今回は 琉球王国の王城✨首里城と その庭園 識名園のお話です

首里城の遺構は先の大戦で焼失してしまいましたが 1992年(平成4年)正殿を中心とする建築物群が復元され 2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されました✨
※以下4枚の写真は 今から15年前(2010年)に訪れた時のものです


一部修理中で足場が組まれていましたが 朱塗りの立派な正殿が再建されていました

内部の玉座✨⤵

「中山世土(ちゅうざんせいど)」は 琉球は中山王が代々おさめる国であるという意味だそうです
※琉球はかつて南山・中山・北山の三国が争い 中山王の尚氏が統一を果たしました
残念ながら2019年 (令和元年) 10月31日未明の火災で正殿は全焼💦

現在 2026年秋の完成を目指して 正殿再建の工事が進行中のようです!
首里城の大手門にあたるのは1958年に再建された守礼門ですが…

今回 すまりんたちは 搦手(裏門)側にあたる上の毛(うぃーぬもー)公園から登城してみました(^_-)-☆

首里城は沖縄有数の観光スポットなのでいつも混雑していますが ここにはほとんど人がいませんでした

首里城の建つ丘陵は 東西に扁平な形をしています


丘陵の東端にあたる上の毛から 尾根筋の道をたどっていきます🐾🐾

道を登りきった所に 神を礼拝する場所である御嶽(うたき)がありました

「国中城御嶽(くになかぐすくのうたき)」というそうです
首里城内には御嶽が10ヵ所あり 十嶽(とたけ)と呼ばれたと伝わります
琉球における城(グスク)は 単純な軍事施設というよりは 信仰の聖地を囲うものとして始まったのではないかと考えられています
こちらの石垣が 首里城外郭の東端の石垣です✨

ピンクのきれいな花は ニトベカズラです

台湾総督府殖産局長をつとめた新渡戸稲造を記念して和名がつけられた植物で 淡紅色の花が朝日を連想させるので 別名をアサヒカズラと言います
沖縄へは戦後ハワイから導入されて野生化したのだそうです

もはや すまりんよりちいさな須磨のほうが絵になります(笑)
外郭には4つの門(歓会門・久慶門・継世門・木曳門)があったそうです

正門は西側にある「歓会門」ですが… ※2010年の写真です

今回は東側の裏手から入るので ぐるりと城壁の下を巡っていきます🐾🐾


歩きやすい散歩道が整備されていました(*^^*)

石垣の隅角がオーバーハングしているのが特徴ですね✨

「隅頭石」というそうです☝
加工しやすい琉球石灰岩と 大陸渡来の職人の賜物でしょうか...

美しく波打つ曲線を描きながら 高い石垣がどこまでも続いています

まっすぐにしないのは 横矢を射かけるためなのでしょうね!?
城門が見えてきました!

「久慶門」といい 通用門として使われていました

別名を「ほこり御門(うじょう)」といいます
「ほこり」は 漢字で書くと「誇り」だそうです

内側から見たところ⤵

歓会門から入っても 久慶門から入っても 観光客は「瑞泉門」を通って内郭へ入ります

別名を「ひかわ御門(うじょう)」という瑞泉門の脇には 「龍樋(りゅうひ)」という名の泉があり 龍の頭の形をした銅製の樋から水が流れ出しています

この泉が 瑞泉の名の由来です☝
瑞泉門の石獅子と 眼下に外郭の久慶門⤵

瑞泉門のお次は「漏刻門」です

別名を「かご居せ御門(かごいせうじょう)」といい かつては門の上の櫓に漏刻(水時計)が設置されていました


定時になると 係の役人がここで太鼓をたたき それを聞いて城内の複数個所で大鐘が鳴らされ 周囲に時を知らせたそうです

次は「広福門」です

別名を「長御門(ながうじょう)」といい 長屋門のように建物と一体になっていて 寺社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と 士族の争いを調停する「大与座(おおくみざ)」の役所がおかれていました
そして最後の「奉神門」👇から 正殿前の「御庭(うなー)」へと入ります

奉神門の別名は「君誇御門(きみほこりうじょう)」です
「御庭」について書かれてありました

往時の「御庭」と「正殿」はこんな感じだったようです…

※これはすまりんが2010年に撮影した展示物ですが おそらく2019年の火災で焼失したと思われます
現在再建中の正殿は建屋で覆われていました

建屋の内部を ガラス越しに見学することができました


再建が進んでいるようですね...

建屋の展望台から 東シナ海まで見渡せました

火災により 正殿だけではなく それにつづく書院・鎖之間(さすのま)・庭園 といった 国王が日常の政務をおこなった建物も ともに焼け落ちてしまいました💧
琉球石灰岩の築山に松と蘇鉄を配置した珍しい庭園も 今は見ることができません...
※これは2010年の写真です

そのかわり 以前には入れなかった 正殿奥の御内原(おうちばら) とよばれるエリアに入れるようになっていました

正殿の奥は神聖な場所です✨
こちらは寝廟殿(しんびょうでん)跡で 国王が亡くなったときに一時的に霊柩を安置するところだそうです

往時には樹木が鬱蒼と生い茂り 昼間でも薄暗かったと伝えられています
城壁の階段を登って行くと…

標高約140mの 首里城の最高地点にやってきました

「東のアザナ」とよばれる 内郭最東端にある物見台です

登ってきた上の毛公園の方向です

さきほどは 下に見える外郭の石垣の下を歩いてきました
御内原(おうちばら) と正殿が見渡せます(*^^*)

