以下の内容はhttps://wineroses.hatenablog.com/entry/2026/02/19/113716より取得しました。


再読という方法について

TagLinkで関連ノートを辿っていると同じノートが開く。

最近書いたブログに共通のテーマが流れている。 それが可視化されます。

言語が消滅する前に

言語が消滅する前に (幻冬舎新書)

國分 功一郎,千葉 雅也

この本なのですよね。 KindleハイライトをWebクリップしたノート。 『言語が消滅する前に』のクリップが頻繁に「関連ノート」として出てきます。 どうも今がこれを読み直す「時」らしい。

ということで読んでみました。 目次を見て、第4章「情動時代のポピュリズム」だけ。 そこの対談に目を通してみた。 ちょうど民主主義の話です。 今から5年前。 まだコロナでドタバタしていた頃です。 「安倍、辞めろ」とか話題になっているからまだ安倍首相も生きている頃。 そんな時代があったのか。 忘れてました。

ポピュリズムが取り上げられています。 トランプの移民排斥政策など、 極右の人たちが「根拠のない話」をもとに情動に訴え、 自分たちの都合がいいように政治をコントロールし始めた。 それに対し左派の人たちも 「戦争反対」とか連呼して、情動にアピールする政策を展開する。 つまり、言葉で対話することがなくなり、 民衆の共感を頼りに「味方」を増やす戦略に変わってくる。

言語の地位が低下し、情動に焦点が当てられるようになった。 この傾向は今の日本も同じで、 右も左も情に訴えるばかりで言葉が軽んじられている。 しかもそれは政治だけではなく、 日々の生活でも「本が読めない」という事態になっている。

どうもここに「私への問い」があるらしい。

道具的/玩具的

20世紀は言語の時代でした。 それ以前は「神」に根拠があり、 神無き時代となっても「理性」を人間の根拠としてきた。 「理性的な西洋文明こそ至高」の進歩観でした。

20世紀は人間の根拠を「言語」に置いた。 文化的相対主義となるとともに 「言葉を持つこと」が人と動物を区別するメルクマールになった。 言葉を使い思考することに「人間」の本質を見ていた。 構造主義の全盛期です。

それが21世紀に入ると瓦解していきます。 「言語」はただの「コミュニケーション」と見なされ 「情報を伝えるツール」になります。 カラスの鳴き声と変わりません。 そして「情報」が「情動伝達」として重要視されるようになります。

國分先生と千葉先生の対談は 「道具的/玩具的」の二項対立をめぐり進んでいきます。 パラフレーズすると「わかりみ/おもしろみ」ですね。 この間『本が読めなくなった人たち』で読んだところ。 それが「道具的/玩具的」という用語で語られます。

「コミュニケーション・ツール」と見るのは道具的です。 何か目的があって、その手段として「言語」がある。 言葉は道具なわけです。 だからスキルを身につけることだけが問題となる。 そうした言語観がいま世界を覆っています。

玩具的のほうは遊びです。 遊びとは目的と手段が一致した状態です。 言葉、それ自体が楽しい。 詩や文学の世界。 現代社会でその側面が失われてきているのではないか。 それが二人の間で「言語の消失」として危惧されています。

福尾先生の『置き配的』とも重なりますね、これ。 言葉が道具的になって中身を問われなくなっている。 情動をめぐって「敵/味方」を分断したり 「上から目線」で抑え込んだりする。 言葉がただのツールに成り下がっています。

そうした風潮に対抗する手段が「文学や日記」なのは、 それらが玩具的な自己目的性を帯びているからでしょう。 誰に見せるわけでもないけど愉しい。 何かを言葉にすること自体で享楽が完結している。

情動の時代

とはいえ、言語の地位が失墜してもいいんじゃないだろうか。 それを「動物化」と言われても、 だからどうした? so what? な気持ちもあるなあ。 マイルス風に。

言葉にロゴスとパトス、エートスの3つが含まれることは、 古代ギリシアのアリストテレスが『弁論術』で指摘しています。 「何を今更」な思いもある。 現代の哲学があまりにロゴスに偏っていて、 パトスを軽視してきたことの報いじゃないか。 というか、やっと情動を考察すべき時代に入ったとも言えます。 これからこれから。

そもそも「玩具的」を考えるなら、 そこにある「おもしろみ」とは何か考えねばなりません。 それは情動と向き合うことです。 心から「愉しい」と思えること。 「カロン」を育てること。 「ロゴス→・←パトス」の「・」を見つけること。 そこに真善美の「美」を問う哲学があるはずです。

資本主義がまず消費者の「情動」を利用するようになり、 政治が右派も左派もそれに倣った。 その結果が「他者を憎んだり嫉妬したりすること」 であっては目も当てられません。 美しくない。 恰好悪い。

となると「情動とは何か」を考えておきたいし、 一緒に考えたい。

まとめ

それはそれとして「再読」。

前に読んだ時と今読むのと視点が違う。 それは当たり前で「前に読んだときの影響」がその後も続いていて、 生活の中で考えたり新しい本を読んだりしている。 そしてもう一度読むと、その全部が響き合います。

これが「愉しい」。 対談に参加しているライブ感がある。




以上の内容はhttps://wineroses.hatenablog.com/entry/2026/02/19/113716より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14