ネタはタネの逆さ読み。
デイリーノート・ベース
Obsidianを立ち上げたとき、まずデイリーノートが開く。 何か書くことがあれば、そこに書く。 新規ノートは作らない。 そうした運用の仕方を今月から実験中です。
これを「デイリーノート・ベース」(DNB)と呼ぶことにします。
「どうするか」は書いてから考える。 そのままデイリーノートに残すか、新しいノートとして切り出すか。 Obsidianにはノートコンポーザーがあります。 「どうするか」を後回しにできる。 これが「書くこと」のハードルをグッと下げてくれます。
この方法をとると、 書き方のプロセスが「何を→どうする」の順序になります。 オブジェクト指向の考え方ですね。 オブジェクトがあって、そこに操作を加える。 日本語と同じ語順です。 Textwellの「モードレス」の考え方ですが、 それがObsidianでも実行できます。 考えたいところから考えることができる。
反対に考えるとわかりやすいかな。 「どうする→何を」の語順。 「一ヶ月後にエッセイの原稿をください」と言われ 「原稿.md」というファイルを作って 「どうしたものか」と思案に暮れる。 これだと何も書けません。 書くためのタネがない。
育ててみないと何のタネかわからない。 書いてみないと、何を書こうとしているのかわかりません。 「書きたいこと」は後になって気づきます。 内容を書いてからじゃないとタイトルは見えてこない。 箱のラベルは箱を閉じるときに決まります。
「何を」が見えてから「どうする」を決める。 そのプロセスがデイリーノート・ベースだと自然に進みます。
アイデア・プランター
アイデアが浮かんだとき、 デイリーノートが受け皿になります。 タネを蒔くプランターになる。 そして芽が出てから「さて、どうしようか」と考える。 鉢に植え替えるか、畑で育てるか。 そこには時間差があります。
デイリーノートではなくても、 白紙であればいいのではないか。 それも試してみましたが、 起動時に新規ノートが開くようにすると 「プレッシャー」がキツいです。 まとまった文章を書かないといけない気がする。
デイリーノートは「白紙」ではなく「余白」です。 一行だけのメモでいい。 「その日思ったこと」を書き留めるスペースです。 長い文章は要求しません。 日記や日誌でもなく、ネタ帳なのです。
日記は、その日あったことを振り返るものです。 日誌は、あらかじめ決まった項目を埋めることです。 ネタ帳はそうではありません。 思いついたときに書き留めるものです。 スナップショットを貼り付ける台帳です。
なのでデイリーノートにテンプレートは使いません。 型にはめず「余白」を残す。 そのとき書きたいことを書く場とします。
なぜデジタルなのか
なぜアイデアをエディタに書き留めるのでしょうか。
日記や日誌であれば紙の手帳で構いません。 実際、個人的には日々の記録は手帳に行なっています。 紙に書くほうが手軽ですし、 データが消える心配もありません。
デジタルで書く理由は「ブログ」に載せるからです。 一昔前なら「プリンターで印刷するため」と答えたでしょう。 今は最終的な到達点がインターネット上にあるので 「言葉」をデジタルに変換する必要がある。 それがなかったらエディタにタイプすることもなかったでしょう。
インターネット空間に入場するために「自己」を電子化する。 そのためのツールがエディタです。 エディタの向こうにデジタルの海が広がっている。 そこに乗り出すには「乗りもの」が必要です。
たしかにその「乗りもの」はNotionやCosenseでも構いません。 ブログ・エディタで書いてもいいでしょう。 でもそれは「書いたもの」がそのまま公開されるプラットフォームです。 完成品がその場で書けることを前提としている。
Obsidianのデイリーノートには「公開されないネタ」が蓄積します。 とても乱雑です。 アイデアはそもそもそうした性質を持っています。 流動化している。 液状になっている。 難しい問題ほど、形になるまでの時間がかかる。
オブジェクトになる前の状態がデイリーノートです。 オブジェクトの形が見えてきたら切り出して「記事」にする。 「記事」になれば「人様に見せてもいい姿」をしています。 そこでやっとインターネットに載せられる。
その「芽が出るまでの期間」を扱うツールがデイリーノートだなと思いました。 工夫すれば他のエディタでもできるけど Obsidianだと意識的に組み込みやすい。 それがこの一ヶ月で得られた知見。
まとめ
アイデアは流れ去って消えるもの。 誰にも等しく訪れている。 それを現界にとどめる受け皿として「デイリーノート」が有効なのかもしれない。