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猫城主が迎える天空の城✨現存十二天守「備中松山城」 後編

本日 後編です

 

前編は こちらから(^_-)-☆⤵

 

備中松山城のある山は「臥牛山」といいますが ひとつの峰ではなく 北から大松山・天神の丸山・小松山・前山といくつかのピークに名前が付いています

 

石垣美の美しい「近世の備中松山城」は 小松山の山頂が本丸ですが…

 

中世 戦国時代にはさらに奥の大松山に本丸があり 全山が要塞化された巨大な城だったようです✨

江戸時代にも かつての城の遺構は残されていて いざという時の詰の城としての役割を担ったと考えられます

 

前回の訪問時は雨天だったため 山城に登るのはあきらめたすまりんたち…
日をあらためて 再び山城にトライしました!

 

ーーーーーー

 

快晴 とはいきませんでしたが💧 山城にはのぼれそうです

 

今回は大手口からの登山ではなく 山の裏側から攻めてみたいと思います

 

戦国時代...

この城の城主であった三村を 毛利の大軍が攻めた「備中兵乱」では 毛利軍は城の裏手からも迫ったようですが 堅固な要塞は力攻めでは落ちませんでした

 

道の途中に「高陣」という場所が残っています

 

左端のほうの山上に 備中松山城天守がかすかに見えています


前回紹介した雲海展望台を脇に見ながら まっすぐ道を進んでいきます🚗

 

道に猿が群れていました👀

車が近づいても🚗 動じる気配もありません^^;

 

以前訪れた屋久島でもこんな光景がありました

車窓から見た「喧嘩するシカと それを見守る猿」(笑)

カオスな状態でした^^;

 

お話 戻りまして...

 

もう少し進んだ所の道の行き止まりが駐車場になっていました

管理のかたが猿たちのことを見守っておられました(*^^*)

 

車をとめて ここからは登山道で 城の裏側から攻めます🐾🐾

歩いている時は 猿に狙われないように注意!



以前登城した時にいただいたものですが こちらの「城山ウォーキングマップ」があると わかりやすいと思います

※Webサイトからもダウンロードできますよ(^_-)-☆

 

杖が置かれていました

備中松山城まで 1.5km

山道と言っても 車でずいぶん上に来ているので ほとんど登りはありません

ちいさな須磨は いつものように キャリーに潜りこみました(笑)

らくちんにゃ♥

 

道標がところどころにあるので 安心です(*^^*)

 

野ザルに注意!の看板もあちこちにありましたが...

結局 歩いている時は 一度も見かけませんでした(^_-)-☆

 

しばらく行くと 大きな吊り橋が見えてきました

「大松山つり橋」です

猿除けでしょうか?  頑丈なケージに囲われていました

つり橋と言っても そんなに揺れないので怖くありません(^_-)-☆

 

今は橋で渡れるこの深い谷が 備中松山城の北の守りになっていました

 

つり橋を渡ってすぐのところで 道が左右に分かれています

左が本丸方向ですが  右の「切通及び番所跡」を先に見ておくことにします

 

ずんずん下って行くと…



番所跡の石垣がありました

ここが 先ほどつり橋で渡った谷に続いていく峠の切通し部分になります

備中松山城の北端の守りです✨

 

引き返して 本丸の方へ向かいます🐾🐾

 

しばらくすると 遺構が現れました

発掘調査中のようですね...

 

石垣に囲まれた「大池」と呼ばれる池がありました

ここは尾根筋に近いかなり標高の高い場所ですが 立派な石垣が組まれて水が貯められています

山城の頂上付近の貯水池といえば 群馬県金山城にもありました

👆偶然こちらのタイトルにも「」が付いていますが  今回の「 猫城主😸」の登場までは今しばらくお待ちください(^_-)-☆

 

お話戻ります💨

大池には 2か所に階段が備わっています

池の形は 23mx10mの長方形で 深さは4.3m! 小学校のプールにも匹敵しそうな広さです

これだけの水の手があれば かなりの人数が長期間籠城しても大丈夫そうですね!

