岡山市の北東30km

高梁川が刻んだ谷あいの小さな盆地に 高梁の町があります
ここは江戸時代以前には「備中松山」とよばれた城下町でした

「備中松山」の名が全国に知られたのは 幕末の山田方谷(ほうこく)の出現によってではないでしょうか

農民あがりと揶揄されながらも藩主 板倉勝静(かつきよ)と強いタッグを組んで 10年足らずで10万両の負債を完済したばかりか さらに10万両の余剰金の蓄財に成功するという快挙をなしとげた方谷✨

数々のエピソード的にも 司馬遼太郎の小説の主人公となっていても不思議ではない人物ですが 司馬先生曰く ”山田方谷は偉すぎて小説にするには難しい” のだそうです👀
司馬小説になっていれば もっと知名度は高かったに違いありません!
のぼりに書かれているように いつか大河ドラマになりますように...
一方 藩主の板倉勝静は藩政の改革を幕府に評価されて老中となり 生麦事件や大政奉還などの難局にあたりましたが 徳川慶喜とともに朝敵とされ 新政府軍によって宇都宮に軟禁されました💧
それを救うことになったのが大鳥圭介・土方歳三✨らの旧幕府軍です!
いきなり余談ですが
すまりんはむかし土方歳三の大ファンで(←思想的なものではなく ルックス的に 笑)...
彼の足跡を追って ヒグマの出そうな二俣峠(北海道)まで銃弾を探しに行っただけでなく 新撰組の史料を読みあさっていたマニアの時代がありました
新選組の鬼の副長 土方歳三の話も書いてみたいのですが 史料になりそうもない写真がぽろぽろとアルバムに残っているだけなので 難しそうです^^;
藩主の板倉勝静はそのまま奥羽列藩同盟の参謀となって"函館の五稜郭"まで転戦し 従った備中松山藩士も新撰組に加わり歳三のもとで戦ったというドラマチックな運命をたどりました✨

... ということで 新政府軍への恭順が「伊予松山藩」よりも遅れたため「備中松山」の改名を余儀なくされ 今の「高梁」という地名になったのだそうです
逆だったら 愛媛の県庁所在地は「道後」とかになっていたかもしれませんね
池田屋事件でも活躍した新撰組七番組組長 槍術師範の谷三十郎(たにさんじゅうろう)は もと備中松山藩士でした
そして 紆余曲折を経て...
平成30年 さんじゅーろーは備中松山城主にのぼりつめたのです!


にゃんとも癒される寝顔(笑)
2018年の豪雨災害…
高梁川が溢れ 真備町が水没した豪雨災害では 上流の高梁市もダメージを受け 備中松山城も登山道が土砂崩れのために登れなくなってしまいました
なんとか復旧できても 激減した観光客は戻ってきそうにもありません💧
そんななか 一匹の迷い猫がお城に住み着き🐈 訪れる人に愛想をふりまくようになったそうです
猫の噂はSNSであっという間に広まり 城を訪れる人の数は前年比を超えるまでにV字回復することとなりました!
猫城主 さんじゅーろーの誕生です(*^^*)
すまりんたちもさんじゅーろーさまに拝謁するために 登城を急ぎたいところですが...
まずは遠くからお城の全貌を眺めてみましょう
兵庫の竹田城からはじまった"雲海に浮かぶ天空の城"ブームですが...
標高430mの小松山山頂に本丸がある「備中松山城」も天空の城のひとつです✨
すまりんたちも雲海に浮かぶ城を見ようと 晩秋の早朝にお城を見下ろす展望台に行ってみました🚗
雲海に好条件の日は 路肩が駐車車両で埋まります ↓



残念ながら
この日は 朝霧が濃すぎて お城は完全に雲海に沈んでいました^^;

あきらめきれず 後日 雨上がりのお昼間に行ってみたところ…

山を覆い尽くしていた雲が少しずつ晴れて...

山霧の間に浮かび上がる天守を見ることができました!

