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グノーシアには真善美が揃っている

すべては知ることで救われる。

グノーシア

SFとして完成度が高いんじゃないか。

予想通り、主人公のユーリが「自分とは何か」に向き合う方向だけど、 これは予想外だったなあ。 てっきりユーリがグノーシアになったとき出てくると思ったのですが、 そのループでは扱われなくて「あれ?」となっちゃいました。 グノーシアのユーリはただの悪い子で、 むしろコメットの深掘りがメインでした。

そうではなく「バグ」となったとき。 すでに本物のユーリがいる世界線にループしたとき、 自分が「ニセモノ」と気づく。 バグである自分の生きる意味はあるのかと、 何度も自殺を試みるけど転生してしまう。 そこで「自分とは何か」があらわになってくる。

本当に仏教的なテーマです。 輪廻のある世界において、 そこから抜け出すには「何を知るために自分はここにいるのか」 と考えねばならない。 逃げようのない問いと向き合って、先に歩を進めねばなりません。

真善美

と言いながら「プラトンだあ」とも思っています。 真善美が揃っている。

銀の鍵の「人を知りたい」という欲求は「真」ですね。 正しい事実を集めようとしている。 人間に取り憑いた「好奇心」が知識を求めている。 それが真偽を見極めようとする「真のイデア」です。

そして人狼ゲームそのものが「善悪」のメタファーです。 人の中にある悪意を探し出し、全体の秩序を回復する。 グノーシアを排除するのでなく、コールドスリープで眠らせる設定もいい。 誰の中にも悪はあるけど、発動させないのがポイントだから。 それをロジックで切り分けるのが「善のイデア」です。

ただし人間は、 科学的な「真偽」や倫理的な「善悪」だけで生きているのではない。 もう一つ別のもの、「美」というレイヤーがある。 そもそもアニメは「嘘の話」だし 「道徳」を推奨する教育番組でもありません。 でもそこには、 真や善で語れない「面白さ」がある。 それがプラトンのこだわった「美」なのでしょう。

「美」と言っても、 古代ギリシア語の「カロン」は「美しさ」ではありません。 見た目の美しさを超え「魂の豊かさ」まで含みます。 見た目の美しさも「眼福眼福、魂の栄養となった」というニュアンスで 「美しい」とされる。 「そこからしか得られない栄養がある」という感じ。 それが「カロン」。

人生にはそうした「美」が欠かせない。

生きる美学

真善美が究極のイデアとされるのは 「道具」ではないからです。

それら以外のことは何かの「道具」である。 受験に備えて勉強するのは、良い大学に行きたいから。 良い大学に行きたいのは、やりたい仕事に就きたいから。 やりたい仕事に就きたいのは、人生を楽しみたいから。 そんな風に「何か」は「何か」を目的としている。 目的を実現するための手段を「道具」と呼びます。

究極のイデアは「それ自体が目的」という性質を持ちます。 それ以上先には進めない終端。 「道具」ではない。 たとえば「地動説が正しいとして、それに何の意味がありますか」 と聞かれると答えに詰まってしまいます。 正しいことの意味と言われても、もごもごもご。 「何が真なのか」が最終目的であって、それ自体の意味はありません。

「意味があるか、ないか」は「道具」に適用されます。 道具が役に立つかどうか。 それを測る物差しが「真善美」です。 なので「物差しを測る物差しは?」と問うと、 無意味の領域に突入してしまう (無意味を考えるのも面白いけど)。 知識であれば「真」が物差しです。 「それ、本当?」。 そう問われることで知識は練り上げられていく。 もし「それは良いこと?」だと「善」の物差し。 望ましい社会のあり方に関わります。

そう考えると「自分に意味があるか」は「美」の領域ですね。 バグであるユーリが直面した問題。 知識でも倫理でもない。 個人における意味を問う物差し。 魂にとって栄養があるのか、ないのか。 そこに生活美学と呼べるものがある。

『グノーシア』でよかったのは、 ユーリが独りで考えるのを諦めたことです。 美学は自分のことなのに、自分で捉えることはできません。 それを測る物差しがそれ自身、 という構造をしているからです。 SQに事情を話し、ラキオに相談する。 他者の物差しを借りて自分の物差しを調律する。 状況を整理し、自分の出来ることを進めていく。

物語は終盤に入り、 事件の発端となったルーアン脱出に遡ります。 そもそも何があってユーリは記憶を失ったのか。 いやあ、ストーリーの追い込み方が美味しい。

まとめ

それはともかくニコ動で『メダリスト』はやらないのかな。

YouTubeでは第3話まで公開されています。 技の構成をカードゲームに喩えるの、勉強になりました。 いまオリンピックやってるし、 どう見ればいいか分かってなかった。 そもそも何回転だったか見ててもわかりません。 よく数えられるなあ。

一回の滑走に、これまでの練習のすべてが込められてる。 演技の構成には、失敗したときのリカバリーまで組み込まれている。 小学校の時から積み重ね、鍵山くんはくるくる回ってる。 立っても転んでも美学。 他者の美学を見るのも眼福。




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