南側にも城壁が取り巻いています


東のアザナを降りた所にも御嶽(うたき)がありました

「御内原ノマモノ内ノ御嶽」というそうです

奥の瓦屋根は女官居室で ミュージアムショップになっています

手前の池跡のような施設は「湯屋」ですが これは浴槽ではなく ここに貯めた水を汲んで 湯を沸かして入浴に供していたようです

このあたりは男子禁制で 大奥のような場所でした
首里城のお話はここまでです(^_-)-☆
正殿を含め 首里城のかつての姿が近いうちに再現されるのが待ち遠しいです
ブロ友のぴーちゃんさん(id:gracedusoleil2525)が 以前 首里城はじめ沖縄本島の観光の記事を投稿されていましたので こちらでも紹介させていただきますね(*^^*)
現代版 徒然草✨いつも素敵な話題を提供して下さるぴーちゃんさんです
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②識名園
城と城下町といえば... 「庭園」がつきものですよね(^_-)-☆
たとえば...




岡山城と「後楽園」


すまりんの故郷にある宇和島城と「天赦園」(^_-)-☆


※右の写真は 春に見ごろを迎える白玉上り藤のアーチです✨
そして...


首里城とともに こちらも世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成要素となっています✨

入場料(一日券): 大人400円 中学生以下200円(水曜休園)

識名園は 総面積約4.2haの広さがあり 琉球王家の最大の別邸であると同時に 中国からの使者である冊封使(さくほうし)を接待する 迎賓館のような施設でした

沖縄らしい 鬱蒼とした亜熱帯の森がひろがります

順路に従って進んで行くと🐾🐾
大きなガジュマルの木がありました

こちらが正門です

この門は 国王と冊封使のみが使用しました


冊封使(さくほうし/さっぷうし・さっぽうし ともいいます)というのは 中国の皇帝が朝貢国の君主に王号の授与を行うために派遣した勅使で 先代国王の葬儀と 新国王の任命(冊封)をおこないました
琉球では500年間にわたり 20回以上の冊封使の来訪があったそうです
琉球国王にとっては 王号の正統性を担保する大切な使者となるため 最高級の歓待がおこなわれました✨
正門からは 美しい石畳の道が続きます

綺麗な池に出ました!

識名園は 池の周りを散策しながら 美しい風景を楽しむ廻遊式庭園で その中にアーチ橋や中国風の建築物を取り入れた和漢折衷の様式になっています

泉がありました⤵


育徳泉は池の水源となっていて 清冽な水がこんこんと湧いています

「あいかた積み」という 沖縄独特の石垣の積み方で積まれた曲線が優しい美しさを感じさせます✨
シマチスジノリという天然記念物の珍しい紅藻が発生するそうです

シダの生い茂る エキゾチックな小径を抜けると…🐾🐾

瀟洒な御殿が現れました✨


御殿から池を望むと 柳の陰に中国風の六角堂が浮かんでいます



「御殿」は 沖縄ことば(うちなーぐち)では「うどぅん」と読みます

先の戦火で焼失したので すべて復元されたものです



往時の写真が今に残っています


15もの部屋があったそうです

ぼんやりと寝ころがりながら 一日過ごせそうな空間ですね

こちらが一番座とよばれる上座の部屋で 冊封使をもてなした部屋です


いちばん眺めの良い場所ですね(*^^*)

トイレも完備✨

※ 使用はできません
こちらは給仕用のフードウォーマーです


裏手に台所がありました

昨日までの雨で 水槽から水が溢れていました


居心地のよい御殿をあとにして お庭の散策に戻ります🐾🐾


大小の石橋を渡って 対岸に行くことができます

蘇州の太湖付近で産する 太湖石(たいこせき)という奇石が 中国の庭園で珍重されるようですが それに似た琉球石灰岩をあつめて橋がつくられています

池のほとりにサギが佇んでいました

🔍

のんびりした時間が過ぎていきます...

杭州あたりの風景を見ているかのようです...(行ったことはありませんが^^;)

はるばる来訪した冊封使をもてなすため さまざまに気をつかわれています
「まれびと」をもてなす沖縄の人たちの心も感じますし 宗主国に頭を下げなければいけない冊封国の悲哀も感じます…
こちらが六角堂

もとは四角い四阿(あずまや)だったそうですが 大正年間に六角堂に建て替えられたそうです

池の周囲を巡って歩いて行きます🐾🐾

池の奥まったところに 舟揚場がありました

舟を浮かべて 舟遊びもしていたようですね


池から少し離れて木立の間を進むと「勧耕台」という展望所に出ました

識名丘陵の南の段丘崖の上から 広く"町並み"を見下ろすことができます

沖縄は高台に登れば 何かしら遠くに海が望めますが ここからは海が見えません!

冊封使に琉球の国土を眺望させたとき 小さな島国と思わせない工夫なのだそうです
いろいろ考えられているのですね👀
首里城に比べるとバスの便も少し悪いせいか人も少なめで 楽しい時間を過ごせました

次回は 沖縄本島南部のグルメのお話です(^_-)-☆