雲海もいいですが こういうのも天空の城って感じがしますよね(^_-)-☆
はるかふもとの高梁の城下町…

備中松山城は本当に山の上にそびえるお城です✨
中世の面影を色濃く残すこの山城は 明治維新を迎えるまで現役でした
戦のなかった江戸時代には 統治に不便な山城はめずらしく 岐阜の岩村城・奈良の高取城とともに 近世三大山城に挙げられています
この日の登城はあいにくの雨模様💧

備中松山城は 八合目のふいご峠まで車で行くことができますが とても道が狭いです

そのため 土日などの繁忙期には五合目の城見橋駐車場(110台駐車可)から 有料ですがシャトルバスが運行され ふいご峠への一般車の乗り入れはできなくなります
平日も係員のかたが山の上と下で連絡して 対向車が来ないように配慮して下さっていました(*^^*)
ふいご峠の駐車場は14台と小さめです

休憩所ではさんじゅーろーさまの立て看板が迎えてくれました💛

ここからは徒歩での登山になります🐾🐾

過去に訪れた時は 休日でシャトルバスを利用したので 皆さん一斉の登山スタートとなりましたが…

今回は平日の雨ということで 閑散としています(もしかして貸切?)

※左側の道は 麓から登ってくる道です
ちなみにこちらが麓の登山口⤵

ここからふいご峠まで30分ぐらいかかるようです
雨でぬかるんでいますが よく整備された登山道

ところどころ城主さまから登城心得が掲示されていました



もはや猫と猫の世界(笑)


駐車場から10分足らずで そびえたつ石垣が見えてきました

中太鼓の丸です

ぐるっとまわりこんで 石垣の上に行ってみます🐾🐾


こちらの櫓台には 中太鼓櫓という櫓が建っていたようです

散乱する瓦が 往時の面影をしのばせます...

案内板によれば 眼下にみえる前山という支峰に下太鼓の丸があったようです

すぐ下のピークですね⤵

近世のお城ながら 中世以来の山城の様相を色濃く残しています✨
城下がはるかに霞んで見えます... もうずいぶん高いです!

ふりかえると 本丸のある小松山のピークが望めました

城下から本丸まで 城主の登城や有事の際の連絡を太鼓で伝える中継地点としての役割を果たしていたので 太鼓の丸と称されるようです☝
立派な石垣に もう城に入ったのかと思いますが まだ中間地点だそうです

てくてく🐾🐾

やがて山道は平坦になり…

カーブを曲がると大手門の石垣が見えてきました


そういえば 過去の登城は緑濃き初夏のころでした

誰もいない写真撮りたさにシャトルバスの人たちをごぼう抜きした気がします(笑)
まださんじゅーろーさまが元服されていなかった頃のことです...
ここから本丸へと連なる小松山上の曲輪群がはじまります

痕跡のようになっていますが大手門脇には裏の搦手門へと通じる犬走りがありました

犬走りは犬が通れるくらいの狭い幅の通路(もちろん猫は余裕 笑)
城の見回りを行なったり石垣を崩れにくくする目的のために備えられました
ここに大手門が立ちふさがっていたそうです

⇩CGで往時の復元がなされたビデオではこんな感じに再現されていました⇩

備中松山城の特徴は もともとある巨大な岩盤と石垣との融合です

緑の季節のほうが映えますね✨

ところでこの石垣 見覚えがあるかた おられませんか?


実は 備中松山城の大手門付近の石垣は
「真田丸」のかっこいいオープニングに使われました

歯切れの良いバイオリンのソロからはじまるテーマ曲が聞こえてくるようです♪
では大手門跡をくぐって中へとすすみます🐾🐾

こちらが大手枡形

ふりかえって大手桝形を見下ろしたところ

⇩当時はこんな感じだったようです⇩

このあたりから見上げる幾重にも重なった石垣の美は 備中松山城のいちおしポイントと言ってもよいと思います✨

大手門からぐるっとまわりこみながら ゆるい階段の坂道を登って行きます

この左側にある 狭間の開いた塀(「三の平櫓」東土塀)の一部は現存するもので 重要文化財✨に指定されています(※塀の継ぎ目より手前側です)
こちらが「三の平櫓」跡⤵