地元では「血の池」や「首洗いの池」とよばれ 首や刀の血を洗ったといわれますが 大切な水の手をそんなふうに使ったりするでしょうか...?

 

資料が置かれていて コピーが自由にいただけるようになっていました

池がいつ頃から存在したのかは不明ですが 発掘調査の結果 江戸期を通じて整備が行われ 池が維持されてきたことがわかっています

当時は 池に屋根が掛けられ 船が浮かべられていたそうです

大池をあとにして 本丸に向かいます🐾🐾

ちょっと坂を登るとすぐ尾根線に出て 道が左右に分かれました

右へすすむと 最初に築かれたという大松山の城への道になります

この地に城が築かれたのは鎌倉時代にまで遡るようで 古くから戦略的な要衝だったことがうかがえます

時代と共に城主は変わりますが 毛利の後ろ盾を得た三村がこの城を奪って居城としてから 大松山と小松山を含めた巨大城塞となりました✨

備中の覇者となった三村家親は 毛利家の先兵となって美作・備前へと勢力を伸ばそうとしますが 備前宇喜多直家の策略によって暗殺されてしまいます💦

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日本最初の銃による暗殺事件で父親を殺された三村元親は 仇敵 宇喜多へ報復するため 2万の大軍を率いて備前へと進攻しました

しかし 5千の宇喜多勢に「明善寺崩れ」とよばれる大敗を喫して失敗しました💦

 

この頃になると織田信長の天下統一へ向けた影響力✨が中国地方へと及んできます

そして巨大な織田家の勢力に対抗するため なんと毛利家は憎き仇敵の宇喜多と同盟したのです!

毛利の山陽地方担当 小早川隆景のこの判断に対し 山陰担当の吉川元春は反対し「宇喜多などは表裏の者であり到底信用できる相手ではない」 「義を通さぬ毛利家の将来は暗い」などと嘆いたといわれます

宇喜多に遺恨を持つ三村元親は毛利から離反し 織田信長と内通してしまいました💦

三村の離反に対し 毛利輝元は隆景を総大将として備中に8万の大軍を派兵したといわれます(= 備中兵乱

 

 

三村軍の本城である備中松山城は 備中兵乱当時「砦二十一丸」と呼ばれた出丸が築かれていたことが記されていて 全山が要塞化していたと思われます

 

井戸がありました

中は埋まっていて 水はありませんでした

 

右が本丸 左が二の丸で その間に掘り込まれた堀切へと道が続いています

 

井戸の上の腰曲輪です

 

こちらが本丸だそうです!

3人で 記念撮影📷✨

 

これは 土橋のような遺構でしょうか

 

こちらは二の丸と三の丸の間の堀切で 向こう側が三の丸です

 

8万という大軍で攻め寄せた毛利軍も さすがにこの城を力攻めで落とすことはできず 周囲の城を陥落させたうえで城を囲み 籠城する三村軍の調略にかかりました

 

一か月近い包囲ののち...

将来のない状況に 三村軍から内応者が出て ついに備中松山城は陥落しました💧

城主 三村元親は自刃し その墓は 宇喜多直家に銃で暗殺された父 家親とともに城下の頼久寺にあります

 

大松山から引き返して 分岐を南のほうに進みます🐾🐾

 

斜面の巻き道を行きます

備中兵乱の際には木は全て伐られていたはずで この道も帯曲輪の一部だったのかもしれません

 

「天神の丸」と呼ばれている場所にやってきました

左右の曲輪の間の堀切部分に道が通されていました

天神の丸は一帯の峰々を総称する「臥牛山」の最高峰(480m)に位置します

5つの削平地からなる独立した城塞で 備中兵乱では内応によってここが最初に陥落したそうです

 

天神社があったという本丸の方に行ってみます🐾🐾

 

石段の上には明治の頃まで天神社があったそうですが 今は城下に移されているようです

古い時代の手水鉢などが散乱していました

 

