揚げた鶏むね肉にタルタルソースをかける メジャーなタイプです
どちらもそれぞれに良さがあり とっても美味しかったです(*^^*)
お話 戻りまして...
こちらは 市街の中心にある延岡城

千人殺しの石垣が有名です!

この隅の大石をはずすと 石垣が崩れるのだとか⤵

よいしょ よいしょ

あかーん!(笑)
石垣が本当に崩れるかどうかは別として...
現在は 抜けないようコンクリートで補強されているそうです

山頂まで 車で行けます🚗
別名「笠沙山」といわれるこの山は ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会った「笠沙の御碕」であるとされています

※かつての海岸線はもっと陸側にあって この山は海に突き出した「岬」になっていたようです...

出逢いの聖地ということで 公園になっていました


片隅に 猿田彦大神の碑が…


頂上までやってきました


展望台のふもとには 出逢いの聖地のモニュメントが いろいろ...


天気がイマイチですが^^; デートで訪れるにはロマンチックですね💛

ちいさな須磨は好奇心旺盛(笑)

これからもお空の須磨の分身として登場しますのでよろしくお願いします😸

展望台の壁に ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの神話のエピソードが描かれていました


愛らしく描かれているコノハナサクヤヒメ...
それに対して イワナガヒメは 可哀そうすぎます💧

先の”鹿児島篇”でお話しした 燃え盛る産屋の中での出産🔥

コノハナサクヤヒメから生まれたのは
火照命(ほでりのみこと 海幸彦)
火須勢理命(ほすせりのみこと)
火遠理命(ほおりのみこと 山幸彦)
延岡の新たな観光モデル事業として 売り出す気満々のようですね

展望台からは 延岡市内が一望できました

マラソンや駅伝で有名な旭化成・延岡工場の紅白の煙突が見えています
市内中心にある小高い丘が 先ほどの「延岡城跡」

コノハナサクヤヒメの話からはちょっと逸れますが...
西郷隆盛とニニギノミコトにまつわる興味深いお話が残っています

北に連なる稜線は「可愛岳(えのだけ)」

西南戦争の際 田原坂(たばるざか)での敗戦後に各地を転戦した西郷軍は ちょうど煙突の右側にみえる「和田越え」で 最後の組織的抵抗を試みました
西郷隆盛率いる薩摩軍3500名
対して山県有朋中将指揮する官軍は約5万!
決戦に敗れた西郷軍は 可愛岳へと撤退しました💨💨💨
可愛岳を見上げる「俵野」という集落に 西郷隆盛が宿陣した建物が今も残されています


桐野利秋や 息子の西郷菊次郎らがこの近辺に分宿していたようです

こちらが西郷隆盛が本営を置いた児玉熊四郎宅⤵

屋内には 緊迫した軍議の様子が再現されていました



西郷が使用したお膳や什器も残されていました


こちらは「人斬り半次郎」で知られた桐野利秋の刀

和田越え決戦で敗れた西郷軍は ここ俵野を重囲されてしまいます

残された道は背後の「可愛岳(えのだけ)」のみ...

西郷は解軍の令を出し 皆に投降を促しました
そして 最後まで残った精鋭1000名とともに急峻な可愛岳を越え 九州山地を縦断して鹿児島へ戻る 悲壮な退路が決断されました

明治天皇から拝領した陸軍大将の軍服をここで焼いたと伝わります


西郷は13匹の犬を飼っていたと言われていますが 最後まで連れていた二匹の愛犬をここで解き放ちました

西郷は目を潤ませながら愛犬の頭を撫でていたそうです...
二匹の犬は主人を探していつまでも悲痛な声で吠え続け その声を聞く人に涙させたといわれます(>_<)
※こちらの過去記事にて 西郷のワンちゃんたちを紹介しています



ところで
なぜ西郷が可愛岳を背に本陣を置いたのか??
それには理由がありました
じつはこの屋敷のすぐ背後にニニギノミコトの御陵とされる場所があるのです

屋敷の裏手にまわってみます🐾🐾


ここはニニギノミコトの北川陵墓参考地(可愛山陵)として 宮内庁の管理下におかれています

政府軍としても皇祖の御陵に銃弾を打ち掛けることははばかられたようで 西郷軍はそれを狙ってこの地に本営を置いたと伝わっています

山すその樹叢のなかに 御陵の玉垣があらわれました


明治7年 明治政府は ”鹿児島篇”で紹介した薩摩川内市の新田神社をニニギノミコトの「可愛山陵」であると治定しましたが その後の調査により明治29年 ここ可愛岳山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」 そして西都原古墳群にある男狭穂塚を「可愛山陵参考地」と定めました

つまり ニニギノミコトには3つの御陵があることになりますが…

残念ながらこの可愛岳のふもとには 妻のコノハナサクヤヒメの御陵は比定されていません💧
次回は「宮崎南部篇」
ニニギノミコトの最後の御陵がある西都原古墳群を訪れます