この小松山の一連の曲輪群には 二から順に十までの平櫓が建てられていたようです
こちらが三の丸


一段のぼると…

ここが厩曲輪(うまやくるわ)

荷馬を繋いでいた場所だそうです

三の丸が見下ろせますね

さらに上に行きます🐾🐾
ここに かつては黒門が立ちふさがっていました

今はトイレが設置された場所は かつては御前棚とよばれ食事を作る所でした

こちらが城内で最古の石垣だそうです


いよいよラストスパート

石垣をまわりこむと 天守の姿が見えました!

昔はここに鉄門という櫓門があったそうです
この広場が二の丸です

おや ベンチに誰かいますね!

さんじゅーろーさまです💛


ちいさな須磨が ごっつんこのごあいさつ💛
ほんもののさんじゅーろーさまは本丸に常駐され 体調に応じて午前10時と午後2時に見回りの散歩をされるそうですが 雨の日は中止ですよね^^;
本丸に向かいます🐾🐾

雨霧で霞んでいますが…
晴れていればこんな感じ⤵

手前右が「五の平櫓」 左が「六の平櫓」で どちらも復元されたものです
ここから先は有料です


券売所をのぞいてみると…

にゃんと💛さんじゅーろーさまが!

無事 拝謁できました!

おねむのようです...
券売所に張り付いていたら(笑)裏側のドアからも撮影させて下さいました


肉球のシャッターチャンスを逃しました^^;
では 本丸南御門をくぐって本丸に入ります🐾🐾

※見回り中のさんじゅーろーさまは 次回の後編でご覧いただきますね(^_-)-☆

「山城」に現存する天守としては日本で唯一のもので重要文化財✨に指定されています
岩盤の上に石垣を積んだ天守は 二層二階ながら西面に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属して 三層っぽくなっています!

高さは11mほどで 現存天守のなかでは最も小さな天守ですが "てっぺんの標高としては最も高い位置"にある天守です✨
ふたたびCGの写真です⤵

かつては 脇にあった「八の平櫓」から 渡り廊下で天守に入るようになっていたといわれます
ところで 標高の高い場所に建つ城は 戦いのときは堅固かもしれませんが 平時にこんな所まで登城するのは大変そうですよね💦
なので戦いのない時には 城主は麓の館に居住し政務をとりおこないました
こうした山城の麓の居館のことを「根小屋」といいます
備中松山城でも 藩政時代を通じて山のふもとに「御根小屋」という藩主居館 兼 政庁がありました


今は高梁高校の敷地となっていますが…

付近の石垣や…

正門正面に伸びる石畳の道に 往時の面影を残しています

平和な時代が続くと 山頂の櫓群を維持管理するのは難しくなります
明治の廃城後 天守は一時こんな姿にまで朽ち果てていました

別冊歴史読本 「城古写真カタログ」より
山頂の本丸のお話に戻ります💨
猫城主のさんじゅーろーさまは下城はせず 写真左側の「五の平櫓」で夜を過ごされているようです

五の平櫓の横の「六の平櫓」には展示物がありました


ところで天守の手前に見える コレ 👇

さりげなく さんじゅーろーさまも楽しめるようになっていました(笑)

こちらの門は「本丸東御門」

外(反対側)から見るとこんな感じです⤵

ふと地面をみると…
さっきは見れなかった肉球が!?