天神社跡地の上から 本丸を見下ろしたところです

 

ここが臥牛山の山頂になります

なんだか子供っぽく撮れてしまいましたが すまきです👆

 

天神の丸から小松山へと向かいます🐾🐾

 

ぐんぐん坂を下ります🐾🐾

 

「せいろうが壇」

 

下から振り返ってみると いくつも段状の削平地があることがわかります

このコンクリートの小屋は車井戸という井戸で 天守の残る小松山の城からいちばん近い水場だったようです

 

一部に石垣も残されていました

昭和30年代までここには人家があったそうで もしかしたら石垣は比較的新しいものかもしれません...

 

下りきったところに 広い平坦地がありました

「相畑城戸跡」と呼ばれている場所です

備中兵乱において戦場となった場所と伝わります

内応が出た天神の丸から小松山の城へ進出しようとした兵が争った場所でしょうか

 

相畑城戸跡のすぐ先に番所の跡があり 深い堀切を経て小松山の城へと続いています

 

堀切には「土橋」という名の木橋がかけられていました

中世に土橋だったものが 近世に石垣が整備されて木橋とされたようですね

いざとなれば橋を落とせる木橋のほうが防御力は高いと思われます

備中兵乱の時に天神の丸の方面から攻められた教訓が生かされたのかもしれません

 

ここから坂を登ると 前編で紹介した天守裏手の「水の手門跡」に出てきます

 

毛利の城となった備中松山城関ヶ原で毛利が退いたのちに幕府預かりとなり 代官として「小堀」が入りました

小堀遠州の名で有名な小堀政一は利休門下七哲の古田織部に師事し 独自の美を追求した芸術家です

茶道の遠州流の祖となったほか 特に作庭家として名が高いです✨

 

さきほどお墓の写真を紹介した頼久寺に 小堀遠州の手がけた庭園が残されています

 

遠州の特徴である 直線的な切り石をアクセントにした美しい空間が広がっています

借景の山も含めて ずっと見ていても見飽きない感じがしました

季節を変えてまた訪れてみたいです(*^^*)

 

さて...

お話はふたたび 山城へと戻ります💨

 

登山口から およそ35分🐾🐾

小松山の城にたどり着いた時刻は10時ちょっと過ぎでした

道中あちこちの写真を撮っていて時間をとってしまい ちょっと急ぎましたが  現城主のさんじゅーろーさまが見回りの散歩をされる時間になんとか滑り込めたようです💨

さんじゅーろーさまについては 前編で説明させていただきましたのでここでは省略させていただきます

気になるかたは 是非 前編の冒頭辺りをチェックしてみて下さいね😸

かわいい寝顔の写真も見られますよ(^_-)-☆

首輪に10mほどのロープが付けられていて 管理人さんに見守られながらの見回りです

 

さんじゅーろーさまに興味津々のちいさな須磨

 

近くまで行ってみました

さすが城主らしく落ち着いておられ ちいさな須磨にも動じる様子はありません

あたしは ビビッています

 

ここでさんじゅーろーさまに動きがありましたが 動画は撮り損ねました^^;

 

そしてさんじゅーろーさまは ふたたびここに座られました

 

このたびも 無事にさんじゅーろーさまに会えてよかったです(*^^*)

 

前回登城時 ふいご峠の駐車場の売店で グッズを購入しました

 

さんじゅーろーさまの ファイルと 絵はがき

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 裏⤵⤵

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イラストは「現場猫」の元ネタイラストレータさんのデザインだそうです

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なるほど 何となく雰囲気が似てますね(*^^*)

 

猫城主 さんじゅーろー煎餅も買いました!

優しい味の たまごせんべいです

 

現在(2025年) さんじゅーろーさまの推定年齢は10歳だそうです

いつまでも元気に 備中松山城を盛り上げていただきたいですね✨

 

 

次回は

大阪で感動のシネマダイニング体験!

  Le Petit Chefでのディナーのお話です




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