軒丸瓦の破片でした(笑)
それでは天守に入ってみます(^_-)-☆

石段をのぼって 付櫓の入り口に向かいます

天守の奥に「二重櫓」が見えています

下見板張りの壁に石落としや連子窓が連なる光景がシブいですね!
ドラえもんのポケットのような出格子窓には唐破風がつけられて 特徴的なアクセントになっています✨

石垣から張り出している部分は石落としの機能もあるそうですが 穴は見えません

スリッパに履き替えて 中に上がらせていただきます

誰もいない貸切で 靴のはき違えの心配もありません!
雨の日の特典✨ですね(^_-)-☆
付櫓内部

奥にある石落としと狭間


ここから階段をあがって天守一階に入ります


入った所はこんな感じですが…

先に二階に行ってみます
天守にありがちな急階段を上ります


二階

見上げる天井の木組みがすごいです!
みごとにはまった筋交い(すじかい)👀

筋交いとは柱の間に資材を斜めに入れて建築物を補強するためのものです
うねった太い梁✨

備中松山城の城主はめまぐるしく変わりましたが 天守を含め現在の姿の城が築かれたのは 江戸初期の「水谷氏」の時代になります

奥にあるのは御社壇


水谷氏が天守を修築した際に 三振の宝剣が安置されたとのことです

宝剣は 写真のみでした

しかし 水谷氏もわずか3代で藩主が早逝してしまい 元禄6年(1693年)に無嗣改易となります💦
その時 城の引き渡しのための収城使としてこの地を訪れたのが 赤穂藩の大石内蔵助でした
水谷家の家老 鶴見内蔵助との両内蔵助の対談により 備中松山城は無血開城となります
そして奇しくも8年後の元禄14年(1701年)
浅野内匠頭の松の廊下刃傷事件により 今度は大石内蔵助が 赤穂城を引き渡す側となってしまいました💧

防御的には不利ですが この天守は一階も二階も眺望を得るため窓が広くとられています


今日の城下町は雨霧に霞んでいます…
窓の格子はご覧の通り◇◇◇に設けられていて 突き出した弓や鉄砲が広角を狙えるように工夫されています


重厚な雨戸

二階はじゅうぶん堪能したので 下ります...


一階には資料の展示もありました


一階の見取り図

下辺(南側)から反時計回りに見てみます(^_-)-☆
こちらが南側

蔀戸(しとみど)になっているでっぱり部分が 天守正面の唐破風出格子窓部分です
有事には床板をはずして石落としにするのでしょうか...

二階の格子窓と同じ構造ですね


側面には狭間がありました

狭間のふたは外開きのようです

東側

入母屋屋根部分の天井の木組みが見えています
大きな囲炉裏が切ってありました

天守内にあるのは珍しいと思います

山の上だから冬はとても寒いと思いますが 平時は火気厳禁だったようで 有事のためのもののようです
北側(一段高くなっていて装束の間という部屋になっています)

城主の御座所となる場所のようですが 怖いことが書かれていますね💦

ここも窓が広く取られていて 北向きで雨の日なのに室内はじゅうぶん明るいです


室内では 城を復元したVRのビデオが流れていました

※これまでご覧いただいたCGの映像が こちらで見れました
窓から外を見ると…

隣に建つ 二重櫓が見えました

二重櫓へは 塀をはさんだ渡り廊下でつながれています

二重櫓も現存のもので 重要文化財✨に指定されています

※内部の見学はできません
裏側に回って二重櫓を見上げたところ⤵

天守のすぐ裏手にある「腕木御門」から続く左側の石段を下りきると こちらの「二ノ丸帯曲輪」に達し さらに右下の搦手門へと続きます

一方 二重櫓の反対側にも出口(写真右手の石段)があり いざという時には本丸からの逃げ道となります⤵

階段を下ったところは水の手門脇曲輪という小さな平地で 今は倉庫が建つ右側あたりに かつては「十の平櫓」という櫓がありました


ここに「水の手門」という門があり…

その奥から 隠し通路のような 細い道が山の方へと通じています

天守の残る城跡は「小松山」という名前ですが
この奥に戦国時代からの山城群が「大松山」まで続いているのです

大松山の山城へはちょっとした登山になるので もうすこし足場の良い日に訪れた話を 次回にさせていただきます(^_-)-☆
備中松山城は小さいながらとても魅力的な現存天守と モザイクのような見事な石垣のお城でした✨

. . . 続